さらば京都
人材派遣会社あさは、最近は珍しい来客に恵まれていた。
今日も例に漏れないラッキー日だったようで、おじゃまするぜと顔を出したのは、思いもしらない人物だった。
「勝先生やないですか! 何でこんな急に!」
「ちょっと京都に用事があってな。それでついでに顔を出そうと思ったわけよ」
「事前に言ってくれたら、京都観光とか事前に手配しときましたのに」
「予定が入ったのが急のことだったからな。だから気を使うことはないってことよ」
さすがに勝先生相手に腐りかけのお茶はまずいと思ったのか、あさはこれみよがしと今ま貰った頂き物を開封しては見繕っていく。
「勝先生は京都はあんま来ないんですか」
「朝廷の狸と話しても時間の無駄だからな。会話が出来るのは一橋(徳川)慶長や、松平容保ぐらいで、後は古い幕府の連中って感じだな」
さらりと水戸藩と会津藩のトップの名前をあげるところが、勝先生の大胆なところでもある。
「でも、勝先生は何だかんだで古い幕府の人にも信頼されてるような気がします。嫌々でも汚れ役を買ってくれるような人柄なんで、古い人も認めざるを得ないんじゃないでしょうか」
「おいおい、勘弁してくれ」
「うちらのような子供とも真摯に向き合ってくれます。自慢出来るような事務所ではないですけど、わざわざ足を運んで貰って嬉しいです」
そう言うと、勝先生は頭を掻きながら困ったような表情を浮かべた。
「いや、実をいうとな、お前達二人に言わないといけないことがあるんだよ」
「何でしょうか?」
あさはあどけない表情で勝先生の方を眺める。
「急な話なんだが、今月一杯で勝塾を閉めることになってな」
僕とあさは同時にえっという声をあげていた。
言われたことの意味が分からず、一瞬、頭の中ぱぁっと白くなる。
それはあさも例外ではないようで、珍しく狼狽しながら噛み噛みでまくし立てていく。
「か、勝先生。そ、それはどういうことですか。し、資金不足が原因ですか。そ、それならうちが何人か京都の有力な人物を紹介します! だから閉めるなんて言わんといてください」
そんなあさに対し、勝先生は苦笑いを浮かべる。
「いや、そうじゃねえんだ」
「それなら、どうしてあんな質の高い塾を閉める必要があるんですか」
「ちょっとだけややこしい話でな。何でもうちの塾生の中に、この前の禁門の変にて長州側として参加しちまった奴がいてな。それが幕府の上の方に知れてしまって、敵に与する者を育てるとは何事かと閉鎖を言い渡されてしまったってこった」
部員の不祥事は、その学校全体の不祥事と考えるのは日本人の伝統である。
不祥事が起きるということは、その組織にはそういう行為をよしとする雰囲気が蔓延っていると考え、一見無関係の人であっても見て見ぬふりをしたということで、集団で責任を取らせるのだ。
確かに勝先生は授業の最中でも平然と今の幕府は駄目だと批判したり、長州藩の人間であろうと平気を受け入れるといった寛大な姿勢を見せていた。
そもそも、塾生筆頭の坂本竜馬が土佐藩の脱藩浪士なのだ。
それでも、あれだけ情熱を持っていた人は僕もあさも知らない。
今のまま続けることが出来ていたら、きっと神戸から日本に誇る海軍を生み出していたことだろう。
「ほんまのことなんですね」
「ああ、これも全部俺の力不足だ。申し訳ねえ」
「勝先生はこの後はどうされるんですか」
「塾生の就職先が一通り決まるまでは神戸にいるつもりだが、その後は江戸に戻ってしばらくは謹慎だろうな」
「勿体ない。勿体ない」
突如、あさの目から、どばっと涙がこぼれ落ちた。
「おいおい、勘弁してくれ。尊皇攘夷の剣士はこれっぽちも怖くはないが、女性の涙には敵わんのだよ」
「こんな優秀な指導者が、活かされないような世の中なんて」
「お前達に関してだが、俺から適塾(大阪大学)への推薦状を書いておこうと思っている」
あさは袖で顔をゴシゴシと拭いて、真っ赤な目で首を横に降った。
「いえ、うちはこの短期間の間に、勝先生や福沢先生のような超一流の教育者を見てしまいました。学門自体を辞めるつもりはないですが、わざわざ適塾で学門を続けるとった中途半端なことはしたくはないです」
「いかにもあさらしい回答だな」
それではと言って、三人で強い握手を交わした。
その一月後に行われた、勝塾のお別れ会は、最後とは思えないほどに盛り上がった。
あさも(未成年だが)ハメを外して飲みまくり、他の塾生と徳川の馬鹿ヤローを連呼していた。
一次会締めの勝先生のお言葉『皆、出世して新しい時代で会おう』には、もう周囲は号泣のオンパレード。
二次会以降はもうどんちゃん騒ぎ。
予想はしてたけどあさは異常に酒に強く、これまた予想通り僕はそんなに強くはないので、見事に途中から記憶がお亡くなりになってしまった。
そして、それから数日後のことである。
「ちょっと家まで来てくれるか」
事務所であさにさらっと言われたので、何も聞かずに付いていった。
二十分ほど歩いて、あさの家に到着した。
あさの実家のある今出川から丸太町に渡る範囲は火の影響は無かったものの、ここから少し下がったところからは七条まで焼け落ちて、現在絶賛復興中であることを考えると、もしこの家に火がついていたら、火の被害はさらに大きな規模で巻き起こっていたことは想像に難くないだろう。
