第肆帳:【日常】
なんだこれは?!脳が震えるぅほど甘い!
「う、うめぇ!」
「……ッ! この……濃厚すぎるバニラのコク……! 口の中が……幸せで、爆発しそうだ……ッ!!」
などとほざいているが、ただの現実逃避にしか過ぎない。
「……さてと」
そうつぶやいた後、右手を突き出す。おじさんが出かけた今しか、確認できないからな。
――――。
『絶』
……。
『絶』
(うーん…)
深呼吸をし、もう一度右手に力を集中させる。
今度は手だけでなく、血管を流れる血液の熱、皮膚の震え、そのすべての力を一点へと収束させる。
――――。
『絶』
……やはり、何も起きない。
(別のことでもやるか)
空になったアイスのカップをゴミ箱に放り込み、僕はパソコンの前に座った。
検索すればわかることあるかもしれない。
まずは愚直にだ。
検索:かくりよ
ENTERを叩く。
返ってきたのは、ありふれた百科事典の引用や、オカルト系まとめサイトの羅列だった。
『幽世:日本神話において、死後の世界や隠世を指す言葉……』
『【※閲覧注意】神社で体験した意味が分かると怖い話』
(うーん……)
小一時間、超高速タイピングで情報を漁ったが、どれも創作の域を出ない。
一般向けの検索エンジンでは、辿り着けないらしい。
ならば、最終手段の匿名掲示板だ。あそこには、掃き溜めの中に時折、本物の「経験者」が混じっている。
「スレタイは……」
『神社で自殺しようとしたら、化け物に遭遇したwww』
我ながら、死にたくなるようなスレタイを立ててしまった。だが、この手の界隈はこれくらい「釣り」っぽくないと誰も食いつかない。
2:@1(自分)
そこで変な記憶もみたんだよね。
案の定、レス欄は地獄だった。
12:名無しさん
釣り乙。はい解散。
15:名無しさん
こんなゴミみたいな話作る時間をハローワークにまわせんのか? 無職かよ。
22:名無しさん
画像うpできない時点でお察し。
「ふぅ……」
思わず、キーボードをクラッシュ!してしまいそうになったが、今の僕にはこの罵詈雑言さえも、妙に解像度高く「ただのノイズ」として処理できる。
その時、一つのレスが目に留まった。
41:名無しさん
じゃあ、もう一回その神社に行けばいいだけの話では?
42:@1(自分)
たしかに
反射的にそう打ち込んでいた。
「……試してみる価値はあるな」
なぜこんな、初歩的なことを思いつかなかったのだろう。現代人の悪いところだ。情報を集める前に行ってみることも重要だ。
(……行くなら、おじさんが帰ってくる前か)
そう思い、重い腰を上げようとした瞬間。玄関の方から重厚なドアが開く音が響いた。
「ただいマンモス~、頼。……起きてるか?」
タイミングが悪すぎる。僕は思春期の少年のように慌てて、ブラウザの履歴を抹消した。
このことがバレでもしたら、また精神病院行きになるかもしれない。
数秒後、部屋の扉が開いた。
「おっ、何か調べものか?」
「おかえり、おじさん。今、自分の『状態』について調べてたんだ」
嘘は言っていない。
「自分の状態、か」
「猛毒?」
「たしかに、最近まで似たよう状態だったけど……。先生が言ってたろ、『異常な生命力』だって。正直、自分でも体が軽すぎて、逆に気味が悪いんだ。だから、同じような症例がないか、医学論文のアーカイブを漁ってた」
おじさんのふざけた回答に思わず、呆れてしまった。気を張り詰めていた僕がまるでバカじゃないか。
「……お前らしいな。理屈で納得しないと気が済まないたちか」
「めんどくさいタイプ」
「一言、多いな」
「それより、おじさん。ゆきの様子は?」
一応、話題を転換する。これがおじさんにとって最も「逃げられない」問いであることを、僕は理解して使っている。
「あぁ、いつも通り、綺麗な顔だったよ」
「じゃなくて……容体だよ」
「………いつも通りだ」
「そう………」
「…」
「…」
(デジャブ?)
