余韻と予兆
号外が飛び回り、しばらくの間、京都市内を興奮に満ちていた。
幕府の公式見解は、京都を火の海にして、松平容保の暗殺を目論んでいた尊皇攘夷の過激派を一掃した、という物になっていた。
会津藩や桑名藩(三重県)が偽情報に見事に泳がされる中、新撰組だけが見事に敵本体を見つけだし、僅か少人数にて途中を試み、テロリスト達をばったばったと斬っていったのだという。
その分かりやすいプロパガンダに、新撰組は瞬く間に時の人になっていた。
京都の子供達はその名をヒーローの象徴として受けとめ、近くの公園では子供達は木の棒を片手に、『土方歳三、参上!』と叫び、沖田総司はすぐに血を吐いて倒れる、みたいな池田屋ごっこが流行っているのだという。
壬生寺には毎日サインを求めるファンが行列を成しているという。
しばらくの間、尊皇攘夷の追っかけに明け暮れていたあさは、あの後しばらくの間、燃え尽き症候群を患っていたが、持ち前の関西随一の立直りの速度を見せ、今では人材派遣の仕事に精を出すようになっていた。
ここ最近、仕事においても、学業においても、時事ネタに関しても、本当に色々なことが駆け巡っている。
僕は何となくあさの後ろに付いているだけなので、そこまでの影響は受けてないつもりだが、それでもしんどくなるときがある。
だから、全部真っ正面から受け止めようとしている、あさの思春期バロメーターは常に上下に振り切れていることだろう。
その一方で、一連の出来事を経て自分の視野は明らかに広がったものの、それが本業である商人の跡取りという立場に、どれくらいいい影響があるかは分からなかった。
どう足掻いたとしても、二人とも商人の家の子供という立場を捨てれるわけがない。
学者にならない限りは、ただ政局に詳しい商人の子供というだけの話である。
あさはぺらぺらと書類をめくっている。
「新撰組の入隊希望者が激増しとるな」
「ベタで分かりやすいよね」
「それも面白いのが、今まではせいぜい浪士志望しかなかったのが、今や調理師や、専業医、マッサージ師といった、住み込みで働きたい人も増えとるってことや」
「月9ドラマで題材にした仕事の就職倍率が、突然はねあがるみたいだね」
「新撰組が百人にも満たない駆けだしのベンチャーってのが、夢を感じられるんやろうな。これからまだまだ伸び代を感じられるんやな。これからも増えてくやろうな」
「それは嬉しい話ですね」
入口から声が聞こえたのでそちらを振り向くと、近藤勇局長が立っていた。
「どうしたんや。時の人がわざわざこんなボロ事務所に訪れるなんて」
「近くまで用事で立ち寄りまして、いつもお世話になっていますので」
「まあ、適当に座ってえや」
近藤局長は、これが椅子かな? という表情で、空のみかん箱の上に座りこむ。
「飲み物やけどエナジードリンクでええか」
「お茶は無いんですかね?」
「いつが消費期限かわからん茶葉しかないけど、それでもええか」
「お勧めのにします」
そう言われ、あさは嬉しそうに独自ブレンドの漢方で作ったエナジードリンクを茶碗に注ぎ、それを来客用のボロテーブルの上に乗っけた。
「凄い臭いですね」
「マムシにスッポンに、ヘルシアにドクダミを混ぜ合わせとる。徹夜の必需品やな」
「こんな物をいつも飲んでいるんですか」
「体がもたんからな。けども今はそっちの方が忙しいやろう。何せ時の人やからな」
「ありがたいことに。今は雑誌の取材やら、ポスター撮影とすっかりアイドル扱いです。剣を振る時間もありません」
それを聞いたあさは、まるで寿命カウントダウンをしに下界に舞い降りた死神のような、不気味な笑みを浮かべた。
「ふんだんに顔を売っては資金集めに忙しいみたいやな。今の京都守護職という立場に落ち着かず、もっと先のことを考えてるように見える」
「今の新撰組は、テロリスト対策斑以外の何者でもありません。混沌した状況があるから需要があるだけです。長州が滅んだ後に、会津藩から切り離されることは自明なことです」
