飛んで火に入る夏の武士
来島又兵衛と別れてから、早急に準備を進めていた。
自分の役目は、残った京都内に潜伏する長州浪士を集めることにあった。
今回は一点突破に重点を置いていたため、数に恃むのではなく、質の高い兵を集める必要があった。
情報が独り歩きしないよう、複雑な暗号を使い、詳細な情報や各隊に指示してゆく。
計画では、八月十八日に来島の兵が嵯峨嵐山に、我々は山崎の方面に集まることになっていた。
そんな中のある日、家の外からこちらを呼び寄せる強い気配を感じた。
外に出ると、一人の人物が屹立していた。
「坂本か」
「おう、久坂、久しぶりじゃのう。元気にしちょったか」
「この状況で元気だったら、ただ正気を疑うだけだな」
「随分とひどい顔をしちょるな」
「よくこの場所が分かったな」
「そうじゃの。あらゆる人脈を使って、ようやく見つけだしたぜよ」
滞在場所は限られた人間しか知らないはずだった。
それでも、この男なら何を成したとしても不思議ではないという感覚がある。
「宮部先生のことはもう聞いているな?」
「あれほどの人物を失う戦が、如何に馬鹿げちょることか。喜ぶのはただ西洋一国のみ。歓喜に酔う者共の目を、一刻も早く覚めさねばならん」
「頭では分かっていても、体は言うことを聞かん。この煮え繰り返った腹をどう抑えればいいか」
坂本龍馬は少しだけ、首を傾けた。
「考明天皇を奪取する計画を、継続させておると聞いたぜよ」
「宮部先生の残した意志だ。これを遂行することは、後を継ぐ我々の責務でもある」
「お主らが、各藩と口裏合わせを進めとることは耳に入れちょる。しかし、それに関して、一つ言わなくてはいかんことがある」
「何だ」
坂本龍馬は視線を逸らした。
蝉の泣き声が耳に入ってくる。
「イギリスがオランダ、アメリカらの軍艦を引き連れて横浜を出発した。目的地はお主らの故郷、下関(山口)ぜよ」
「何だと」
そんな情報は入って来ていなかった。
坂本がどこからその情報を仕入れてきたのか。
しかし、それ自体は大きな問題ではなかった。
「タイミングが良すぎるぜよ。イギリスのオールコックによる独断行動にも見えるが、その裏にはこの国の人間が関与しているようにも見える」
「徳川の人間か?」
「それ以外には考えられないと思うが、違う気がするぜよ。小栗忠順を先頭とする幕府側はフランスと懇意にしちょって、イギリスを動かせるような人間は見当たらん。それに、幕府がこの件を主導しているのであれば、すぐにでもこの情報を広め、京都では長州包囲網を張っとるはずじゃ。驚くことに京都のいるほとんどの藩が、この情報を掴んでおらんらしい」
「国内の藩はイギリス海軍が進んでいることを未だに知らん」
「その通りぜよ」
不気味な感触が背中を這っていた。
全く見えない何者かが、動いている。
「言いたいことは、進軍の取りやめか」
「既に動かし始めた軍勢を、それをわしの直感だけで止めるなどと、組織に属したことのないわしでもどれほど難しいことか分かるきに。それでも、嫌な予感がするのぜよ」
目をつぶる。
様々なことが頭の中をよぎった。
来島又八衛だけならば、説得出来るかもしれない。
しかし、大半の浪士は納得はしないだろう。
何組かは確実に暴走し、京都御所に突撃することになる。
尊皇七皇の二人が指揮を取っているからこそ、長州浪士が一丸になっているのだ。
次の戦いで、命を捨てる覚悟を決めた者もいるはずなのだ。
宮部先生ならどう言っただろうか。
きっと全く目線の違う考え方をしたはずだ。
「もしも、他藩がこの情報を掴んでないのであれば、依然としてチャンスに変わりない。考明天皇を長州に連れて行くことが出来れば、攻めてきたイギリスに対して朝廷の立場として交渉を行うことが出来る。徳川がフランスと組み、我ら長州はイギリスと組み、日本は綺麗に二つに別れるように見える。幕府は朝廷を後ろ盾にした我々を攻撃することは出来ん。その間、我々は倒幕という旗をあげてイギリスから武器を仕入れる。が、その武器はいずれ海外列強と戦うためのものだ。我々が軍拡を進めれば、古い体質が纏わり付いた幕府は、我々に対抗するために、優秀な人材を起用せざるを得なくなる。そこで、ようやく日本の未来に関しての話し合いが始まるのだ」
