第6話 私がほしいもの
「はあ……暇だわ……」
その日、散歩に出た私は、目の前の丘陵に散らばる羊を眺めながら小さくため息をついた。
王都を出てからからはや十日。私はなにをするでもなく、手持ち無沙汰な日々を過ごしている。
今日だって父とヘンリーを手伝おうと執務室に行けば追い出され、それならと母と慰問に行こうとすれば、あなたの好きなことをしなさいと言われる始末。
アリッサと双子は領地の友人たちに会いに行き、私ひとりが行き場をなくした状態だ。
(私がやりたいこと……かあ)
好きなものなら答えは簡単だ。チョコレートに甘いワイン、お肉なら鶏が好きで、キャサリン・ペイジの新刊がなによりの楽しみだ。
勉強は純粋に好きだった。在学中は試験で首位を取ることに夢中で、そのことばかり考えていた気がする。
(そういえば学園では、女のくせに可愛げがないって、よく言われたっけ)
団長に会ってからは、少しでも憧れの人の近くにいたいという思いが、新しい目標になった。
夢が叶って騎士団に入ってからは、毎日が充実していた。団長の声が聞けるだけで嬉しくて、すれ違うだけでドキドキして……
だから団長付きの事務官になれた時は、飛び上がるほど嬉しかった。
(……遠征は無事終わったのかしら。一週間の予定だったから、何事もなければもう王都に戻ってるはずよね。本来なら今頃は遠征後の休暇中のはずだけど、ちゃんと休んでるのかしら……)
「……って駄目ね」
なにかの拍子についクロイツ団長のことを考えてしまうのは、もう職業病のようなものかもしれない。我ながら重症だと苦笑する。
思い起こせば六年前。胸を高鳴らせて第一騎士団の門を潜った私を待っていたのは、とんでもない男社会だった。
王国の盾となり剣となって戦う騎士団は、力が正義の縦社会。事務官であり、しかも女である私が歓迎されるはずもない。
侮蔑の眼差しにあからさまな差別、そして露骨な嫌味。一対一で話すぶんにはまともなのに、どうして集団になると騎士はああも愚かになるのだろう。心の底から不思議でしかたない。
それでも、私は黙々と仕事をこなした。
いったいいつからあるのかわからない書類の山を崩し、少しずつ騎士団内の業務を改善していく。
まずは、今までばらばらだった報告書のひな形を統一することから始めた。それから徹底的に無駄な手順を減らし、煩雑だった手続きをひとつずつ簡略化していく。
一度便利になってしまえば、誰しも以前の面倒なやり方には戻れないものだ。
そんなふうに少しずつ自分の仕事が認められていく中、私は団長付き事務官に抜擢された。
「マーガレット・ブライトン事務官だな? 知ってるとは思うが、アシュレイド・クロイツだ。よろしくな」
見上げるほどの長身に、鍛え抜かれた逞しい身体。冷たく見えた琥珀色の瞳は、近くからだととても温かな色をしているのがわかった。
遠くから見つめていた憧れの人が自分の目の前にいる。しかも、私の名前を覚えていてくれた。
人懐っこい笑みを浮かべながら差し出された大きな手を前に、私は胸の高鳴りを抑えられなかったことをよく覚えている。
(ふふ、あのときは本当に嬉しかったな……)
彼の側で働くようになってからは、それまで見ていたのは彼のほんの一面でしかなかったことがよくわかった。
下ネタは大好きだし、食い意地も張ってる。寝坊した日は寝癖をつけたまま現れるし、暑がりなのか人前で平気で服を脱ぐ。
困るとがしがしと髪を乱す癖。なにか悪巧みをしているときに決まって浮かぶ、意地悪そうな笑み。
剣を振るうときの鋭い眼差しも、騎士たちを率いる凜々しい姿も、だらしないところも、全部ひっくるめて好きだった。
私に平気で下ネタを言うのも、だらしない姿を見せるのも、気心が知れた仲になれたからだと思っていた。
でも気を使わない相手ということは、裏を返せば女扱いされていない、つまりは眼中にないということで──……
唐突に目の奥が熱くなる。込み上げる涙をこぼさないよう、私は顔を上げた。初秋の空は嫌になるほど快晴だ。夏の濃い青を薄めたような色の中を、刷毛で引いたような雲がゆっくり流れていく。
「……眩しい、な」
心のどこかでは、本当はわかっていた。
彼は太陽みたいな人だ。誰にでも気さくで明るくて、自然と人が集まってくる。
そんな彼にとって私はただの同僚であり、部下に過ぎないのだと。
それでも、あんな形で現実を突きつけられるなんて、想像もしてなかった。
彼にとって私は、女ですらなかっただなんて。
「はあ……いっそのことお見合いでもしてみようかしら」
「──駄目だ。俺は認めない」
「えっ……?」
次話、クロイツ挽回なるか。
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