視線
「これは……っ!?」
総大将であるコラブ公爵に呼び出されたアリアは、その目で洞穴を見つめる。
彼女はその目は、たとえ閉じたままであっても全てを見通すことができる。
アリアは洞穴の中で荒れ狂う魔力の奔流を見て、思わず息を飲んだ。
「これが何か、わかりますかな?」
「凄まじい魔力が巡っております……以前見たダンジョンに似ているように思いますが……」
「ほう、ダンジョンですか……ガジール辺境伯に軍を供出するよう伝えろ。彼らに中へ入って確かめさせる」
礼を告げることもなく去っていくコラブ公爵。
けれどそれを気にした様子もなく、アリアは顔を青白くさせながら、駆け込むようテントの中へと戻っていく。
「アリア様、どうされたのですか?」
「私の目を使って、詳しく見たのですが……うっぷ」
アリアは嘔吐きながら、水を取って思い切り飲み込んだ。
すいませんと謝りながら彼女はゆっくりと呼吸を整え、そして顔を上げる。
ルベールを見ているようで、彼女はその先にある何かを見つめていた。
「あれは……あれは、私達が相手をしていいようなものではありません。あれと戦おうとするなんて……その考え自体が間違っている」
「……」
アリアは基本的に何かを否定するような人間ではないことをルベールは知っている。
そんな彼女がこれほどまでに言うということは、あの洞穴がそれほどまでに危険であるという何よりの証拠であった。
ルベールは急ぎこのことを配下達に伝達し、くれぐれもあの洞穴の中に入らないよう公爵家の人間達にも改めて注意喚起をしようとしたのだが……残念なことに、その忠言が聞き入れられることはなかった。
「おおっ、これは……」
「噂に聞く混沌迷宮産のポーションではないか!」
ガジール辺境伯の軍が得てきた戦果こそが、彼らが求めていた混沌迷宮産のアイテムに酷似したものばかりだったからである。
彼らの報告に寄れば、中に広がっているのは広大なダンジョンだったという。
出てくる魔物はスライムのみであり、そして出現する宝箱の中からは巷で薬師達が作成しているものとは比べものにならぬほどに高性能なポーションが出現していた。
「やはり新たなダンジョン……しかも話に聞く混沌迷宮と似ているな……」
「なぜここに混沌迷宮が……?」
「サナイグの領民達が一人もいないのもおかしい……ひょっとしてダンジョンに食われたのか?」
聖戦軍を出している代表者達の話し合いが始まる。
この場に立っている参加者は、コラブ公爵、ツヴァイト公爵、グロル公爵、ガジール辺境伯、そしてセガタ勇爵家からの名代として貴族連合を取り仕切っているナリタと聖教会からの代表であるアリアの六人だった。
だがその場に一代表として参加しているアリアは、ほとんど話を聞くことなく目の前に置かれている差し出されたポーションを見つめている。
(なんなの、このポーション……)
今まで何度か話題になったことはあるものの、アリアは混沌迷宮産のポーションを見るのは初めてだった。
アリアはその目で、魔力の流れや物体、生き物の在り方などを見通すことができる。
そのために彼女はポーションの中に込められている魔力の異様さを、直接感じ取ることができた。
それはあまりにも異質で、自分が見たことのあるポーションとはまったくの別物であった。 中に入っている魔力が、なんというかその……むせ返るほどに濃密なのだ。
外面を見ていればほとんど変わりはないのだが、それが彼女には人間と人を真似る魔物のドッペルゲンガーほどの違いがあるように見えている。
「ほほっ、やはりこのポーションは素晴らしいですな」
「うむ、なんとしても数を確保しておきたいところだ」
洞穴型ダンジョンから産出したというポーションをかけた軽肥満のツヴァイト公爵の言葉に、歴戦の将の感のあるコラブ公爵が頷く。
「傷病を治すことを考えても、しばらくの間はここでポーション集めをしてからでも構わないのではないですかな?」
「グロル公爵の言う通りですな。皆で共に果実を分け合うべきだと」
糸目をした商人のような身なりをしたグロル公爵の提案に、一足先にポーションを一定数確保したガジール辺境伯が頷いた。
彼らの目は皆、欲に濁っている。
アリアから見れば彼らは目だけではなく、全身から欲望があふれ出しているように見えている。
「私達としては、一刻も早く魔王を打ち倒したいところですが……仕方ありますまい」