筋道は描けたはずだった。
しかし、坂本は相変わらず渋い表情を浮かべたままだった。
「だからこそきに。敵側にその流れを看破するものがおれば、これほどの罠はないぜよ」
「来島殿には気をつけるように伝える。あの方ならば不穏な空気に最初に気くだろう。そして、状況に応じた判断に関しても、これ以上にない人材だ」
「尊皇七皇の中でも、高杉晋作や大村益次郎と並んで、最強と言われるか来島又八衛か。確かにこれ以上にない人材じゃきに。しかし宮部先生のような方でも死ぬ時は死ぬ。久坂、退くことを恐れるな。久坂の名は既にイギリス大使の間でも知れわたっちょる。天皇の名などなくとも、十分にイギリスと交渉出来るきに。何があってもまずは生き残ることを優先せよ」
首を縦に振った。
それで、話は終わりだった。
「坂本の方こそ、最近はどうなんだ」
「勝先生の下で毎日座学と実習の日々ぜよ。オランダの蒸気船は一通り操作出来るようになったきに。もうしばらく勉強した後は、しばらくは幕府に世話になるつもりぜよ」
「そうか」
「勝先生から推薦を貰っちょる。京都になるか江戸になるかは分からんが、今度は徳川の中で話の分かる人材を探そうと思ちょっとる」
「勝塾の環境はどうなんだ」
「入学試験はあるものの、面接重視でやっちょる。入ってくるのは面白い学生ばかりじゃ。それこそ漁師なんぞは、ちょっと教えれば蒸気船を簡単に操るきに。他にも、京都からわざわざ通って来るような商人の娘なんかもおる」
「商人の娘?」
「新しい考えを学ぶには、若い方がいいのだとつくづく思わされるぜよ。おなごだと馬鹿にしちょると、あっという間に追い抜かれるきに。いずれば身分だけではなく、男女も平等になる時代が来るかもせんのう」
そう言った坂本龍馬は、少しだけ笑った。
「今でこそ尊皇は武士の争いへと政治利用されているが、松蔭先生はただ純にその国の夢を描いていた」
「一刻も早く武士の争いを終わらせんといかん。今回の進軍。そしてあと一回か、二回。それでこの内戦は終わりにするぜよ」
そして、坂本は背を向けた。
もちろんだと、心の中で語りかけた。
京の町は大騒ぎになっていた。
長州(山口県)の少数軍勢が突如、嵯峨嵐山と山崎の二カ所に現れたというのだ。
池田屋の一件で、暴走した長州の兵が集まったという説が大方だった。
「暴走兵なら、すぐに鎮圧されるでしょ」
「それが怪しいんや。動きとか見てると、指揮しとるのは素人やない気がする」
「あさって白井家の箱入り娘だよね。いつから軍師属性を身につけたんだっけ」
「単なる直感や。暴徒なら連携が取れてないはずや。それが隊列に乱れが見られん」
しばらくして、調査に出ていた小藤さんが戻ってきた。
その指揮官の名前を聞くと、あさが飛び上がった。
尊皇七皇筆頭の久坂玄瑞に、来島又八衛が出て来てるというのだ。
率いる兵の数は八百で、幕府側はその十倍近い数を守備隊として展開しているのだという。
「どどど、どうしようあさ。戦争だ! 京都で本物の戦争が起きちゃう!」
「おい、少しは落ち着け童貞。慌てても何か変わるわけでもないやろ。で、小藤。連中の目的は一体何や」
「今洗っているところですが、情報がかなり制限されているため、調査に少し時間がかかりそうです」
小藤さんは申し訳なさそうに首をうなだれたが、僕らとしては小藤さんで無理ならただお手上げだと白旗を振って、思考停止になるだけだった。
しかし、以前は小藤さんが分かりません「(゜ペ)なんて返事をすることはほとんどなかったので、それだけ相手の質が変わってきたということなのだろう。
