禁門の変(後編)
来島又八衛の戦いもまた、順調に進んでいた。
嵯峨嵐山を出てから、二手に別れて京都御所に向かった。
事前の見積もりの段階では、強敵となりうるのは松平容保自らが率いる会津藩主力と、新撰組の二組だろうという話になった。
新撰組に関しては、囮部隊と偽情報として泳がすことで、伏見桃山におびき出すことに成功した。
そして、もう一方の会津藩主力には、自ら当たることを決意したのだった。
二条通りを西に進んだ、京都御所の蛤御門にて会津藩主力とのぶつかり合いとなる。
少数ながらもアメリカ北軍の主力武器であるスナイドル銃を保有しており、激しい銃撃戦が繰り広げられた。
「撃ちかた、やめよ! 距離を置いて敵の発砲を待て!」
ぶつかり合い当初は互角だったが、銃弾の物量差や実弾を使った実戦経験の有無が大きな差となり、戦闘開始から数十分もしないうちに、形勢に偏りが見えたのを感じた。
前線の兵が後退しはじめたのを見て、押しきれると確信した。
早馬の報告が絶え間無くあがってくる。
新撰組がすさまじい速度で戻ろうとしているのだという。
しかし、伏見から御所まではどう急いでも三時間はかかる。
このままだと自分も久坂もぶつかることはなく、連中から逃げきれることが出来る。
そう思っていたからこそ、『それ』の来訪は、突然のことだった。
北の方角から邪悪そのもののような気が、こちらに向かって南下を始めた。
思わず、その場に立ち止まっていた。
「ほう」
思わず言葉が出ていた。
これほどの激しい気は中々見れるものではなかった。
頭には、すぐに閃く物があった。
そうか、そういうこともあるのか。
しばらくしないうちに、顔面蒼白の斥候が飛んで来る。
「来島様、大変でございます!」
「薩摩が裏切ったか」
「どうしてそれを」
いわずともだった。
頭の中には、過去のやり取りが駆け巡っていく。
そもそも、今回の出兵に関して、必ず手を出さないと最初に宣言していたのが薩摩だった。
外国排除を根強く唱えている考明天皇の言い分を無視し続ける徳川には大儀がなく、長州こそが朝廷の軍勢であるべきという言い分だった。
その時は、ずれている、という印象しか持たなかった。
この国には外国と戦う力はなく、彼らの力を盗みながら競い合う道しかない。
薩摩の発言は十年は遅れた、時代の動きを見損ねたものだったが、今となって思えば十分に疑う余地のあるところだった。
焦りが、そんな初歩的なことを見落とさせてしまったのだ。
そんなことを考えている間にも、周囲には動揺が広がっていく。
「来島様、ご判断を」
兵よりも弾薬の消費のことが気になった。
蛤御門を突破するために、半分近いの弾薬を既に使い果たしている。
薩摩は間違いなく欧州武器を大量に保持しており、勝てると判断したタイミングにて仕掛けてきたはずだった。
久坂からも無理をしないようには言われており、普通に考えれば撤退の一択だった。
その一方で、体に血が駆け巡って来るのも感じていた。
昨年の下関戦争にて、イギリス軍と向かい合ったことを思い出していたのだ。
銃器の質量に置いて圧倒されながらも、自分と大村、高杉の三部隊はイギリス軍を押しに押しまくったのだ。
「迎撃する」
それを聞いた兵の表情に、覚悟の色が灯った。
「既にかなりの銃弾を消費していますが」
「次の時代に向けて、いずれは倒さなくてはならない相手だ。それがここであってもいいことだろう」
それに薩摩の連中が今回の黒幕ならば、いずれは向かい合わなくてはいけない敵になる。
こちらが迎撃するという姿勢を見せると、向こうは急遽速度を緩めた。
逃げ道を急襲するという戦術を想定しており、まさか迎え撃って来るとは思わなかったのだろう。
部隊を四つに分けて、それぞれの方角に散らばらせる。
御所の庭は開けており、北から兵が南下してくるのは肉眼でも確認出来た。
薩摩の兵は横一列に並んでいる。
抱えているのは火縄銃などではなく、最新式のミニエー銃だった。
「煙幕を張れ!」
撤退用に用意していた、煙玉を一斉に展開した。
視界が白く包まれ、それらを紡ぐようにして進んでいく。
向かいから発砲音が聞こえた。
こちらの進む道を予想して、撃ち込んで来ている
「体を低くしろ。当たれば甲冑ごと貫くぞ!」
地の不利は十分に理解していた。
視界が開けすぎている。
短期戦でなければ、絶対に選ばないような戦場だ。
それでも、市街地での撃ち合いに持ち込む考えには微塵も至らなかった。
武士の戦いは、武士の戦場にて決めなくてはならないのだ。
煙幕を張り続け、進んだ。
音を頼りにこちらからも弾を打ち返す。
自らも銃を片手に取って、敵を狙い撃ちにしていた。
戦いの中でも、ただ頭の中は弾薬の消費のことばかりだった。
「まっすぐに進むな! 方角を変えながら進め」
味方の気配が次々と消えていく。
元々逃走用だった煙幕も、十分な数があるわけではなかった。
頭には退くべきだという言葉がよぎり続け、それを振り払っているときのことだった。
「あの煙のところを狙うと。あそこに来島がおると」
その声が聞こえた刹那、敵の砲撃が自分の居場所に集中し出した。
