第3話 クロイツ
「――それで、申し開きはありますか」
「……あれはちょっとした出来心だったんだ……」
「そうですか。ほかに言いたいことはありますか」
オブライエン団長付補佐官の冷たい眼差しに、クロイツは頭を抱える。
魔が差した。そうとしか言いようがない。
本当にちょっとした出来心だったのだ。
壁に嵌まったふりをして驚かせるだけの、ほんのささやかな悪戯のつもりだったのに――
机の上にあるマーガレットの退職届を前に、クロイツは盛大にため息をついた。
事の発端は、宮廷魔術師が持ち込んだとある魔道具だった。
「対魔物用の罠だと? これが?」
「はい。見かけは普通の魔石ですが、空間を歪め、魔物を拘束する魔法陣が込められています」
曰く、この手の罠は膨大な魔力を消費するため、今まではよほど手に負えない魔物と対峙したときの切り札として扱われていた。
だが、これなら大がかりな準備も複雑な呪文も不要。拘束力こそ弱いものの消費魔力は少なく、従来なら騎士たちが剣で仕留めていた中型の魔物にも使えるのでは、というのが宮廷魔術師の説明だった。
クロイツは鈍い光を放つ黒い魔石を手に取り、窓から入る日差しに翳した。
「ふーん、こんなちっぽけな石にそんな大したもんが入ってるとはな。だが、この手の術は扱いが難しいんじゃないのか? 事前の準備やら呪文やらよ」
「いえ、これは魔力を込めて対象に当てるだけでいいんです。遠くから投げても、当たりさえすれば発動します」
「そりゃあいいな」
遠距離からの投擲で魔物の拘束が可能なら、騎士たちの負傷率は大幅に下がるだろう。しかも魔力を込めて投げるだけなら新人でもできる。
どちらにせよ試す価値はある。クロイツは大きく頷いた。
「俺のところに持ってきたのは、実用化の見込みがあるってことだな?」
「はい。まだ試作段階ですが、実験ではオークをはじめとした中型の魔物の拘束に成功しています。ただ、実戦での使用許可が下りず、現場での検証はできておりません」
「なるほどな。よし、しばらくこれを俺に預けてくれ。次の遠征でなんとか試せないか、会議で掛け合ってみよう」
「ありがとうございます!」
その後、忙しさに追われ魔石のことをすっかり忘れていたクロイツは、会議当日になってようやくその存在を思い出した。
そしてふと考えた。
会議で掛け合うにしても、実際に使ったことがなければ説得力に欠ける。
宮廷魔術師は、オーク程度の魔物なら拘束可能だと言っていた。
オークは騎士団に入って間もない新人でも一人で討伐できる魔物だ。そして自分はこれでも第一騎士団を率いる騎士団長であり、力比べでオークに劣るとは思えない。
つまり、罠に拘束されても簡単に抜け出せるはずだ。
――ならば、自分で試してみればいいのではないだろうか、と。
魔力を込めた魔石を壁に向かって投げたのは、単純にそこしか適当な場所がなかったからだ。
即座に壁に魔法陣が浮かび上がり、その中央に人ひとりが通れそうな穴がぽっかり口を開ける。
「へえ、こりゃあ面白い。あとはどんだけ拘束力があるか――ん?」
独り言を呟きながら何気なく穴の中を覗き込んだ瞬間、言いようのない悪寒が背筋を這い上がる。
「おいおい、嘘だろ」
クロイツは咄嗟に身体を引いたが、ときすでに遅し。穴は獲物を呑み込むようにクロイツを捕らえ、そのまま上半身を中に固定した。
「あーーーー……なるほどな。こういうことか」
中途半端に身体を引いたせいか、視界は暗闇に閉ざされ上半身が固定されているものの、下半身の自由は利く。
クロイツは試しに全身に力を込めてみる。
なるほど、思った以上に拘束力が強い。身体を引き抜こうとすると、穴そのものが締まるように力が強くなる。
とはいえ、本気で抵抗すれば抜け出せないほどではない。少なくとも、壁を蹴り壊す覚悟があればどうとでもなるだろう。
