最期
内心で何度も舌打ちをしながら、イシドロは眉間にシワを寄せた。
アッズワースが一対一での殴り合いにこだわっていたからこそ、他の魔物達がいるという可能性を端から排除してしまっていた。
自分の考えの甘さに悔しさをにじませていたイシドロは、突如として行われた転移への衝撃と急激な環境の変化によって、自身が攻撃を受けていたことを忘れてしまっていた。
背後から迫る白骨が、イシドロの土手っ腹をぶち抜く。
「――ぐうっ!?」
現象と化している現在のイシドロに、物理的なダメージは入らないはずであった。
だが今の彼は明確に、痛みを感じている。
そして体内からごっそりと魔力が抜けていく感覚。
なんとかして体勢を立て直そうとした時には、彼の目の前に二匹の魔物が現れている。
「ようこそおいで下さいました、勇者様。私は第七軍団軍団長、『覇軍』セイラム」
「第九軍団軍団長、『究極』ズモゴロフ」
そこにいたのは水の中を自由に跳ね回る人魚と、全身から黒色のオーラを出しているスケルトンであった。
恐ろしいことに、全身から発されているプレッシャーはアッズワースと同等かそれ以上。 つまるところ目の前の魔物達も……混沌迷宮の軍団長、Aランク上位の中でも更に上澄みの最強格クラスの魔物達。
こいつぁ……やべぇ。
現状の打破の方法がわからぬままイシドロが呆然としている間に、二体の魔物の横に全身を燃やしているアッズワースがやってきた。
「詭道もまた兵道のうちということは理解しているが、正直なところ俺はこういう戦い方は好きではない。だが……絶対に勝てというマサル様の命令を、違えるわけにはいかないからな」
彼は紛れもない武人であった。
だが彼は武人であるよりも前に、ダンジョンによって生み出された魔物であった。
それを知ったイシドロは絶望する。
「というわけで貴方は私達が確実に殺します」
「Sランク冒険者ですか……素晴らしいアンデッドが作れそうで今からわくわくしますな」
自身の将来を思い、イシドロはぞっと背筋を凍らせる。
ここから三体に勝つのは、さすがの彼といえど不可能。
(とにかく、ここを脱出するしかねぇ!)
だが無論、イシドロに諦めるつもりは毛頭無い。
水中で多少動きは悪くなるとはいえ、それでもなお彼の速度は圧倒的。三体の魔物から逃げて魔力を回復させることさえできれば……ドクンッ!
「……っ!?」
内側から感じる熱、そして痛み。
一瞬意識が飛びかけるほどの痛みに、危うくスキルが解けそうになった。
なんとか気を取り直し、更に軍団長達から距離を取った。
小康を得たイシドロは、そこでようやく痛みの出所である肩の方をジッと見つめる。
すると塞がっていたはずの肩が、内側から徐々に黒ずみ始めているのがわかった。
「先ほどの魔法には私の呪導王の固有スキル、魂還の贄を乗せております。たとえ魔力で形作られた肉体であっても、その魂までは変質することはない……故に魂を蝕む呪いは、あなたという存在そのものを侵蝕していく」
再び激烈な痛み。
久しく感じていなかった、痛みというよりは熱さと表現した方が適切であるあの感覚。
先ほどまでと比べても、身体からは魔力が更に抜けているのがわかる。
そして彼を襲う絶望は、それだけに留まらない
「~~♪♪」
セイラムが歌を歌い始めると同時、この海全体が揺らぎ始める。
揺らぎは徐々に大きくなっていき、そして揺れになり、海全体が震えていると思うほどの振動をもたらしていく。
そして……水の中特有のくぐもった音と共に、新たな影が現れる。
口の中からごぽりと小さな泡を吹き出しながら泳ぐ、視界を埋め尽くすほどの大量の魚型魔物群れ。
人間など丸呑みにできそうなほどの大きさのあるサメや、手に銛を手にしている武人然としたサハギン、更には水の中を悠々とうねるように動いているドラゴン……パッと見ただけで五百はくだらないほどの大量の魔物達が現れたのだ。
魔物達は皆、その身体に緑色のオーラのようなものを纏わせていた。
「~~♪♪」
セイラムの歌声の曲調が変わる。
先ほどまでのゆったりとした曲調から、激しくアップテンポな曲調に。
そして魔物達が身体に纏っていた緑色の靄の上を囲うようにして、新たに赤いオーラが追加された。
(魔物達が……強化されてやがるのか!?)
