プロローグ
彼女はただ一つの約束を胸に――時間の底へ沈められた。
――四百年前、王都陥落の夜
燃えていた。
空も、大地も、王宮も。
黄金の都は、赤い炎に喰われながら、音を立てて崩れていく。
「アレス……様……」
エリスは瓦礫の上に膝をつき、小さな手で彼の外套を掴んでいた。
黄金色の瞳から、堪えきれない涙が零れ落ちる。
まだ幼い。
けれど、何も分からないほど子どもでもなかった。
父が死んだことも。
母がもう戻らないことも。
自分が――次に殺される存在だということも。
白髪に瑠璃色の瞳を持つ少年――アレスは歯を食いしばり、震える指でその涙を拭った。
「……泣くな」
そう言った声の方が、先に崩れそうだった。
額に、そっと唇を落とす。
それは祝福のようで、別れのようで、祈りだった。
「エリス。よく聞いてくれ」
彼女の両頬を包み込み、逃げ場を塞ぐように視線を合わせる。
「俺は必ず、生き残る。
この世界を……必ず、平和にする」
エリスは小さく頷く。
何度も、何度も。
「だから……その時は」
声が詰まる。
それでも、アレスは言葉を絞り出した。
「迎えに行く。……必ずだ」
「迎えに行く」 その言葉が、自分を縛る呪いになると知りながら。
「……はい」
エリスは涙を溜めたまま、微笑もうとした。
「エリスは……エリスは、アレス様を信じています。
いつまでも……いつまでも、お待ちしています」
その言葉に、アレスの胸が軋む。
――その“いつまでも”が、どれほど残酷な時間になるか、
分かっていて。
彼は一瞬だけ躊躇い、それでも迷いを噛み砕くように、自分の指を噛み切った。
赤い血が、石床に落ちる。
床に描かれた古い魔法陣が、血を吸って淡く光り始めた。
「少し……眠るだけだ」
そう言い聞かせるように言う。
「目を覚ました時、世界は変わっている。
その時は……もう、何も怖くない」
エリスは不安そうに唇を噛んだ。
「……アレス様も、いますか?」
一瞬、答えに詰まる。
それでも、アレスは笑った。
できる限り、優しく。
「ああ。
必ず、そこにいる」
彼女を魔法陣の中心へ導き、そっと抱きしめる。
幼い身体が、かすかに震えていた。
「約束だ」
囁く。
「平和になったら、迎えに行く」
魔法陣の光が強まる。
エリスの意識が、ゆっくりと遠のいていく。
黄金の瞳が、ゆっくりと――菫へ沈んでいく。
それを、彼は瞬きもせず見つめた。
「……アレス、様……」
最後に聞こえたのは、その声だけだった。
次の瞬間、光が弾ける。
その場に残ったのは、
血に濡れた魔法陣と、立ち尽くす一人の少年だけ。
アレスは拳を握りしめ、燃える王都を見上げた。
王都が崩れ落ちる音に、彼は振り返らない。
(その色が再び黄金に輝く時まで――
俺は、世界を敵に回してでも)
彼女を奪う世界なら――塗り替えればいい。
「待っていろ、エリス」
――その約束が、
彼女の時間を奪う“呪い”になると知りながら。




