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第六章 もう一度、絵を好きになる

数週間後。


放課後、ひよりは美術室の前に立っていた。

扉の向こうから、楽しそうな声が聞こえる。


「ここ、もう少し明るくしたらどうかな?」


「いいね、それ!」


「じゃあ、黄色足してみよう!」


ひよりは扉の前で立ち止まった。

高校に入ってから、何度もここまで来た。

けれど、いつも中には入らなかった。


今日は違う。


あかりに背中を押されて、見学に来たのだ。


「ほら、行ってきなよ」


少し離れたところから、あかりが手を振る。


「……分かった」


ひよりは小さく息を吸った。

そして、扉を開けた。


「こんにちは……」


美術室にいた部員たちが一斉に振り返る。


「あ!」


一人の部員が声を上げた。


「朝倉さんだ!」


「え?」


「同じクラスの朝倉さんでしょ?」


「絵、めちゃくちゃ上手いんでしょ?」


「全国コンクールにも出たことあるって聞いた!」


ひよりは目を丸くした。


「え、あ……」


どう答えればいいのか分からない。

すると、部長らしい少女が笑顔で近づいてきた。


「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ」


「……はい」


「今日は見学?」


「うん」


「じゃあ、好きなところに座って見てて」


ひよりは窓際の席に座った。

部員たちは、それぞれ好きな絵を描いている。


風景を描く人。

人物を描く人。

漫画のような絵を描いている人。

色鉛筆を使っている人もいれば、絵の具を使っている人もいる。


みんな違う。


それなのに、誰もそれを気にしていなかった。


「見て見て!」


一人の部員が描きかけの絵を見せる。


「おお、いいじゃん!」


「でも、ここ失敗したかも」


「じゃあ、こうしてみたら?」


「なるほど!」


笑い声が起こる。

ひよりは黙って、その様子を見ていた。

中学の美術室とは、まるで違った。

誰も競争していない。

誰かが上手く描ければ、


「すごい!」


と素直に褒める。


失敗すれば、


「次、頑張ろう」


と笑う。


ひよりは、その空気が不思議だった。

胸の奥が、少しずつ温かくなる。


「朝倉さんも描いてみる?」


部長が一枚の画用紙を差し出した。


「私が?」


「うん。見学だけじゃつまらないでしょ?」


「……でも」


「何か描きたいものある?」


ひよりは画用紙を見つめた。

少しだけ迷ってから、鉛筆を手に取った。


「……これ」


「ん?」


「窓から見える景色を描いてみたい」


「いいね!」


ひよりは窓際の席に座った。

窓の外には、校庭と、その向こうに広がる街並みが見える。

鉛筆を紙に置く。


一本の線。

もう一本。


久しぶりに、誰かのいる場所で絵を描いている。

最初は少し緊張した。

何度も周りを気にしてしまう。

けれど、しばらくすると、そんなことも忘れていた。

鉛筆が自然に動く。

気づけば、ひよりは夢中になっていた。


「……できた」


顔を上げる。

周りにいた部員たちが集まってきた。


「わあ……!」


「すごい!」


「めちゃくちゃ綺麗!」


「空気感がすごいね」


ひよりは戸惑った。

昔なら、この言葉を聞けば嬉しかった。

でも今は、少し怖い。


「……そんなに?」


「うん!」


一人の部員が笑った。


「私、こんなふうに描けないよ」


「私も!」


「教えてほしい!」


ひよりは思わず笑ってしまった。


「えっと……じゃあ、ここは……」


ひよりは鉛筆を持ち直した。


「こうすると、光が入ってる感じになるよ」


「本当だ!」


「すごい!」


その光景を、教室の外からあかりが覗いていた。

ひよりと目が合う。

あかりは親指を立てた。

ひよりは少し恥ずかしそうに笑った。


その日の帰り。

部長がひよりに声をかけた。


「朝倉さん」


「はい?」


「明日も来る?」


ひよりは少しだけ考えた。


そして、


「……来てもいいですか?」


と聞いた。


「もちろん!」


部長は笑った。


「じゃあ、明日から一緒に描こうよ」


「……はい!」


美術室を出る。

廊下を歩きながら、ひよりは自分の手を見つめた。

久しぶりに、絵を描いて疲れた。


でも――。


嫌な疲れではなかった。

胸の奥が、温かかった。

あかりが隣を歩きながら言う。


「どうだった?」


「……楽しかった」


「そっか」


「うん」


ひよりは少し笑った。


「私、やっぱり絵が好きだったんだ」


その言葉を口にした瞬間。

ずっと心の奥に閉じ込めていた何かが、ゆっくりほどけていくような気がした。


もう一度。


絵を描いてみよう。

今度は、誰かと比べるためじゃない。

誰かに認めてもらうためでもない。

ただ、自分が楽しいと思える絵を。

その日から、ひよりは再び美術部員になった。

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