穏健派として知られていた宮部鼎蔵がいなくなった今、師匠の復讐だと闇雲に突っ込んできて、京都を火の海に変えようとしてくるかもしれない。
手掛かりのないあさは、そのまま新撰組のところに足を運んだ。
壬生寺はさすがに騒然としていた。
新撰組の連中が出入りを繰り返し、その中心にいた近藤局長は慌ただしい様子で、指示を飛ばしつづけている。
あさの存在に気づいた近藤局長は、部下にすぐに戻ると言って、こちらに駆け寄ってきた。
「見ての通り、時間を取ることは難しい状況です」
「三分でええ。それ以上はかけん」
「それならば、何とか」
「まずは連中の目的や。何でここにきて大軍を動かす気になった」
「長州藩の目的地は京都御所。その目的は考明天皇の奪還のようです」
それを聞いたあさは(○o◎ )みたいな顔を浮かべた。
「何やて」
「今までもずっとこれが目的だったのでしょう。ここにきて今まで蓄えてきたカードを全部切ってきたようです。一見だと、戦力差は五倍以上開いているように見えますが、恐らく裏工作は済んでいて、兵を出している藩も傍観する可能性が高いです」
「会津、桑名藩以外は傍観するっちゅうことか」
「長州が裏で朝廷と繋がっているという噂も流れているのに加えて、尊皇七皇の中でも最強と評される来島又八衛が名を連ねていることで、各藩はかなりの及び腰です」
「まるで関ヶ原の戦いやな。で、その場合は、会津、桑名藩のみで迎撃するちゅうことか」
近藤局長は首を縦に振った。
そうなれば戦力的には互角、いや、実戦経験の少ない徳川側が不利な状況かもしれない。
「話し合いでの解決は?」
「進軍に対して何の抵抗もしなければ、攻撃はしないという連絡が来ました。会津藩主の松平容保様は激昂して、破り捨ててしまいましたが」
あさはそうかと言った。
「京都御所は街の真ん中に位置しとる。今の話やと、長州軍が市内に入ってくるのは避けられんちゅうことやな」
「そういうことになります」
「うちらが出来ることは自宅待機だけや。それで十分やろか。京都市内まで攻めて来るということは、相当追い込まれてるということや。万が一、火を放つなんてことは」
「普通ならばありえないことですが、追い込まれた兵が何をするかは想像も付きません」
決行日の前後は河原町から四条までのどこのお店も定休日が相次ぎ、客足も遠退くことは間違いないことだろう。
まさか生きてる間に、京都市内での内戦を経験することなど想像もつかなかった。
これは本当に武士だけの戦いなんだろうか。
そのうち、僕ら商人のところにも影響が及ぶような戦いになってきてるんじゃないだろうか。
むむむ、難しいことを考えると頭が痛くなるので一旦思考を停止させよう。
あさは畳みかけるように、現状の戦術や自衛に関する質問を近藤局長に投げかける。
さすがに機密上話せない物も多いのか、近藤局長は珍しく言葉を濁す光景も見受けられた。
そして、あっという間に約束の三分がやってきた。
「すいません、我々の情報が役に立てたかどうかは、怪しいところですが」
「いや、うちらも小藤以外にあてがない中で、十分過ぎる情報を与えて貰った」
「それならばよかったです」
それでタイムオーバーだった。
帰路中、あさは得意の何かを企むような表情を浮かべている。
「ねえ、何か変なこと考えていない」
あさからは何の返事もない。
全身から真っ黒な不吉オーラが湧き出ているような気がする。
そりゃああさ(実質はほとんどが小藤さん)は天誅組の浪士二人を暗殺したという輝かしい実績はあるものの、去年起こった天誅事件とはレベルが違う。
軍と軍の競り合い、言ってみれば軽い戦みたいなものなのだ。
外を出歩いていたりするだけでも命が危ない。
今回は、僕(と小藤さん)が体を張ってでも、あさを止めないといけない。
強い意志を心の奥にしまい込む。
そんな僕の気持ちを一ミリも知らずなあさは、閻魔大王みたいな顔で二条通りを闊歩していた。