「その先のことは見えてるんか」
「口に出すほどのものではないですが、あさどのならばある程度の推測は出来ているかもしれませんが」
「朝廷の軍勢か」
近藤局長はドーピングコンソメスープを口をし、静かに首を縦に振った。
「藩への依存から離れ、外国と渡り合える組織を結成する。それこそが我々の目的です」
「国軍」
「ですが、まだそれは私の心の中に埋め込んだ夢です。口にするものではありません」
「楽しみに待ってるわ」
未来からやってきた猫形ロボット二体が、これからの歴史を振り返るような、独特な間が周囲を制圧していた。
「新撰組組長、近藤勇に一つ、頼み事がある」
「我々が協力出来る範囲でありましたら」
「先日あがっていた京都放火の噂の中で、京都、もしくは大坂で関わっていた商人がいないかの調査して貰いたいんや」
それを聞いた近藤局長は、訝しげな表情を浮かべた。
「商人?」
「もしもの話やけど、うちらの同業者が武士の戦いに便乗して、力で物事を解決しようとしていていたのならば」
「追い詰められた者が、力で解決しようとすることは、自然なことではないのですか」
「どんな事情があろうと、商人の世界では、力に頼ることは許されんことなんや」
「商家の世界とは、難しいものなのですね」
「何があろうと犯したらあかんルールや。もしそれを破ったもんがおるなら、うちも相応の対応を考えなあかん」
近藤局長は笑みを浮かべた後、ドーピングコンソメスープに口を付け、スッパマンの表情を作った。
「あさどのは京都の町に蜘蛛の巣のようなネットワークを張っておられます。外の我々が調べるよりも、効率のいい方法を既に知っておられるのでは」
「前の一件で評価してるんや。地元の人間が思いつかんような方法で敵の正体をあぶり出そうとするということを」
三井家を始めとする、京都の老舗商人を陥れる気だったのであれば、相当な大掛かりの下準備を重ねているはずだった。
宮部鼎蔵が長い間に渡って仕込んでいた罠を、僅かな期間で看破した。
僕らとは違う世界に生きている彼らの感覚を、あさは試してみようとしているのかもしれない。
「わかりました。何人かに調査を当てようと思います。何かが分かり次第連絡をさせて頂きます」
「よろしく頼むわ」
残ったドーピングコンソメスープを一気に飲み干した近藤組長は、ゆっくりと立ち上がった。
「また書類の方を送らせて貰うわ。ただ、もう人材紹介なんて必要のない組織になってまうかもしれんけどな」
「いえ、志願者が溢れかえってしまっても、すべての人間を見る時間はありませんので。引き続きあささんの方で、人数で絞って頂けるのは非常に助かります」
「了解や。剣が使えんくとも、一芸に秀でた人間がおったらそういうのを回すようにするわ」
「これからもよろしくお願いします」
近藤局長は頭を深く下げ、それから部屋を出て行った。
その報告を聞いたとき、何度耳を疑ったか分からなかった。
宮部先生が殺された。
嘘としか思えなかった。
実感として沸いて来る物は何もなく、何かの意図があって死んだ振りをしているのだろうと考える方が、よっぽどしっくりくるくらいだった。
今でも、ふと顔を出しては「文くんは元気かい」と言ってきそうな気がしてならないのだ。
安政の大獄も、寺田屋も、迫り寄る危機を逃げきった。
いつもふわふわとしていて、死という言葉が全く似つかわしくない人だった。
指揮系統は、尊皇七皇の次席だった自分、久坂玄瑞のところに移っていた。
情報を吸い上げながら、状況を把握しようとする。
京都市街の長州派の統制は、混沌を極めていた。
これまでは宮部先生がアリの巣のように張り巡らされた情報網をまとめ上げていたのだ。
宮部先生と同じことが出来ないことはとうに分かっていることだ。
ただ、自分が出来ることに専念すべきだった。
