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最終章 君がくれた一色

会社の設立から一年。

新しいアトリエの一角に、大きな白い画用紙が置かれていた。

窓から差し込む朝の光が、真っ白な紙を照らしている。

ひよりは椅子に座り、筆を持つ。

その隣には、あかり。


「何描くの?」


「まだ決めてない」


「珍しいね」


「うん」


ひよりは白い画用紙を見つめた。


何を描いてもいい。

誰に指定されることもない。

締め切りもない。

評価されることを恐れる必要もない。

ただ、自分が描きたいものを描けばいい。


けれど――。


ひよりには、もう一つ考えていることがあった。


「……ねえ、あかり」


「うん?」


「前に言ってたこと、覚えてる?」


「前?」


「私のことが好きって言ったこと」


あかりの表情が固まった。


「……覚えてるよ」


「そっか」


「もしかして……今、答えてくれる?」


あかりは少し緊張したように笑った。

ひよりは筆を置いた。

そして、あかりの方を向く。


「ずっと考えてた」


「うん」


「高校の頃から、ずっと一緒にいてくれたよね」


「うん」


「絵を描くのが怖くなったときも」


「うん」


「フリーランスになって不安だったときも」


「うん」


「私が有名になっても、何も変わらなかった」


ひよりは笑った。


「だから、最初は分からなかった」


「……何が?」


「私にとって、あかりがどういう存在なのか」


あかりは黙って聞いていた。


「友達だから大切なのか」


「うん」


「ずっと一緒にいたから大切なのか」


「……うん」


「それとも、それだけじゃないのか」


ひよりは少しだけ視線を落とした。


「でも、最近分かった」


「……何?」


「私、あかりが隣にいない未来を想像できなかった」


あかりの目が少し潤む。


「絵を描いているときも」


「うん」


「仕事をしているときも」


「うん」


「嬉しいことがあったときも、辛いことがあったときも」


ひよりは、あかりの手を取った。


「最初に話したいって思うのは、いつもあかりだった」


「……ひより」


「だから」


ひよりは少し照れながら笑った。


「私も、あかりのことが好き」


「……本当に?」


「うん」


「友達としてじゃなくて?」


「うん」


あかりの目から、一粒の涙がこぼれた。


「……よかった」


「泣かないでよ」


「だって……ずっと言うの怖かったんだから」


「私も、答えるの怖かった」


「なんで?」


「大切だったから」


 ひよりは笑った。


「失いたくなかった」


「……私も」


二人はしばらく手を握ったまま、何も言わなかった。

やがて、あかりが涙を拭った。


「じゃあ……これからも隣にいていい?」


「もちろん」


「会社でも?」


「もちろん」


「仕事が終わっても?」


「うん」


「ずっと?」


ひよりは少し考えてから、笑った。


「ずっと」


二人は顔を見合わせる。

そして、照れくさそうに笑った。

少しして、ひよりは再び画用紙へ向き直った。


「じゃあ、描こうかな」


「何を?」


「今の私たち」


ひよりは筆を取った。


幼稚園の頃。

小学生の頃。

中学生の頃。

高校生の頃。

専門学校。

会社員。

フリーランス。

コミケ。


そして今。


全部が、この白い紙の上につながっているような気がした。


「……ねえ、あかり」


「うん?」


「私、絵師になれたのかな」


あかりは少しだけ考えてから言った。


「なれたよ」


「そっか」


「でも」


「でも?」


「まだ途中じゃない?」


ひよりは笑った。


「そうだね」


筆先に絵の具をつける。

そして、一筆目を置いた。


青。

広い空。

その下に、一人の少女。

少女は、こちらを振り返っている。

その隣には、もう一人の少女。

二人は一緒に歩いている。


今度は、どちらも一人ではない。

どこへ行くのかは、まだ分からない。

けれど、怖くはない。


「……絵って、楽しいね」


ひよりが呟く。

あかりが笑った。


「今さら?」


「うん。今さら」


二人の笑い声が、アトリエに響いた。

窓の外から、朝の光が差し込んでくる。

白かった画用紙には、少しずつ色が増えていく。


青。

黄色。

緑。

赤。

たくさんの色。

たくさんの思い出。


そして、これから描かれる、まだ見ぬ未来。

ひよりは筆を止めなかった。

もう、絵を描くことが怖くない。

誰かと比べなくていい。

一番じゃなくてもいい。

上手いかどうかだけが、絵の価値じゃない。

誰かの心に届けばいい。

自分自身が、描くことを好きでいられればいい。


そして――。


隣にいてくれる人と、一緒に未来を描いていけばいい。


幼稚園の頃、先生に褒められた一枚の絵。

小学生の頃に手にした全国一位の賞状。

中学時代の孤独。

高校時代に出会った友人。

全国四位の悔しさ。

専門学校で学んだ二年間。

会社員として過ごした時間。

フリーランスになった恐怖。

コミケで見た、長い行列。


そして、今日。

そのすべてがあったからこそ。

ひよりは今日も絵を描いている。

完成した絵を、ひよりは少し離れて眺めた。


「どう?」


あかりが尋ねる。


「うん」


ひよりは笑った。


「今までで一番好き」


「あたしも好き」


「絵が?」


「絵も」


あかりは少し照れながら、ひよりの手を握った。


「ひよりと一緒に描いたから」


「……そっか」


ひよりも握り返した。


「じゃあ、次はもっと好きな絵を描こう」


「うん」


二人は新しい白い画用紙を一枚、机の上に置いた。

まだ何も描かれていない。


真っ白な未来。

ひよりは筆を持つ。

あかりが隣に立つ。


そして――。


二人で、新しい一筆を描き始めた。


幼い少女が初めて握ったクレヨンから始まった物語は、ここで終わらない。

これからも、嬉しいことがある。

失敗することもある。

迷うこともある。

それでも、二人なら何度でも描き直せる。

何色を使うのか。

どんな景色を描くのか。

その答えは、まだ白い紙の中にある。

だから、ひよりは筆を動かす。


大切な人と一緒に。

まだ見ぬ未来へ向かって。


――少女の物語は、ここで終わらない。

絵を描き続ける限り、彼女の物語は続いていく。

そしてその隣には、いつまでも一人の少女がいる。

二人で描く未来は、まだ始まったばかりだった。

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