こちらの動きから、指揮官である自分の場所を特定してきたのだ。
弾が左肩を貫通した。
刀で突かれたような激痛が走る。
しかし、頭の中でうごめいていたのは痛みではない別の感情だった。
先ほどの声から、誰が薩摩藩の指揮を取っているのかが判明したのだ。
西郷吉之助(隆盛)。
お前が、この件を裏で操る黒幕だったのか。
二度目の幽閉後に、会って話をしたことがある。
その思想は尊皇でも攘夷でもなければ、佐幕でもない。
驚くほどの器量の広さを見せながら、何を考えているかが全く読めない人物だった。
「射撃準備。支援せよ」
叫び、剣を抜いた。
駆けながら、右手に力を込める。
最悪でも差し違えるという思いで前に進んでいく。
以前に話をした時には、この国をイギリスの植民地にさせないためにも、藩同士が手を取り合わないといけないという我々の考えに対し、強い共感を持ってくれていた。
それが何故ここで出て来る。
何が西郷をこの行動に至らせたのか検討もつかなかった。
出口が見えてきた。
音で隊列に指示を出す。
煙を飛び出た瞬間に、一斉に銃弾を浴びてみせる。
煙の隙間から、外世界の色が漏れはじめる。
それは、二千年もの間、変わらないままの京都の光景だった。
飛び出た。
撃て、出かかった言葉が、視界に入った光景に留めさせられた。
ただ一度、強く歯を噛み締めた。
敵の砲撃隊は、遥か後方に下がっていた。
銃先がこちらを向いている。
その並んだ兵の中で、見覚えのある顔があった。
その男が右手の旗を振り下ろした。
次の瞬間、何かが全身のいたるところを貫いていた。
前に進もうとすると、膝が地面に付いた。
「退け」
そう叫んでいた。
負けが確定した以上は、これ以上の被害を出す必要はなかった。
ほとんど同時、すぐさま第二波が飛んできて、全身に爆発のような衝撃が走った。
気付けば、肘も地面に付いていた。
しばらく静寂が訪れ、足音が近づいてくるのが聞こえた。
「さすが、尊皇七皇の不死身と言われる男と。これだけの銃弾を受けても、まだ生きとるとか」
視界は既ににぼやけているが、その声は確かに西郷吉之助のものだった。
何とか声を絞りだそうとする。
「何故、約束を庇護して我々を攻撃した」
「長州は、自らの弁明のために京都に軍を向けるという、決して許されぬ行為に出た。それだけに留まらず、歴史あるこの京都の街に火を放つという暴挙に出たと」
それを聞いた時、思わずうめき声が出ていた。
「火を付ける指示など出していない」
「現在、河原町丸太町から、烏丸までの広範囲にて大規模な出火が起き、今は町人が総出で消火作業を行っておる。犯人は既に大垣藩の兵によって捕縛されており、お主ら長州藩の兵ということが判明しておる」
そんな馬鹿なと思った。
いざという時であっても暴走する兵が出ないよう、久坂や真木保臣と何度も人選に関して話し合っていた選び抜いたのだ。
それに戦況は優勢で動いていたのだ。
何故この時点で事を起こす必要がある。
そんな時、頭に電撃のようなものが走った。
まさか、と思った。
埋伏。
こちらの軍勢に間者を忍ばせていたのか。
そして、機を見計らって、本体から離脱させ火を放たせるようにした。
長州の権威を地の底まで失墜させ、弱体化を謀るために。
一体いつから、そして何のためにその考えに至ったのか。
薄れいく意識に、喝を入れた。
この男は危険過ぎる。
長州だけではなく、この国を滅ぼしかけない存在だ。
「今まで長州には甘くしとったが、この度の行動は決して見逃せるものではなかと。国を転覆させようとする反逆行為と」
袖に隠した小型ピストルの感触を確かめながら、西郷吉之助が少しずつ近づいてくるのを待ちつづけた。
その男との距離はまだ数十メートルある。
意識が途切れそうになる中、執念だけで踏み止まり続ける。
この国は腐っていた。
吉田松蔭、宮部鼎蔵、佐久間象山、吉田稔麿、梅田雲浜。
次の時代に人々を導かないといけないないといけない人間が、次々と死んでいった。
自分が尊皇七皇として名をあげられたとき、何度も固辞をした。
とてもではないが、他の面々と並ぶ気にはならなかったのだ。
久坂が来て、何度も説得を試みようとした。
松蔭先生はあまりにも純な信念に突き進みすぎたため、命を落とすことになったのだと。
いざという時に、己を守る力を持たねば意味がないのだということを何度も説いていた。
仕切り直しになった尊皇七皇は、久坂を副筆頭としながら、高杉、大村という武闘派も名を並べていた。
三度目の説得の際に、三顧の礼に応えることにした。
「止めはわしが刺すと」
気付けば、西郷吉之助がすぐそばまで来ていた。
体が自然に動いていた。
指に力を込める。
大きな銃声が響き渡った。
西郷吉之助が何が起こったのか、分からないような表情を浮かべている。
その右胸は赤色に染まっていた。
「ピストルを、袖に隠しておったのか」
うめき声と共に西郷吉之助が崩れ落ちていく。
後方から兵が飛び出して来る。
もう手遅れだ。
満足感と共に地面に倒れ落ちる。
十分に生ききったと、そう自分に答えることが出来た。
殿、先に行って待ってます。




