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第九章 新しい世界

高校を卒業した春。

ひよりは美術系の専門学校に進学した。


入学式の日。

教室を見渡すと、そこには全国から集まった学生たちがいた。


大きなタブレットを持っている人。

分厚いスケッチブックを何冊も持っている人。

すでに仕事を受けている人までいた。


「……すごい」


ひよりは思わず呟いた。

授業が始まると、さらに驚かされた。


自分より絵が上手い人。

自分とはまったく違う絵柄の人。

何時間でも黙々と描き続ける人。

今まで見たことのないような表現をする人。


「こんな人たちがいるんだ……」


最初の頃、ひよりは自信をなくしかけた。

高校では周りから「上手い」と言われていた。


全国コンクールにも入賞した。


けれど、この場所では、自分と同じように絵を描くことを人生にしようとしている人たちがいる。

それぞれが、自分の武器を持っていた。


ある日の授業。

ひよりがデジタルで色を塗っていると、隣の席の男子が画面を覗き込んだ。


「その塗り方、どうやってるの?」


「これ?」


「うん。影がすごく自然」


「えっと……最初に薄い色を置いてから――」


ひよりが説明すると、相手は目を輝かせた。


「教えて!」


「いいよ」


ひよりはペンを持ち、実際に画面を操作してみせた。


「なるほど!」


「私も逆に聞いていい?」


「もちろん」


「この光の入れ方、どうしてるの?」


「これはね――」


気づけば二人で画面を覗き込みながら話していた。

その光景を見て、ひよりはふと思った。


――中学の頃とは違う。


ここでは、誰かが上手いからといって、誰かが居場所を失うわけではない。

上手い人がいれば、教えてもらう。

自分が知っていることがあれば、教える。

競いながら、助け合う。

それが、ひよりには嬉しかった。

それからの二年間は、あっという間だった。


デジタル作画。

キャラクターデザイン。

背景。

構図。

色彩。


絵を仕事にするために必要なことを、一つずつ学んでいった。

授業が終わってからも、ひよりは教室に残って絵を描いた。


「朝倉さん、まだ帰らないの?」


「もう少しだけ」


「また?」


「ここ、納得いかなくて」


そう言いながら、ひよりは何度も描き直す。

けれど、高校時代とは違っていた。

「上手く描かなければ」という焦りだけではない。

もっと上手くなりたい。

もっと自分らしい絵を描きたい。

そんな気持ちが、ひよりを動かしていた。

ある授業で、講師がひよりの作品を見て言った。


「技術はかなり身についてきたね」


「ありがとうございます」


「でも、朝倉さん」


「はい?」


「君は、何を描きたい?」


「……何を?」


「上手い絵を描くことと、描きたい絵を描くことは違うよ」


ひよりは答えられなかった。

その言葉は、ずっと心に残った。

それからひよりは、ただ技術を磨くだけではなく、自分が何を描きたいのかを考えるようになった。


好きな色。

好きな構図。

好きな物語。

自分が絵を描く理由。

そして少しずつ、自分だけの絵が形になっていった。


二年後。

卒業制作展の日。


ひよりは自分の作品の前に立っていた。

そこには、二年間で描いてきた絵が並んでいる。

以前よりも、ずっと自由に描けるようになった。


「……本当に卒業するんだね」


隣から声がした。

振り返ると、あかりが立っていた。


「いつの間に来たの?」


「さっき。卒業おめでとう」


「ありがとう」


「作品、見せてもらったよ」


「どうだった?」


「ひよりらしかった」


その言葉に、ひよりは笑った。


卒業式の日。

ひよりは作品集を抱えて校門を出た。

その隣には、あかりがいた。


「これからどうする?」


「イラストの会社に入る」


「そっか」


「まずは、そこでいろいろ経験したい」


「うん」


ひよりは少し先の道を見つめた。


「でも、いつか……」


「うん?」


「自分の絵だけで勝負したい」


あかりは少しだけ笑った。


「じゃあ、その日まで応援する」


「ありがとう」


二人は笑った。

それからも、二人の縁は続いた。

毎日のように会うわけではない。

仕事が忙しくて、何週間も会えないこともあった。

それでも、時々連絡を取り合った。


『今度の土曜、空いてる?』


『空いてるよ』


『じゃあ、いつものところ行こう』


休日には喫茶店で待ち合わせた。


「最近どう?」


「忙しい……」


「また徹夜した?」


「ちょっとだけ」


「それ、ちょっとじゃないでしょ」


二人で笑いながら、近況を話した。


新しく描いた絵を見せ合った。

仕事で失敗した話もした。

上司への愚痴を言った。

将来の不安について話した。

くだらないことで笑った。


それでも、二人が会えば最後には必ず絵の話になった。


「この前描いたんだけど」


「見せて」


「どう?」


「いいじゃん。でも、ここ少し――」


「やっぱり?」


「うん」


「じゃあ直してみる」


学生の頃と変わらないやり取りだった。

ただ一つ違うのは、二人とも少しずつ大人になっていたこと。

ひよりは会社で仕事を覚え始めていた。

あかりも、自分の夢に向かって歩き始めていた。


そして、二人はまだ知らなかった。

いつか再び同じ場所で、同じ夢を追いかける日が来ることを。

ひよりはその日を知らないまま、初めての会社員生活へと歩き出した。

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