これ以上の強化を止めるためにはセイラムを止める必要がある。
彼は急ぎ息の根を止めようかと考え……その隣にいるズモゴロフとアッズワースを前にその考えを断念せざるを得なくなった。
雷は水の中では分散してしまい、おまけに塩水ということもあり速度は更に遅くなっている。
そこに先ほどかけられた呪いの効果が重なれば、Aランク上位の魔物達を前に圧倒できるだけのスピードは出せない公算が高い。
(どこか……どこかにある、出口をッ!!)
イシドロが選んだのは、やはり逃走であった。
更に分が悪くなったことで、逃げなければならないという思いはますます強くなっている。
彼の今の肉体は魔力によって形作られているため、呼吸をする必要はない。
だがそれでも現状であの三体と大量の魔物達を相手にして勝てると考えるほど、うぬぼれてはいなかった。
肩の痛みをなんとかしてこらえながら、その速度を利用して急ぎ彼らから距離を取る。
そしてここがダンジョンであるからこそどこかにあるに違いない、階層間の出入り口を探す。
彼は雷となって得た破壊力を発揮させることもなく、ただその俊敏性を活かしてひたすらに階層中を移動することになった。
軍団長達に出会わぬよう、なるべく距離を取りながら、階層の中を欠けていく。
どうやら魚型魔物達は意思疎通ができているらしく、ことあるごとにイシドロの下へやってきては攻撃を加えようとしてくる。
その度にイシドロは攻撃を加えて倒さねばならず、その呪いと合わせて彼の魔力は徐々に、けれど確実に減っていた。
胸の痛みは明らかに当初より強くなっており、一考に軽くなる気配がない。
そして休憩を挟もうとすれば、まるでそのタイミングを見計らったかのように魔物達の襲撃がやってきて、更なる魔力消費を行うことになってしまう。
イシドロは休むことができず、じりじりと追い詰められていった。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
水の中での過ごし方に慣れたことで、来たばかりの頃と比べればはるかにスムーズに動くことができるようになった。
けれど状況はますます悪くなる一方だった。
魔物達はあのセイラムの歌のバフによって、更に強く、速くなっている。
数が減っている様子もなく、一体どこまで戦い続ければいいのか皆目見当もつかない。
海底も探したというのに、未だ階層間の転移魔法陣は見当たらない。
魚型魔物からも軍団長達からも逃げ惑いながら、なんとかして出口はないかと動き回る自分が、イシドロにはまるで水槽の中から出られないかと動き回る魚のように思えた。
『死ぬときは戦場で死にたい』
そう思っていたのは、紛れもない事実であった。
だが今の彼は、まったく異なる感情を抱いていた。
(死にたく……死にたく、ないっ!)
彼は戦いを渇望し、その中で死ぬのであれば本望とさえ思っていた。
だが彼が求めていたのはあくまでも戦場で、誉れある戦いの中で死ぬこと。
断じてこのように逃げ回りながらなんとか出口を探し、魔物達と鬼ごっこをする中で死んでいくことではなかった。
(絶対……絶対全員、後でぶち殺してやる!)
死への恐怖で思考が鈍っていたタイミングで、バチリと何かが弾ける音がした。
彼の全身を形取っていた雷が消えていき……彼は何人も寄せ付けぬ雷神から、水中深くにいる一人の人間へと戻る。
「GOAAAAAA!!」
自分達を弾いていた雷が消えたことを見て取った周囲の魚達が、イシドロの下へ殺到し始める。
「くっ……そがあああああああっっ!!」
イシドロは全身から雷を発生させ、近づこうとする魔物達を雷で焼き焦がして殺している。
だが何度も何度も魔法を使ううち、既に底を尽きかけていた魔力がとうとう消え、呼吸すらままならなくなり意識が朦朧とし始める。
(俺様が……こんな、こんな……ところでっ!)
イシドロが最後に見たのは、鮫型魔物がその三重に並んでいる歯で自身のことを丸呑みしようとあんぐりと口を開いている光景だった。
こうしてSランク冒険者イシドロは混沌迷宮に多大な被害を出し第八軍団軍団長アッズワースを追い詰めながらも、倒されるのであった――。




