禁門の変(前編)
向かいあった敵からは、全く覇気を感じることが出来なかった。
少し押すだけで道が開け、まるでハリボテのようだった。
それが二度、三度続いた。
始めは半信半疑だったのが、次第に核心に変わっていく。
内通は成功したのだ。
ほとんど無傷のまま五条通りを通りすぎた。
斥候から前方で会津藩(福島県)、桑名藩(三重県)らが守護に当たっているという報告を受けた。
その二藩だけならば、それほどの脅威ではない。
問題は新撰組がどこに出て来るかだ。
宮部先生が殺されたと聞いたとき、何かの間違いだと思った。
あの人が剣での斬り合いで倒されるなど、想像もつかないことだったのだ。
混沌とした京都にて、会津藩預かりの対テロリスト特殊部隊という形でやってきた連中。
過激な取り締まりをすることで長州派の浪士を一掃させ、先日の池田屋にて尊皇七皇の二人を斬り一気に株をあげることとなった。
四条通りに入ると、会津藩の姿が見えた。
木の板を重ね、その奥には火縄銃を構えた兵がこちらを見据えていた。
それを見たとき、胸に悲しい感情が走った。
それはあまりにも時代遅れの姿だったのだ。
江戸時代が始まって三百年。
その間、ずっと同じままで、進化する必要のなかった戦術。
「撃て」
こちらのミニエー銃が向こうの斉射よりも早く火を吹いた。
放たれた木の板を軽々と貫通し、会津藩の兵の胴を貫いていく。
叫び声がこだまする。
見るがいい。
これが近代戦だ。
そして、奇しくも先に開国を叫んだ連中が、手に入れられなかった武器。
当然だ。
この地を植民地にしようと目論む連中が、我々に武器を渡すわけがないのだ。
我々がイギリスとの戦闘で学んだように、彼らもこの戦いから学ぶことになる。
これからの近代戦では、兵の数など何の意味も持たない。
人を何人斬ったか、そんな経験など何の役にも立たない。
ただ、西洋の武器を幾つ持っているか、それだけが戦況を決めるのだ。
会津藩の守りを突破した。
そのまま四条通りを北上する。
早馬が飛んで来る。
来島又兵衛は蛤御門を突破し、京都御所内に突入したという。
「よし、我々は境町御門から突破するぞ」
情報を撹乱させ、一番気にすべき新撰組を伏見に配置することが出来た。
うまくいけば、自分も来島又兵衛も新撰組と戦うことなく進めるかもしれなかった。
恐ろしいほどに、すべてが順調だった。
境町御門の前には桑名藩の兵が並んでいた。
ミニエー銃で一斉射撃した後、正面からぶつかった。
衝撃が走るが、やはり押しきれると思った。
兵の士気が違うのだ。
所詮は帰る場所があり、京都に出張感覚で来ている兵だった。
イギリス海軍と直に戦った我々とは、比べものにならない。
しばらく揉み合った後、囲みを突破した。
味方の兵と共に、御所内になだれ込んでいく。
「邸内に向かうぞ!」
いける。
そう確信をもって、高らかに叫んだ。
自警団を組んで長州兵を打ち払おうと言い出したあさを、二日丸々かけて小藤さんと一緒に説得し、何とか二条近くの高台から様子を見守るという話になった。
「信じられん……幕府側がこうまで簡単に押し切られるんか」
あさはショックを隠せないという表情で座り込んでいた。
他藩が参加せずとも、守りに専念することや、戦力の優位性から六対四で会津・桑名が有利だろうと予想されていた戦いは、長州側に一方的が押し切られる形となった。
ここからでも長州兵が次々と京都御所に入っていく姿が見えた。
「あさの実家の方からも煙があがってる」
あさが僕の言った方角を見て、唇を強く噛んだ。
言うまでもなく、御所近くから煙が立ち上っているのだ。
それも一つや二つじゃない、十近い数だ。
「戦いで起きたのかな」
「何で銃と剣の戦いで火が巻き起こるねん」
あさは平気で実家の方角に向かおうとするので、僕は止めようとする。
「すぐ側で、長州と会津の兵が戦争してるんだよ」
「実家が燃えるかもちゅうのに、こんなところで傍観してるかっちゅうねん」
あさの両親は滋賀の別荘に、はつさんは何故か大坂の山王寺家に避難しているため、もぬけの空のはずだった。
盗難対策のために貴重品等は別倉庫に移したのだが、火が近づいているというなら、持っていきたい思い出の品等があると言い出す。
「けども、今から行くのは危なすぎるよ」
「頼むわ。部屋には勝先生の講義ノートやら、うちが今まで書き溜めてきた日記とか、はつ姉が大事にしてる食器やら、はつ姉との思いでの品なんかも残ってんねん」
そう言われてしまうと、返す言葉はなかった。
結局、あさは僕の弱々しい静止を降りきって、勝手に家の方に向かって出発し、僕はそれに付いていくといういつもの構図となっていた。