どうやらセガタ勇爵家としては魔王を倒すということに重きを置いているらしいが、多数の賛成意見の前ではナリタも折れるしかなかった。
「この地の占領に関しては、ラインザッツ侯爵を倒してから詳しく決めると致しましょう」
「皆で共同管理にするという形もいいかもしれませんなぁ」
「それだともめ事になります故、利益から徴税した額を皆で分配するという形がもめ事が少ないかと」
高い爵位を持ち経済に明るい彼らは、このダンジョンがどれほどの金を生み出すかが容易にすることが想像できる。
故にその果実に自分達がありつける幸福を噛みしめ、先行きの明るさから笑みをこぼしていた。
こうしてアリアが意見を述べるまでもなく、全体の意見はするすると纏まっていく。
皆この聖戦に、ただ戦争をしに来たわけではない。
彼らは戦って、利益を得るためにやって来ているのだ。
目の前に金塊が落ちていてそれを拾わないような人間はこの場にはいない。
アリアがこの場に立っているのは、聖戦としての旗印として使われるためだ。
だが彼女は自身が見たものを伝えるべく、すっと手を上げた。
「一つ、よろしいでしょうか?」
「ふむ、なんだ聖女アリア殿」
「私はこのダンジョンは放置して、今すぐ先に向かうべきだと思います。そしてもし混沌迷宮がこのダンジョンと同様の作りを持つダンジョンであるのなら……最悪そのまま帰ることも、視野に入れるべきかと」
「……何を、馬鹿なことを」
今回の聖戦の総指揮を執る総大将、ラグ・フォン・コラブがふんっと不満そうに息を漏らす。
これだから聖職者は……と呟いた彼は、まるで出来の悪い教え子に正解を教える意地の悪い教師のような口ぶりで、
「この聖戦には、既に莫大な戦費がかかっている。故にこれを補うための何かが必要なのですよ。どうやら計算に疎い聖女様には、それがご理解いただけないようだがな」
と続け、配下達にダンジョンの攻略を続けるよう命令を下した。
「聖女様の杞憂だとは思いますが、意見の進言自体は素晴らしいことです。あまりお気になさらず」
慰めの言葉をかけるのは勇爵家のナリタだけで、他の貴族達は皆多かれ少なかれ侮蔑の視線を向けながら、アリアの意見を鼻で笑ってみせた。
そのまま会議が終わり、アリアは一人天幕を後にする。
外では既に第二陣第三陣の軍勢がダンジョンの中へ入っており、小隊ごとに中へ入っていく彼らは上官からの臨時ボーナスという言葉に目を金のマークに変えていた。
自身が何を言ってもこの結果が変わらないことはわかっていたため、アリアの方に落胆はない。
人に馬鹿にされるのにも慣れている。
何せ聖女がそういう存在だということを、ある程度立場のある人間は皆知っているからだ。
――聖女には実権がない。
彼女たちは聖教におけるある種の偶像であり、民衆の支持をえるためのアイドルに他ならない。
聖教会における実質的な最高戦力でありアリアもまた強力なスキルを多数持っている強者ではあるが、彼女は聖教会の中で一定の立場こそあるものの、政治的な実権はほとんどない。
民衆向けのパフォーマンスをするためのお飾りに過ぎないこと……そして彼女が替えの効く存在であることを知っているからこそ、彼らはアリアに対して敬意を向けようとしないのだ。
敬意を受けぬことや進言を受け入れられぬことに、今更別に思うところはない。
だが……とアリアは思う。
彼女はダンジョンの中に渦巻いている、混沌とした魔力を見た。
淀み、まるで底が見えぬほどに真っ黒な魔力。
状況証拠や魔力の感覚から考えるに、おそらくあの入り口もまた、混沌迷宮の入り口の一つということなのだろう。
あの中に入り、無事でいられるはずがない。
だが自分は言うべきことは言った。
それがどんな結果で終わろうとも、自分のせいではない。
アリアはもう一度、心の目でダンジョンを見つめようと……。
「――っ!?」
彼女がスキルを使ったその刹那、ほんの一瞬だけダンジョンが自分を見つめた気がした。
そんなこと、あるはずがないというのに……。
だがあの混沌とした魔力を使えば、そのようなことすら可能となるのかもしれない。
アリアは思い出す。
世界に対して宣戦布告を行ったあの混沌迷宮の主、ダンジョンマスターのミツルのことを……。
アリアはまだ見ぬダンジョンの深淵を思い、その背筋をぶるりと震わせた。




