妬ける
「あれは今から8年前の俺が9歳の時だ。俺は5歳から10歳までの間、幼いころの町田姫花と暇が出来てはよく遊んでいた。近所に住んでいた町田は俺の母親が俺に義務教育受けさせない方針を知っていたからかは分からないが、けっこう俺たちは二人して仲良くやっていたんだ」
「そこで、姫花が出てくるのね……。それはそうと、その時は神楽とあなたは一緒に暮らしていなかったのよね?確か12歳になるまでは殆ど顔を合わせたこともなかったのだとか」
「ああ、そうだ。妹の神楽は俺の父の家で暮らし、俺は別の家で母と共に暮らしていた」
「いわゆる別居状態ということね」
「ああ、そうだ。俺がそのころ通っていた叔父の経営する道場が近いからという理由もあるんだが、その道場には俺と同じ門下生に町田の叔父もいた」
町田姫花の両親は彼女が5歳のころにこの世を去っている。
それから彼女は叔父の家に世話になっていた。
「俺は9歳のころ、通っていた道場で町田の叔父にあるものを見せられた。それで何を見せられたと思う?」
「そこで問いかけるものかしら?逆に聞くわ。私がそれで分かると思う?」
「それもそうだな。見せられたのはタブレット端末でのアニメだった」
「道場でアニメとはずいぶんなものね。それにあなたの叔父の道場ってすごく由緒正しい場所って神楽からは聞いているのだけれど」
「ああ、俺も最初は道場であの人が一体何をしているのか理解不能だった。だが、町田の叔父は
町田を見ると分かるように、マイペースな人だった。浮き輪の上で眠ったまま波に流されても気づかない姪のようにな」
俺は話を続ける。
「結局俺は誘われるがまま、知的好奇心というやつで最後まで見入ってしまったんだ。俺はその時初めてアニメなんてものを観たよ。うちの母親もそういうのは教えてくれない人だったからな」
「……そう。どこの家にもそういった家庭内ルールがあるものなのね」
「俺は初めて見たその物語に心を揺さぶられてしまった。それもとてつもなくな。でもって当然、次に出てくる欲求は物語の続きを知りたくなるというものだった」
「それでどうしたのかしら」
「俺は神や仏に祈ったよ。自宅で、自分で銅像とかを作って」
「あなた、ひょっとしてバカなのかしら。その発想はいくら私でもまちがっていると分かるわよ」
「そうだったかもしれない。でも当時の俺は大まじめだった。そうしたら、しばらくして神が舞い降りた」
「あなたもネメシス神とその時に一度会っていたのかしら?町田さんと同じで」
「いや、惜しい回答だな」
「惜しいとはどういうことかしら……。いや、待って分かったかもしれないわ」
天王院は解答を導き出した顔をする。
おそらく正答であるので俺は続きを話し始めた。
「そうだ。町田が俺の女神様として顕現してくれたのだ」
「あなたのその表現方法には目を瞑るとして、要は姫花が彼女の叔父からその続きの本を借りてきたのでしょう?」
「さすがは天王院だ」
やはり頭がいいなこいつは。
尊敬できる。
しかし俺の称賛とは反対に彼女は表情を曇らせた。
「私も少し傷つくことくらいあるのよ?」
「いや、さっきかなり傷ついた過去を聞かされたんだから、それくらい分かるが」
天王院は呆れた顔をした。
「何もわかっていないじゃない。私が言いたいこと分かるのかしら?」
「ん?なぞなぞかよ。全く心当たりがないわけじゃないが、俺には分からないな」
天王院は俺がそういうと数瞬押し黙る。
「……。名前よ。そんなに危なげなかった戦いとはいえ、背中を預けて命を懸けて一緒に戦った相手に名字で呼ばれるのも少し癪ね。それに私の、あまり人に言いふらす類じゃない話もした相手に。家の問題のことなんて神楽にだって話したことがないっていうのに」
ああ、やっぱりそれだったか。
気にしない奴だと思っていた。
でもよく考えれば、俺だけ名前で呼ばれていたのにと思うと悪かったな、と感じる。
