第十三章 誰かの憧れになる
そこから、ひよりの人生は大きく変わった。
最初は、一つの仕事だった。
それが、二つになった。
そして、三つ、四つと増えていった。
書籍の表紙。
ゲームのキャラクターデザイン。
広告イラスト。
アニメ関連の仕事。
企業とのコラボレーション。
そして、自分自身のオリジナル作品。
会社員時代に身につけた経験も、専門学校で学んだ技術も、すべてが今につながっていた。
「朝倉さん、次の案件なんですけど――」
「はい!」
毎日が忙しかった。
締め切りに追われる日もある。
徹夜することもある。
描いても描いても終わらない仕事もあった。
それでも、以前とは違った。
自分の名前で仕事が来る。
自分の絵を必要としてくれる人がいる。
それが、ひよりには嬉しかった。
SNSのフォロワーも、少しずつ増えていった。
一万人。
三万人。
十万人。
数字を見るたびに、ひよりは驚いた。
「……十万人って」
「すごいね」
あかりが画面を覗き込む。
「これ、私のフォロワー?」
「そう」
「こんなに?」
「だから言ったでしょ」
「何を?」
「ひよりの絵が好きな人、いるって」
ひよりは照れくさそうに笑った。
やがて、テレビからも声がかかった。
ある日の朝。
ひよりが自宅で朝食を食べていると、テレビから聞き覚えのある名前が聞こえた。
『今、最も注目されている若手イラストレーター――朝倉ひよりさんです』
「……え?」
ひよりは箸を止めた。
画面には、自分の作品が映っている。
「ちょっと待って」
慌ててテレビに近づく。
そこには、自分のプロフィールや過去の作品まで紹介されていた。
「……私?」
スマートフォンが鳴った。
あかりからだった。
『見た?』
「今見てる」
『テレビに出てるよ』
「なんで知ってるの?」
『私も見てるから』
「……恥ずかしい」
『何で?』
「だって、自分の顔がテレビに出てる」
『今さら?』
「今まで出たことないよ!」
二人で電話越しに笑った。
昔、誰にも見せたくなかった絵。
誰かに評価されることが怖かった絵。
それが今では、何万人もの人に見られている。
イベントに参加すれば、
「ひより先生!」
「ずっとファンでした!」
「この作品、大好きです!」
そんな声が飛んでくる。
最初の頃は、呼ばれるたびに戸惑った。
「先生って……私のこと?」
「他に誰がいるの」
あかりに言われて、ひよりは笑った。
けれど、あるイベントの日。
一人の小さな女の子が、ひよりの前にやって来た。
母親に手を引かれながら、緊張した様子で一冊の本を差し出す。
「あの……」
「うん?」
「私も、絵を描くのが好きです」
ひよりは微笑んだ。
「そうなんだ」
「ひより先生みたいな絵が描けるようになりたいです」
その言葉に、ひよりは一瞬だけ黙った。
昔の自分を思い出した。
幼稚園で先生に褒められて、夢中になって絵を描いていた自分。
全国一位になって喜んでいた自分。
そして、絵が嫌いになりかけた自分。
「……ありがとう」
ひよりは女の子にサインを書いた。
「でもね」
「はい」
「ひより先生みたいにならなくてもいいんだよ」
「え?」
「あなたが描きたい絵を描いてね」
女の子は少し考えてから、笑った。
「はい!」
その笑顔を見て、ひよりの胸が温かくなった。
イベントが終わった夜。
ひよりはあかりと二人で夜の街を歩いていた。
「今日は疲れた……」
「人気者だからね」
「そういう言い方やめて」
「事実じゃん」
「まだ慣れないよ」
二人で歩きながら、ひよりはふと空を見上げた。
「ねえ、あかり」
「ん?」
「私、有名になったのかな」
「あー……」
あかりは少し考えるふりをした。
「なったね」
「……そっか」
「嬉しくない?」
「嬉しい」
ひよりは笑った。
「すごく嬉しい」
少し歩いてから、ひよりはまた空を見上げた。
「でもね」
「うん」
「昔の私に教えてあげたい」
「何を?」
「絵を嫌いにならなくていいって」
あかりは黙ってひよりを見る。
「辛いこともあるけど」
ひよりは続けた。
「それでも、また絵を好きになれるって」
「うん」
「描いていてよかったって思える日が来るって」
夜空には、星がいくつか見えていた。
あかりが突然、真面目な顔で言った。
「じゃあ、今から会いに行く?」
「どうやって?」
「タイムマシン」
「ないでしょ」
「じゃあ、私が伝える」
「何て?」
あかりは少し考えた。
そして、優しく笑った。
「大丈夫。あなたは一人じゃないって」
ひよりは足を止めた。
その言葉を聞いた瞬間。
胸の奥に、昔の記憶が蘇った。
一人で美術室にいた日。
誰にも話しかけられなかった日。
絵を丸めて、ゴミ箱に捨てた日。
あの頃、誰かに言ってほしかった言葉。
「……それ」
ひよりは小さく笑った。
「私が一番聞きたかった言葉かも」
あかりは何も言わず、隣を歩いた。
ひよりも歩き出す。
ふと、街灯に照らされた自分たちの影を見る。
昔は、一人だった。
今は違う。
隣には、一緒に笑ってくれる人がいる。
そして、自分の絵を待ってくれる人たちがいる。
ひよりは夜空を見上げた。
「……明日も描こうかな」
「仕事?」
「ううん」
ひよりは笑った。
「自分の絵」
その言葉を聞いて、あかりも笑った。
「うん。それが一番いい」
二人の影が、夜の街を並んで伸びていった。