再び形容しがたい微妙な空気が流れる。
おじさんは、気まずさを誤魔化すように後頭部をバリバリと掻いた。
「……あー、なんだ。そんな怖い顔すんな。飯、まだだろ。適当に買ってきたから食うぞ」
そう言って、おじさんは僕の肩を軽く叩いてキッチンの方角へ歩いていった。
……。
僕は再び、自分の右手をじっと見つめる。
『絶』......まったくもって発動条件がわからない。ヒントはおそらくあの男の記憶。
だが真の問題は……
あの神主の言葉だ。
(……明日、だな)
明日、もう一度あの神社へ行く。
そこに行けば、何かわかるかもしれない。
「……よし」
幸い、大学は長期休暇中だ。時間はある。
夕飯を食べる前に自分の部屋に戻る。
「ただいまぁ~」
自室は恐ろしいほどに何もない。着る服すらない。僕はミニマリストなんでね。
そんな何もない自室を後にし夕飯を食べに降りる。
食卓にはいつもより豪勢な食事が用意されていた。
「なに?おじさん。授かった?」
「なにを?」
「子宝」
「んなわけねぇだろ」
そんなつまらない冗談を言う。
よし……本題だ。
「おじさん」
「なんだ」
「明日、出かけていい?」
「いいぞ~」
「そうだよな、無理……って…え?」
「いいぞ~」
「……明後日も?」
「いいぞ~」
「明々後日も?」
「いいぞ~」
おじさんがいいぞBOTになってしまった。
「要監視じゃなかったのかよ」
「自分でも言ってたじゃないか、異常な生命力とかなんとか。少なくとも今のお前よりかは全然マシだ。」
「……」
「前のお前は、『なんで僕だけが』って言いたそうな顔をしていた」
「まるで自分が『世界で一番不幸な人間』みたいな顔だ」
「とても見れたものではなかった」
おじさんは一言そう付け加えたあと、しまったという表情を一瞬だけ見せ、慌てて僕から意識を切り離すように横を向いた。
「……ごめん、おじさん」
おじさんは愛する妻を失い、溺愛していた娘も意識不明になってしまった人だ。僕だけが逃げた。病気を言い訳にして。一番つらい人にまたつらい目を合わせてしまった。
「なんだ。これはただの独り言だが、自分を責めるなよ。病気は人間である限り絶対に起こることだ。自分を責めることを俺は許さない。」
気持ちを見透かされた。だけどその言葉は、今の僕が一番必要としていた言葉だった。
「ありがとう。おじさん」
「……ただの独り言だ」
そう言って、おじさんは照れ隠しのように麦茶をごくごくと飲み干した。
それから、僕の奇妙なルーティンが始まった。
大学の長期休暇をこれ幸いと、僕は毎日あの山へ通った。
1日目。何も起きない。
2日目。神社の清めの水って冷たくね。
3日目。……もしかして、あの神主の言った「死に損ない」という極限状態が必要なのか?
(……いや、冗談じゃない。また首を吊るなんて御免だ。ゆきに合わせる顔がない)
4日目、5日目、6日目。
たまたまかと思って3時間以上張ったがやっぱり神主がいない。
大学の長期休暇。同級生たちが海だキャンプだSNS映えだと謳歌している中、僕は毎日、汗だくになって山奥の神社へ参拝に通っていた。
結果は、全敗。何にも成果は得られなかった。
「今回は趣向を変えて夕方に来たけど、何も起こらなかったな」
そろそろ別の方法をと考えていた7日目の帰り道。
見慣れたはずの住宅街の影が、ドロリと長く伸びた。
太陽が山の端に隠れ、世界が不吉なまでの橙色に染まった。
昼と夜の境界が溶け合い、影が異常に長く伸びる、魔の時間帯。
「……」
通称、『逢魔が時』
鼻腔を突くのは、鉄錆と、線香と、煮詰めたような圧倒的な死の臭い。
――ああ、これだ。
やっと……やっとだ。
やっと、一歩進める。
僕は避けるべきだった死地を、今度は自ら「知る」ために、灰色の闇が滲む路地裏へとその一歩を進めた。




