シヴァという男
シヴァという人間について、わかっている情報は非常に少ない。
というかそもそも、漁って出てくる情報自体がほとんど存在しないのだ。
なぜならシヴァは由緒正しき清き生まれなわけでも、先祖代々特別な事情を持っている特殊家系な一族というわけでもない。
彼はただの娼婦から一つ種として突然変異として生まれた、異端児だったのだ。
シヴァは飲んだくれては暴力を振るう父と、その酒代を稼ぐ娼婦の間に生まれた子供であった。
帝国生まれだが家は貧しく、住んでいたのも貧民街にほど近い平民の中では下等と呼べる部類の家だ。
父の暴力はひどかったが、彼が生まれてからすぐに、それはなくなった。
なぜなら彼は赤子の頃に自分を守ってくる母を殴った父を敵とみなし、殺してしまったからだ。
彼は生まれたその瞬間から、強かった。
そこに理由はない。ただ彼は生まれたその瞬間から、最強だった。
彼にとって幸いだったのは、彼の母イブが腹を痛めて産んだ子であるシヴァのことをその強さを恐れつつも、疎まずに育て上げてくれたことだろう。
シヴァは三歳児の頃にはスラムに住まう悪漢を伸し、五歳の頃には彼は貧民街の用心棒として名を馳せることになる。
イブはシヴァが暴力によって得た金のほとんどを、彼の教育へと注ぎ込んだ。
おかげでシヴァはほとんどスラム同然の場所に生まれたにしては高い教養を得ることができ、幼少期から魔法を覚えられる環境に恵まれた。
シヴァは母の愛を感じ、力を早くから手にした者特有の屈折した感情を抱くことなくすくすくと育った。
父に似た粗暴さはやはりあったが、それも母の教育によってある程度はマシになった。
シヴァは生まれながらにして強かった。
そして魔法を使えるようになったことで、その強さはもはや誰も手がつけられないレベルに達した。
帝国は弱肉強食、強ささえあれば他の全てがなくても許される。
彼は冒険者としてあっという間に頭角を現し、彼は一度も苦戦することなく依頼をこなし続け、帝国内最速でAランク冒険者になった。
そして王国とは違い国自体の厳しい選抜を必要とする帝国選定勇者にもストレートで合格した。
ちなみに彼が勇者になったのは、母が勇者になるのはすごいことだと幼少期に口にしていたという、ただそれだけの理由であった。
最初はその出自や素行を問題視する者も多かったが、全てのやっかみを力押しで撥ね除け、自分の邪魔をするものは容赦なく皆殺しにし続けたことで、シヴァに楯突く者はすぐにいなかった。
彼はその素行故にSランク冒険者に選ばれることはなかったが、シヴァの実力はその時点で唯一のSランクであったイシドロを上回っていることは傍目から見ても明らかだった。
彼は人生において、苦戦をしたことがない。
なぜならシヴァが一度戦い出せば、それは戦いではなくただの虐殺になってしまうからだ。
帝国にAランク上位の魔物が攻め寄せてきた時も、帝国のこれ以上の伸張を危ぶまれ周辺国から包囲網を組まれた時も、シヴァが戦えば全ては帝国の圧倒的勝利に終わった。
シヴァは強すぎた。
既に全盛期を過ぎている先帝は彼に殺され、帝位簒奪をされることを何よりも恐れたという。
だがシヴァにはそんなつもりはなかった。
彼は帝位にさほど興味がなかったし、それに先帝が死ねば一番強い自分が皇帝になるのは火を見るよりも明らかだったからだ。
彼は好き勝手に、けれどある程度法を弁えて生き、そして先帝の崩御の後に当然のように皇帝となった。
帝位は彼にとっては、なんでもしていいパスポートのようなものでしかなかった。
今までよりいい女が抱け、今までより無体が許される。
シヴァからすれば帝位など、その程度の価値しかない。
「……」
シヴァが王宮に入ると、誰もが皆彼に対して傅いた。
彼はそれを当然のこととしつつ、そのまま奥へ歩いていく。
行き交う者達は、そのほとんど全てが女性である。
王宮の中には、基本的に男性はほとんど入室許可が出ない。
とにかく大量の異性を置くことで皇帝を慰撫しつつ、可能であればその能力を受け継ぐ子を一人でも多く産む。
王宮内部はそのような形で最適化がなされているからだ。
だがそんな王宮にあっても、特別に立ち入りを許されている者達もいる。
その一人が最奥にあるシヴァの私室で直立不動を維持している、一人の女性であった。
「来たぞ、カラン」
「お待ちしておりました、陛下」
二十代後半ほどのキリリとした顔立ちの女性は、少し暑くなってきた時勢にもかかわらず分厚い金属で作られたフルプレートメイルを身に纏っている。
質実剛健という言葉が服を着て歩いているとでも表現するのが良さそうな彼女は、「冬将軍」カラン。
この帝国の軍事における実質的なナンバー2であり、普段の軍事行動はこのカランがほとんど采配を振るうことが多い。
机の上には二つのジュースが出されており、入っているコップには結露ができていた。