「そうだな。俺だけ名前で呼んでもらっていたのに悪かったな」
「ええ、分かればいいのよ。それで」
「そうだな、そろそろ歩いてレベル3の今頃、眠っている恐竜擬きにとどめを刺してこないとな。今の続きの話は歩きながらでも出来るだろ。聞きたければ、俺と町田と妹との話の続きをするぞ?」
「まだ、私が言ったことを分かっていないのかしら、あなた」
「あ?まあ、いいだろ、当人がいないんだから。それにあいつの名前を面と向かって呼ぶときは姫って呼んでいるぞ」
「……。まるでお姫様みたいね。あなたにとっては女神様でもあるみたいだけれど」
「まあ、それは今は良いだろう。で、俺は彼女が持ってきた本を見た時は、あいつのことを本気で女神様だと拝んだよ。後にも先のもあいつに女神様と言ったのはあれだけだ」
「普段の呼ばれ方が姫で、女神って呼ばれ方もしたこともあるなんて凄い人ね、姫花は」
「そう。ただ、昔の俺、いや、俺と町田には大きな問題があった。俺は9歳にして文字が読めなかったんだ。6歳から始まる義務教育の小学校とやらには一度として行ったことがなかったから、ひらがなですら知らなかったよ」
「へえ、あなたも苦労しているのね」
「まあ、そうなのかもな。それで、あいつが持ってきた本を見ると、ひらがなどころか、漢字だらけだった。それまで文字に興味が、てんで無かった俺だったが、その時俺は女神が持ってきたこの本を必ず読んで見せると誓ったものだ」
俺はその時に手元に来た本を福音書でも持っているのかというくらい大事に握っていたことを思い出した。
「町田は当時8歳。まともに漢字を読める年齢ではなかった。俺達はひたすら辞書を使って、来る日も来る日もコツコツコツコツ、空いた時間を見つけては古代の碑文を読み解くかのように解読作業に明け暮れた。やがて、遂にやり遂げた。とはいっても俺はそれまでひらがなすら読めなかったんだから、作業が終わった後もまだひらがなすらもスムーズに読むことは出来ないでいた。全文の漢字にふりがなを振っていたがな」
「それで、姫花に読み聞かせしてもらったと?」
「ああ、あいつの音読は彼女自身音読をし慣れていなかったおかげもあり、たどたどしかったが、それでも俺はあの時に二人で読んだひと時を今後も一生忘れることは無いように思う。まあ、この時の作品が俺の心当たりってやつだ。アニメの世界に妹を引き込んだかもしれないってやつのな」
「その作品の話を神楽にしたのね」
「ああ、だが作品の魅力やら、展開やら、キャラクターとか、聞かれてもいないことまでペラペラと一度だけ何かの拍子で、語り続けてしまって、話が終わってもしばらくは、あきれてものを言えないって感じの妹の顔に気づいた俺は、それ以来、この手の話題を他人にすることはしないようにしていたんだ。だが、まさか、その時のことが?」
「神楽はあなたから影響されたと言っていたからきっとそれがきっかけね」
まさか妹が俺の話したことがきっかけで物語のことが好きになっているとは、全く把握していなかった。
「それにしても、ずいぶんと微笑ましい町田さんとのエピソードを聞かされたわね。私もそういう苦労を誰かと一緒に共有することに憧れるわ。一生の思い出、自分を形作るものにもきっとなることでしょうから」
「ああ、確かになっているな。町田は大切な幼馴染であり、仲間や友達って言葉は似合わない感じがする」
少し風が吹きつけた。
今日は風が強いな。
「……。どうしてかしら、ちょっとだけ妬けたわ」
「まあお前もきっとそういう経験が出来るさ。それにここは異世界だ。きっと異世界ならそういう経験はたくさんできると思うぞ。もはや、そのために来たって思ってみても良いんじゃないか?」
「まあ、優しいのね。ありがとう。せいぜい楽しみにしているわ」
そういった彼女は俺から顔を背けていてその表情はうかがい知れなかった。