「こりゃあ使えるな」
実戦投入を後押しするには十分な結果だ。宮廷魔術師の言う通り、中型クラスの魔物なら問題なく拘束できるだろう。
「さて、これからどうすっかな」
目下の問題は、壁を壊さずにここからどうやって抜け出すかだ。
壁を破壊するのは簡単だが、脳裏をオブライエン補佐官の冷たい眼差しが過る。
そんなことを考えていたところで、クロイツは廊下から聞き慣れた足音が近づいてくることに気づいた。
この足音はマーガレットにちがいない。
彼女が自分のこの姿を見たら、いったいどんな反応をするだろう。
さすがに悲鳴でも上げるか、それともいつものように眉間に皺を寄せるだろうか。
普段は表情を崩さないマーガレットの驚く様子を想像して、意図せず口元が緩むのがわかった。
ささやかな悪戯だ。
驚かせたあとで種明かしをして、自力で抜け出せばいい。
そう考えて、クロイツは身体の力を抜いた。
――それが誤った選択だと知らずに。
「はあ……やっちまった……」
「まったくその通りですね」
退職届を前に項垂れるクロイツを、オブライエンは呆れたように見つめた。
あのとき軽口を叩いたのも、いつものノリのつもりだった。
だが、下半身だけ壁から突き出した状態でくだらない発言をした自分を、彼女はどう思っただろう。
どんな表情で自分の尻を見ていたのかと思うと、なんともいたたまれない。
穴があったら入りたいとはまさにこのことだが、そもそも穴に入ったからこその失態だ。クロイツは再び頭を抱え、大きくため息をついた。
「それで、団長は彼女に対し、きちんと釈明なり謝罪なりなさったのでしょうね?」
「……できなかった。会議の時間が迫ってたんだ」
あのとき、マーガレットはクロイツの尻に強烈な平手を見舞った。
その衝撃のおかげか壁から抜け出したクロイツは、時間が迫っていたこともあり、ろくに会話をしないまま会議に出席した。
その後、会議は深夜まで続き、翌日は慌ただしく遠征に向かった。
そして諸々を終えようやく王都に戻った彼を待っていたのは、マーガレットの退職届だったというわけである。
「つまり、なにもしていないと。ではブライトン事務官が最後に見たのは団長の顔ではなく、臀部だったということですか。それはとても印象深いでしょうね」
「そんなわけないだろう。やめろ。これ以上傷口を広げないでくれ」
とうとう机に突っ伏したクロイツを見て、オブライエンは呆れたように肩を竦めた。
「あれだけ周囲を牽制しておきながら、本人を前にするとなんのアプローチもできず、挙げ句に逃げられるとは、心の底から同情を禁じえません。今夜はうまい酒が飲めそうです」
「お前なあ……少しは落ち込む上司を励まそうって気にならないのか」
「これっぽっちもなりませんね。ブライトン事務官の退職は、私にとっても大打撃ですから」
オブライエンとマーガレットはともに団長付ということもあり、互いの連携が必要不可欠だった。彼にとってもマーガレットの退職は頭を抱えたくなる出来事なのだ。
オブライエンは銀縁眼鏡をくいと持ち上げ、クロイツを睨んだ。
「純粋な疑問ですが、そもそもなぜ彼女にあのようなことを頼んだんですか? 未婚の令嬢に団長のようなおっさんの身体を触らせるなど、淑女に対してあるまじき行為ではありませんか。それともあれですか。わざと触らせようとしたんですか? あんたのデカい尻を?」
「断じて違う! 俺はちょっとその、驚かせようと思っただけで」
「騎士団のノリに慣れていたとはいえ、ブライトン事務官はれっきとした貴族の令嬢です。彼女が傷つくとは思わなかったんですか」
「……嫌われたと思うか?」
「退職するほどですからね。顔を見るのも嫌になったのでは」
「そうだよなあ……」
クロイツは退職届を恨めしげに見つめ、今日一番深いため息をついた。