長州の過激派からは、今回の池田屋の件で武力行使に踏み込むべきだという声が一層強くなり、行動を自重するよう指示を出しても、命令を拒絶してくる隊が後を絶たない状況となっていた。
ほとんど不眠普及での活動が続いていた。
早朝から朝にかけて、僅かに横になるのが唯一の睡眠時間だった。
尊王七皇の一人である、来島又兵衛が巨漢を揺らしながら訪ねてきた。
「随分と苦労をかけさせているな」
「松下村塾にて肩を並べた吉田稔麿に、松陰先生亡き後に我々をここまで導き続けてくれた宮部先生を一夜にして失いました。仕事に忙殺されねば、ここまで普通の精神を保つことは出来なかったでしょう」
「二人の代わりは何人にも務まらんことは自明なこと。しかし、それでも組織は止まることなく動きつづける」
「そして、我々の目下の課題は大義名分を失いつつある尊王攘夷の名誉を取り戻すこと」
来島又兵衛は首を縦に振った。
「今回の池田屋の件で自暴自棄になっている浪士の数は少なくはない。把握しているだけでも、武装決起に走ろうとしている尊皇攘夷派の浪士が三組いる」
「連絡を絶った者の数だけならば、その何倍もいます」
先のない無謀な決起は、絶対に許されないことだった。
逆風の今だからこそ、慎重に行動しなくてはいけないのだ。
来島又兵衛は髭をさすりながら、何かを考えているようだった。
「岩倉具視から連絡があった」
「岩倉郷から?」
「早急に考明天皇を連れ戻すようにしたいとのことだ」
「岩倉具視は慎重派で、事を起こさないことを要求してくると思いましたが」
「長州と朝廷の関係性の洗いだしが進んでいて、奴のところまで身辺調査が及ぶかもしれないということで焦りが見える」
「池田屋の一件で、京都御所には会津藩(福島)、桑名藩(三重)、大垣藩(岐阜)、薩摩藩(鹿児島)が護衛に入っています。これらの目を盗んで考明天皇を連れ出すというのは難しく、連中を蹴散らすとなるとこちらもそれなりの兵を用意する必要があります」
そう言うと、来島又兵衛は首を縦に振った。
「そこに関しては岩倉具視が既に根回しを進めているとのことだ」
「根回し?」
「今後の我々の行動に関しては、会津藩以外は干渉しないことを約束して貰っているらしい。他藩は我々が進軍する際には、素通りを容認するとのこと」
「本当なのですか」
「何人か斥候を飛ばしているが、どうやら嘘ではないようだ」
大胆さの中に繊細さを兼ね揃えた人物で、この男が言うのであれば間違いないことだった。
「そうなれば、進むとすれば敵は会津藩のみになります」
「その通り。そして、会津藩はわしが引き付ける。久坂はその間に考明天皇を奪取せよ」
そう言われた。
ただ頭を下げるしかなかった。
「いつも、汚れ役を申し訳ありません」
「何、ただそういう役回りが得意なだけだ」
来島又兵衛は、遊撃隊と呼ばれる高杉晋作の奇兵隊と並ぶ長州最強の武装兵団を擁しており、去年の下関戦争においてはイギリスの歩兵部隊と唯一互角に渡り合った存在である。
尊皇七皇の中でも最強と名高く、白兵戦では未だ不敗の存在だった。
「それに、敵が会津だけならばわしだけでも十分に蹴散らすことは出来るだろう。懸念があるとすれば、ただ一点」
「新撰組ですか」
「宮部先生を斬るなど、およそ想像も付かない域の剣豪がいるということだ。この時代にしか生きれぬ連中だが、それがこの国の運命をも変えかえんということだ」
「彼らもまた草莽の志なのでしょうか」
「あわよくば、もう少し広い視野があればと願わんばかりだが、決してそんな生き方は出来ぬ連中なのだろう」
そう言って、来島又兵衛は立ち上がる。
小汚い達磨のように見えるが、剣を取ればたちまち鬼神に生まれ変わる。
誰かと打ち合って負けるところなど想像もつかない。
「気をつけて下さい」
「久坂、この国の未来のために進むぞ。勝負は一瞬だ。半日でカタを付けてみせる」