ちなみに冗談かどうか分からないが、もしあさの実家が燃えていたらこの土地はさっさと売っぱらって、別の場所に引っ越すことも考えていたらしい。
「ま、うちの今の経営状況で、家一棟を建て直すなんて余裕はないちゅうことや」
「ううん、今井家でもそうなんだなあ」
「うちは所詮は今井家の端っこやからな」
小石川今井家は十一ある今井家の中では、立場としては中の下ぐらいであることは間違いないが、それでも総本山の規模は、大坂四商筆頭の鴻池家に並ぶ唯一無二の存在であることは間違いなかった。
おじゃましますと言って、家の中に入っていく。
始めはお歳暮のおすそ分けかな、ぐらいの感じだったんだけど、招かれたのは今井家の面々だけの夕食会だった。
別に珍しいことではない。
そう、僕もたまあに呼ばれるイベントではあるのだから。
日常の半分以上を大坂の山王寺家で過ごし、ほぼ出向状態のはつ姉さんもその日は珍しく立ち会わせていた。
テーブルには、間違いなくはつ姉さんが作ったであろう、京都の一流料亭を圧倒しかねないような質と量の食事が運ばれて来る。
晩餐が開始されるものの、珍しくあさと親父さんの商業トークは展開されなかった。
「新次郎くんは将来的には親の家業を継ぐのか、それとも学者の道を歩むつもりなのか」
「い、いずれは家業を継ぐつもりです」
「それではどういうつもりで今は学術に打ち込んでいるのかな」
不思議なことに僕はあさの親父さんに質問攻めにあっていた。
僕がここまで学門や政局の道に足を踏み込んだのは、元々はあさに一度でもいいからぎゃふんと見返してやりたい、そんな意志があったからだ。
色々な出来事を経る中で、僕の方でも考えさせることはあったが、その根本はやはりこの存在だったからだ。
だから、いずれは父親の後を継いで、商業の道に行くのだろうと思っていたのだ。
そんなやり取りが何度も繰り返されたあるタイミングで、突然あさが口火を切ったのだ。
「父上、母上、はつ姉、本日は集まって頂いてありがとうございます。事前にお伝えしていたように私の方から言わないといけないことがあります」
僕は何だろうと思ってあさを見る。
するとあさはゆっくりと僕の方を見る。
今気づいたのだがあさは薄い化粧を重ねていた。
何故だか、胸がばくばくと高鳴る。
「つい先日のこと、この横にいる白岡新次郎に告白されました」
それを聞いた僕は、思わず目玉が飛び出そうになった。
「そう。ようやくその時が来たのですね」
落ち着いたはつ姉さんの様子を見るところ、みんなも予想はついていたものの、正式に言われたことではないらしい。
あさが言っているのは、あの剣士に追い回された日のことで、僕が完全に死を覚悟した時、あろうことか真相心理の一番深いところから取り出したしまった言葉だった。
「あ、あ、はい。はい。確かに言いました。まあ、その切羽詰まった状況で、つい出てしまった言葉なんですが……そうですね、本心だとは思います」
顔面を赤面させながら、何とか言葉を繋いでいく。
「うちはその言葉を受けて、新次郎と結婚を前提とした付き合いをしたいと思ってます」
はつ姉さんが満面の笑みで首を縦に振った。
「ここで言うことではないかもしれんが、お前に幾つかの縁談の話が来ているのを知っているな。それを蹴って新次郎と付き合いたいと言っているんだな」
「はい。ですがこの話は当たり前ながら新次郎の父親の許可がなくては成立せんもんです。彼は知っての通り大坂四商の次男です。だから、まずは認めてもらうところから始めんといきません」
それを聞いて、喉がごくりと鳴った。
これは本当に夢の出来事じゃないのか。
名門の家に生まれたときから結婚する相手は両親に選ばれるものだと思っていた。
まさか、思い願うような相手と、契りを結ぶことが出来ることが出来るなんて。
「父親は、僕が必ず説得します」
「それでこそ男よねえ」
はつ姉さんはうんうんと首を縦に降っている。
「白岡家が大坂四商の称号を頂くような家柄であるならば、今井あさのような、英邁で器量のある女性が伴侶にふさわしくないなど言われるわけがありません」
一連のやり取りを聞いていた、あさの育ての父である今井忠興は苦笑いを浮かべた。
「そうか、お前達はいずれはそういう関係になるかもしれないという予感はあったが、まさかこんな急にやってくるとはな」
「はい、いつも急な話ばかりを持ち込んで申し訳ないとは」
「しかし、今は二人とも京都だが、今後はどうしていくのか」
「いずれは拠点を大坂に移したいと思ってます」
京都に来て三年目のことだった。
関西模試の表彰式で、あさと知り合ってからは四年が経過している。
あさを連れて大坂に戻る。
あのポンスケは京都まで行って、女探しをしてたのかとか言われるだろうか。
小石川今井家の総主、今井忠興はさすがに奮然とした態度を崩さない一方、あさの母親は頬を濡らし続けていた。
「あさもはつも大坂に行ってしまうのですね。十五年の月日は、あっという間のことでした」




