第7話 捕獲
「団長? どうしてここに……?」
振り向くと、そこにいたのは旅装姿のクロイツ団長だった。
ここまで走ってきたのか額には汗が光り、肩で大きく息をしている。
妙な迫力に思わず一歩後ずさると、団長は険しい顔のままこちらににじり寄った。
「あー……そりゃああれだ。無断欠勤している部下を連れ戻しに来たに決まってんだろう」
「無断欠勤って、私は退職届を」
「いや待て。悪い。違う。違うんだ。俺が言いたいのはそうじゃなくてだな」
団長はそこで言葉を区切ると姿勢を正し、その場で深く頭を下げた。
「マーガレット・ブライトン男爵令嬢。このたびは、紳士にあるまじき振る舞いによって貴女に不快な思いをさせてしまったことを、心よりお詫び申し上げる。本当に申し訳なかった」
騎士の最敬礼にも等しいその姿に、思わず目を見開く。
騎士団長という立場上、団長が誰かに頭を下げることは滅多にない。少なくとも、私が入団してからは一度も見たことがない。
そんな彼がこうして深く頭を下げるのは、自分に非があったことを認めているからに違いない。
呆然とその姿を眺めていた私は、しばらくして顔を上げた団長に、ずっと気になっていたことを尋ねてみた。
「……団長、私、どうしても知りたいことがあるんです」
「なんだ? なんでも聞いてくれ」
「あの日、なぜ私にあのようなことを頼んだのでしょう。オブライエン補佐官ではなく、私に頼んだ理由を教えていただけませんか」
「あー……それはだな」
気まずそうにガシガシと頭を掻いていた団長は、やがて観念したように息を吐いた。
「まずは、俺が壁に埋まっていた件から説明するべきだろうな」
「あっ!」
団長の言葉に、冷水を被ったように顔から熱が引いた。
あのとき、団長の臀部に気をとられて失念していたけれど、本来なら執務室の壁に異常が現れたことを疑問に思い、真っ先に対処すべきだったのだ。
「おっしゃる通りです。団長の執務室にあのような穴が出現するなんて、由々しき事態でした。一刻も早く宮廷魔導師に調査を依頼すべきだったのに、私、なんてことを」
「大丈夫だ。原因はわかってる。あれは俺が宮廷魔導師から預かった、対魔物用の罠を試していたんだ」
「……え?」
思いがけない言葉に、私は目を瞬いた。
「ええと、つまり罠が誤って作動した、ということでしょうか」
「違う。俺が罠の強度を確認するために、わざと作動させたんだ」
宮廷魔導師から預かった対魔物用の罠。
強度を確認。
わざと作動させた……?
それらの言葉から導き出される答えは、つまり……
「……あのとき、抜け出そうと思えば抜け出せた、ということですか」
「……ああ。これは言い訳になるが、ほんの出来心だったんだ。お前が来たことに気づいて驚かせてやろうと、ただそれだけだったんだ。……あのときすぐに種明かしすべきだった。本当に悪かった」
「そう……だったんです、か」
あの日、平静を装っていたけれど、私はかなり動揺していた。
執務室の扉を開けたら団長の下半身が壁から生えていたのだ。あれを目にしたときの心境は、筆舌に尽くしがたい。
聞こえてくる団長の声が普段と変わらなかったから、かろうじて冷静でいられたけれど、そうでなかったら取り乱し、悲鳴を上げていただろう。
だけど、ずっと引っかかっていたのは別のことで──
「私、とてもショックだったんです。もし部屋に入ってきたのがほかの女性だったら、団長はあのようなことは頼まなかったのではと。……私は女だと思われてないのでは、と」
「んなわけねえだろう!」
勢いよく両肩を掴まれ、あまりの迫力に思わず身体が竦む。私の顔を覗き込んだ団長は、はっとしたように手の力を緩めた。
「すまん、そんなに痛かったか?」
「い、いえ、これは違うんです。あの、見ないでください」
「……な女を泣かせるなんて、俺は最低だな」
「……え? なにか言いましたか?」
「いや、大したことじゃない」
太い指がためらうようにそっと顔に近づき、頬に伝う涙を拭う。
剣を握るために硬くなった指先は、見た目に反して驚くほど優しい。
「ほんの悪戯のつもりだったんだ。俺が壁に嵌まっていたらお前がどんな反応をするのか、ただそれが知りたかったんだ。はは、女性をからかうなんて、ガキみてえだよな」
「団長……」
「遠征から戻ってお前の退職届を見たときは、愕然としたよ。それで、俺がお前にどれだけ酷いことをしたか自覚したんだ。オブライエンにもしこたま絞られた」
不器用な指が、今度は反対の頬を拭う。
こんなふうに団長に触れられたことなんて、今まで一度もなかった。普段なら仕事中に肩が触れただけでも意識してしまう相手が、今はすぐ目の前にいて、まるで壊れ物でも扱うように私の涙を拭っている。
その事実を理解した途端、涙とは別の熱がじわじわと頬に集まっていくのがわかった。
「俺が団長になってから四年、お前はずっと側にいて、なにかやらかすときちんと叱ってくれた。だから勘違いしたんだ。なにをしても許してくれるだろうと。だが、貴族の令嬢におっさんのケツを触らせるなんて、どう考えたって許されざる行為だ。他の男が同じことをさせていたら、俺が半殺しにしてただろう」
団長はふっと自嘲するように口元を歪め、すぐに真剣な表情に戻った。
「せめてもの償いと言ってはなんだが、ブライトン事務官の望むものを用意しよう。なんでも構わない。ほしいものがあれば言ってくれ。だから頼む。もう一度、騎士団に戻ってきてくれないか」