「それでも、もし家の近くに軍勢がいたら引き返すよ。それだけは約束してね」
「分かっとる、分かっとる」
道の通りには人の姿はほとんど見当たらなかった。
それでも、遠くから祇園祭のような活気ある声がここまで響き渡って来る。
あれが、殺し合いの声でなかったらどれほど素敵なことか。
小藤さんの姿は見えなかった。
たぶん先行して進んで、道の安全を確認してるんだろう。
近づけば近づくほど、火の出は思った以上に大きな物だったということが分かって来る。
京都は盆地で空気が乾燥しているから、火が付けば山火事のようにあっという間に広がってしまうのだ。
堀川丸太町通りは喧騒としていた。
ガテン系の兄ちゃん達が、井戸から組んだ水でバケツリレーをしている。
「どうなってんねん」
あさが見知った顔に話かける。
「ああ、白岡の嬢ちゃんか。分からん。ここらから一斉に火があがったんだ」
「犯人は長州派の浪士か?」
「他にいないだろう。つくづく最悪な話だな。本当に戦なんてロクなもんじゃない。一刻も早く終わらせて欲しいもんだ」
火はまだあさの実家の方までは進んではいないが、どこにでも広がりそうな雰囲気があった。
あさはそのままの足取りで実家に戻っていく。
僕は周囲の様子を伺っていると、鍵を開けようとしたあさが驚きの言葉を発した。
「おい、扉が空いとる」
「開けっ放しだったってことはないの?」
「いや、間違いなく戸締まりはしたはずや。それに、無理にこじ開けられた形跡もある」
「怖いことを言うね」
あさは音を立てずに部屋の中に入っていく。
僕は護身用の木刀を手に取って、いっちょ前の構えを作り、あさの後ろを音を立てずに忍び足で進んでいく。
あさが、父親の書斎の前で立ち止まった。
そして、人差し指で『静かに』と僕に注意を促していくる。
ここに誰かがいるというのだ。
静かに覗き込むと、父親の書斎を必死に漁っている人の背中が見えた。
この内戦に便乗して、盗みを試みようとする泥棒だろうか。
こ、これは小藤さんを呼ばないと、そう思った途端のことだった。
「そこで何しとんねん!」
時代劇でも見すぎているのか、あさが大声で男を怒鳴り付けた。
男はびくりとし、こちらを振り向く。
風呂敷で顔を包んでいたが、肝心のパーツはがっつり見えており、細身の三十代後半の男性だと思われる風貌だった。
見知った顔ではない。
「おい、何勝手にうちに入り込んでんねん」
あさは何を考えているのか、丸腰のまま男への距離をずんずんと詰めていく。
男はしばらくの間を開けて、逆方向に走りだす。
「おい、待て! 待てちゅうねん」
あさと僕はすぐに駆け出していた。
駆け抜ける直前、僕は視界に入ったものを見て凍りつきそうになった。
男は裏口を突き破って路地に出て、そのまま南の方向に走っていこうとする。
男の走り方はナヨ男のそれで、足元も覚束ない。
あれならば多少の剣術の心得がある僕でも、たぶん取り押さえることが出来る。
そして、捕まえて先ほど見た物の真偽を問いたださないといけない。
あれは、間違いなく油の入った瓶と火付け石だった。
あれで何をするつもりだったのかのは、聞くまでもないことだった。
では、何故そうしようと思ったのか。
自分の意志なのか。
それとも誰かに言われたことなのか。
そんな時、まるであさが召喚したかのように、ジャストタイミングで小藤さんがどこからともなく現れた。
「おお、小藤か。あいつや、あいつを捕まえてくれ」
「すいません。あさ様、少し伝えないといけないことがあります」
「何や」
「実を言いますと、ここ最近、日常において何者かの気配を感じることがありました。京都がこういう状況のため、それほど気にはしていなかったのですが、今、それが明らかな敵意を剥き出しにしました」
「何やと?」
「そして、信じられないことかもしれませんが、連中の目的はあさ様に新次郎様でした。今、ここを取り囲むような動きを見せています」
「は?」
「お二人共、今すぐに三条河原町の方角に走って、顔なじみのある家に逃げ込んでください」
直後、目の前の通りからにゅっと何かが姿を現した。
よく見ると四人の大柄の剣士だった。
それぞれが黒い顔で、太い眉を蓄えている。
「どういうことや」
「あさ様、すぐに逃げてください」
小藤さんの声には僅かに焦りがあった。
「小藤、何でうちらが狙われなあかんねん」
「急いで下さい! お願いします」
瞬時、僕のあさの手を取って引っ張っていた。
何かが起きている。
今まで、想像もつかなかったようなことが今僕らの周りで起きようとしている。




