第4話 クロイツの覚悟
マーガレット・ブライトン。
クロイツが彼女を知ったのは、六年前の入団試験でのことだった。
「学園で首席の学生がいるだと?」
「はい。マーガレット・ブライトン。北部のブライトン男爵家の令嬢であり、来春学園を卒業予定です。内申書によると入学から常に首席。授業態度も真面目であり、在学中は問題を起こしたことはないとあります。とても優秀な学生のようですね」
「へえ」
試験の様子を見に来たクロイツは、オブライエンの説明に眉間に皺を寄せた。
例年、騎士との出会いを目当てに事務官を志望する令嬢も一定数いるが、長続きする者は少ない。
騎士団は根性論の罷り通る旧態依然とした男社会だ。有事の際は騎士たちと同様、遠征への同行や泊まり込みも要求される。
そのぶん給料はいいが、若い女性にとってあまりいい環境でないことは間違いない。
「なんでそんな優秀な学生が第一騎士団を希望するかねえ。首席なら文官やら女官やらあちこちから誘いが来そうなもんだが」
「さあ。よほどの物好きか、もしくはお目当ての騎士がいるのではないでしょうか」
「それだよなあ。……で、どいつだ?」
「正面向かって左、最前列の赤い髪の女性です」
オブライエンの示した先へ視線を向けた瞬間、鮮やかな緋色の髪が目に飛び込む。クロイツは彼女に見覚えがあることに気づいた。
(……ああ、あの子か。なるほど、騎士団への就職を志望していたから演習場に来ていたのか)
大人しい顔立ちとは対照的に、炎がゆらめくようなその髪は演習場でもよく目立っていた。そして、熱心に演習を見つめるエメラルドの瞳も。
やれやれといったように天を仰いだクロイツは、ガシガシと頭を掻いた。
「……ま、なるようになるか」
だが、そんなクロイツの懸念はあっさり覆されることになる。
「第一騎士団所属になりましたマーガレット・ブライトンです。よろしくお願いします」
マーガレットは入団して一月も経たないうちに、頭角を現しはじめた。
勤務態度はきわめて真面目で、仕事も早い。急な遠征や泊まり込みにも文句を言わず対応し、騎士たちが適当に提出した報告書の不備まできっちり見つけ出す。
おかげで山積みだった書類は姿を消し、事務仕事が滞ることがなくなったのは最大の功績だろう。
誰かに媚びることなく居場所を築いた彼女は、周囲からの信用を自らの力で勝ち取ったのだ。
そんな彼女は、クロイツが二十九歳の若さで騎士団長に任命されると同時に、団長付きの事務官に抜擢された。
騎士団長でありながら気さくで型破りなクロイツと、生真面目なマーガレット。凸凹に見える二人は、不思議なほど息が合った。
クロイツが苦手な書類仕事を引き受け、おふざけが過ぎれば窘める。そしてハードワークが続いたときは、さりげなく体調を気遣う。
いつしか彼女は、クロイツにとって隣にいて当然の存在になっていた。
ゆえにクロイツは、マーガレットには多少の悪ふざけをしても許されると思っていたのだ。
「……俺は最低最悪の男だな」
「仕事ではあれだけ有能なのに、なぜご自身のことになるとこうもポンコツになるのか、不思議でなりません。自覚があるだけまだ救いがありますが。……それで、どうするおつもりですか。彼女の視線に気付いていなかったわけではないのでしょう?」
オブライエンの質問に、クロイツはぐっと眉間に皺を寄せた。
クロイツは決して男女の機微に鈍い男ではない。
ほかの男には冷たいのに、小さな菓子ひとつで顔を綻ばせるマーガレットの視線が誰を追っているか、気がつかないわけがないのだ。
「……だがよ、俺は騎士団長だ。なにかあれば命を張る覚悟はあるし、なによりもう三十二だ。彼女より十ちかく年上のおっさんより、もっと若い男が相応しいだろう」
「あれだけ若い騎士を牽制して自分の手元に囲っておきながら、なにを寝ぼけたことを言ってるんですか」
オブライエンは副団長時代から、クロイツの補佐官を務めている。
クロイツの団長就任と同時にオブライエンも団長付き補佐官に昇進し、マーガレットも団長付事務官に抜擢された。以来、二人は彼の両腕として働いてきた。
鉄面皮と揶揄されるほど感情を表に出さないためわかりにくいが、オブライエンはクロイツを深く尊敬している。
だがそれは彼が公爵家の出身だからでも、騎士団長という地位にあるからでもない。長年その背中を間近で見てきたからこその評価だ。
アシュレレイド・クロイツ。
二十九歳という異例の若さで第一騎士団の団長に就任した彼の名を知らない者は、この国の騎士にはいないだろう。
若い頃から剣を取らせれば右に出る者はなく、戦場では誰よりも冷静な男と評される彼は、これまでさまざまな功績を残してきた。
国境付近で魔獣の群れが発生した際には、わずかな手勢で一人の犠牲者を出すことなく討伐を終え、山賊団が交易路を占拠したときは数日で根城を突き止め、捕らわれていた商人たちを無事に救出した。
その活躍は戦果だけに留まらない。
大雨で川が氾濫すれば自ら泥の中に入って住民を救助し、冬山で遭難者が出れば吹雪の中でも捜索隊の先頭を歩く。
そうした華々しい活躍から、騎士たちの間では半ば神格化されていると言っても過言ではない。
もっともオブライエンからすれば、世間の評判はいささか美化されすぎだと考えている。
たしかに強い。それも恐ろしく強い。
だが、それ以上にこの男は加減というものを知らない。
訓練では部下を容赦なく叩きのめし負傷者を量産するし、高価な備品を壊して経理に白い目で見られる始末。
書類仕事は大の苦手で隙あらば執務室から逃げ出そうとするし、真面目に机に向かっているときは、たいてい居眠りしている。
そんな男が騎士団長らしく振る舞えているのは、オブライエンとマーガレットが両脇から手綱を握っているからにほかならない。
「牽制なんてしてねえよ。……ただ、彼女を守れないような男には任せられねえってだけだ」
「その基準が騎士団長であるクロイツさまである時点で、相手になる男はいませんよ」
「だが」
「くどいですね」
なおも言い訳しようとするクロイツを、オブライエンは制した。
「このまま彼女を辞めさせていいのですか? 行き遅れと呼ばれる年齢だとしても、彼女の外見も経歴も申し分ありません。ブライトン領に戻れば山のように縁談が舞い込むでしょう。彼女が頷きさえすれば、すぐにでも結婚が決まるのでは」
「それは……」
「みすみすほかの男にかっ攫われるのを、指を咥えて眺めているおつもりですか?」
オブライエンの指摘に、クロイツの眉間の皺がいっそう深くなった。
自分の前だけで見せる、はにかんだような笑顔が好きだった。
仕事を終えたあと、きつく結んだ髪を解くときのあの仕草も。
──あれを他の男が見るのか。
どれだけ力を込めているのか、固く握り締めた拳を覆う革手袋がギシリと軋む。意図せず漏れた威圧が執務室の窓を震わせた。
「そいつはいただけねえな」
今にも人を殺しかねない凄みのある笑みを浮かべるクロイツに、オブライエンはやれやれと肩を竦めた。
「団長、有給は何日申請されますか」
「……一週間だ。三日で行って三日で帰ってくる」
「口説くのは一日で足りるんですか?」
「なに、俺には切り札があるからな」
獰猛な笑みを浮かべるクロイツの横顔を見ながら、オブライエンは心の中でマーガレットの健闘を祈った。
オブライエン(イキロ)