既に出されてからかなり時間が経っているらしく、中に入っていたであろう氷は溶けてしまっている。
カランの方には未だ口をつけている様子はない。
シヴァは生真面目で堅物な軍人と呼べるカランのことが、嫌いではなかった。
カランはシヴァがやらなければいけない仕事の手間を、可能な限り減らしてくれる。
彼女に言われた場所で戦った方が周囲の人間達からの評価が高くなるということがわかるようになってからは、シヴァは基本的にカランの言うことを聞くことが多くなった。
「陛下、今回の話題は無論、混沌迷宮についてです」
「なんか前にも聞いたな、その名前」
シヴァは自分の頭が良くないことを理解している。
故に彼は頭がいい人間に頭脳労働を任せ、自身は言われたことをやり、それ以外のことは何か特別な事情でもない限りはしないというのを心がけるようにしていた。
有能な配下に必要な裁量を与え、自身は決断だけを下し、力を振るう。
シヴァはこの帝国という国の皇帝に必要な要素を、全て兼ね備えている男であった。
「現在我が国と戦争をしているラテラント聖魔国にあるダンジョンでございます」
「ああ、そういえばそうだったな」
現在帝国はラテラント聖魔国という国と戦争をしている。
まあ帝国は基本的に他国からの評判がすこぶる悪いため、年がら年中戦争はしているのだが……シヴァが何度かその話を聞いているというのは、それだけでもかなり珍しいことだった。皇帝についてからは、初めてのことかもしれない。
何せ国家間の戦争であれば、帝国は圧倒的な物量と調練によるマンパワーで無類の強さを誇る。
何か特別なイレギュラーでもない限りはシヴァが出ずとも戦いが終わることが多く、彼が聞く戦争の話とはそのほとんどが戦いが始まったことを知る前に終わっていたという、事実ベースの報告であった。
「現在混沌迷宮の魔物の殲滅依頼を出していたSランク冒険者、イシドロとの連絡が取れておりません。おそらくは魔物達にやられたものと推察されます」
「……死んじゃったのか、あのおっさん。嫌いじゃなかったんだけどな」
イシドロは自分とカランの次に強い、帝国で三番目に強い男だった。
戦いを愛すると公言している彼は、いかにも冒険者らしい冒険者で、シヴァはその人となりが気に入っていた。
シヴァは自分が強すぎるせいで、戦いを面白いと思ったことがない。
故にイシドロのことを、少し羨ましいと思っていた。
だが弱いとあっさりと死んでしまうのだから、世の中というのはままならないものだ。
彼が倒せないということで、自分達にお鉢が回ってきた。
つまりはそれだけ、相手が強いということなのだろう。
だが話を聞いても、シヴァの表情筋はまったく動く様子がない。
彼はいつものように淡々と、カランの言葉を待った。
「現在我々帝国軍は、混沌迷宮の魔物混成軍に対して非常に劣勢に立たされています。現時点で五個軍団がほぼ全て半壊してしまっております。誠に情けない限りです」
「じゃあその敵の軍団を潰せば良いのか?」
「そちらはある程度で大丈夫です。陛下にはぜひ私と共に、混沌迷宮の攻略をお願いしたく」
「ダンジョン攻略か……わかった」
ダンジョンに潜った経験はないが、魔物退治であれば手慣れたものだ。
魔物だろうが人だろうが、シヴァからすれば大して変わらない。
「相手の軍団を完全に潰して戦争を終わらせようとしないのはどうしてだ?」
「相手の魔物軍団は、おそらく転移魔法を使うことで軍の魔物達を補充しております。その大本を叩くことが、結果的に被害の現象に繋がるかと。それに現在の戦線はなんとか支えること自体はできておりますので」
「なるほど、わかった」
無論シヴァも、ただ唯々諾々と言うことを聞くわけではない。
言っていることが間違っていると思えば独自に動くし、場合によっては私情で全然言われていないことをしたりすることもある。
だが今回はどうやらかなり苦戦しているようだし、カランが言っていることも間違って居なさそうなので従っておいた方が良さそうだ。
その辺りの分別があるのが、シヴァがその強さの割に常識的と言われる所以である。
「イシドロを倒したってことは、敵はカランより強いのか?」
「わかりませぬ……が、混沌迷宮の軍団長はAランク上位の魔物に匹敵するとの報告があります。私一人では、全員を倒すことは厳しいでしょう」
「……ふぅん。ちょっと、面白そうだな」
シヴァは今まで、皇帝として数々の戦いに身を投じてきた。
そしてそれだけの戦いを一人でこなしてもなお、彼は今まで一度も本気を出したことがない。
彼は死を身近に感じたこともなければ、死線をくぐり抜けた経験もない。
人は苦戦し、死線をくぐり抜けることで新たな領域へと至ることがあるという。
ひょっとしたら今回は、自分もその経験ができるかもしれない。
そんな風にわずかに期待を寄せたシヴァは、彼にしては珍しく、戦いが楽しみになるのであった……。




