第2話 潮時
「団長、我がブライトン領は羊の飼育が盛んなのをご存知でしょうか」
「お、おう? 知ってるぞ」
我がブライトン家は、貧乏子だくさんを絵に描いたような三女二男の五人姉弟。長女の私が家計を助けようと奨学金のある王立学園に入学したのは、十二歳のときだ。
勉強が苦でない質だったのは幸運だったと思う。私は奨学金を維持するために勉学に励むかたわら、仕送りのためアルバイトにも精を出すという、なかなかに忙しい学生時代を過ごした。
そんな私を見かねて友人たちが公開訓練に連れ出してくれたのは、卒業を見据えてそろそろ進路を決める時期だった。
「……ねえ、あの中央で剣を振るっているのは誰だか知ってる?」
「ああ、あのかたは第一騎士団の副団長、アシュレイド・クロイツさまよ」
「アシュレイド・クロイツさま……」
広場の中央で若い騎士たちに稽古をつける彼は、ひときわ異彩を放っていた。
年齢は二十代半ばに差し掛かる頃だろうか。二メートル近い長身に、鍛え抜かれた体躯。鋭い琥珀色の瞳は相手の動きを一瞬たりとも見逃さず、彼に向かっていった若い騎士たちは次々と地面へ転がされていく。
その圧倒的な強さに、目が釘付けになる。
私の生まれ育ったブライトン領は、羊毛産業の盛んな田舎町。そこに住む男性はみな縦にも横にも逞しい身体つきをしている。
そんな男性を見て育ったせいだろうか。私は王都で人気だというスマートな男性にはちっとも興味がわかなかった。
それなのに──
(素敵……)
きっと一目惚れだったんだと思う。
とはいえ、田舎の男爵家の娘が副団長にお近づきになれるわけがない。
だから卒業後に第一騎士団の事務官に採用されたときは、天にも昇る心地になったものだ。
騎士団に入団してからは、ひたすら職務に邁進した。
騎士団は徹底した男社会。入団したばかりの頃は風当たりも強かった。けれど、真摯に仕事に取り組んでいれば少しずつ周囲の態度も変わっていく。
仕事ぶりが認められ昇級し、彼の騎士団長就任と同時に団長付き事務官になれたときは、有頂天になった。
彼が華やかな女性が苦手だと聞いてからは、極力化粧も控え、服装も華美にならないよう気を使った。
いつしか私に話しかけるときはくだけた口調になり、ふざける団長を諫めるのが私の役目になり――
だから、勘違いしてしまったのかもしれない。
私と団長は気安い仲なんだ、と。
もしかしたら自分にもチャンスがあるのでは、と。
(……でも、これで脈なんて欠片もないってことがはっきりしたわね)
私は唇を歪めて小さく笑った。
十八で騎士団に就職してもう六年。この国の女性の適齢期は二十歳前後。二十四にもなって浮いた話の一つもない私は、自他共に認める立派な行き遅れだ。
田舎の両親からは、仕事をやめて領地に帰るようにと再三言われている。
王宮で女官として働くすぐ下の妹アリッサには、縁談の話も出ているらしい。長男のヘンリーは王立学園を優秀な成績で卒業し、今は父を支えながら次期男爵として領地経営を学んでいる。そして末の双子、リリーとセオドアも今年王立学園へ入学し、二人そろって奨学金を勝ち取ったと手紙に書かれていた。
だから、もう仕送りは十分だ。早く田舎に帰ってこい、と。
彼らの言う通り、もうさすがに身を固めるべきなのだろう。
きっといい機会なのだ。
(もう、潮時ね)
少し日に焼けた浅黒い肌に、彫りの深い精悍な顔だち。長い漆黒の髪も、男らしい太い眉の下の鋭い琥珀の瞳も、目を眇めるようにして笑ったときにできる目尻の皺も、全部好きだった。
自分は甘いものが苦手だからと、いつもこっそりお菓子をくれた。
一つしかないから他の奴には言うなよと、悪戯っ子のように笑っていた。
まるで私だけが特別扱いされているみたいで嬉しくて、だから――期待させないでほしかった。
私はぎゅっと目を瞑り、大きく息を吐いた。
「羊は臆病なくせに妙なところで好奇心旺盛で、木の枝に首を突っ込んだり狭いところに入り込んだりと、今の団長のように身動きが取れなくなることが多々あるのです。そんなときに有効な方法を試してみたいのですが、よろしいでしょうか」
「有効な方法?」
「はい。今から団長の身体の一部に刺激を与えます。その衝撃で身体が反応することを利用します」
「え、ちょっと待って刺激ってなにそれ怖い」
「では参ります」
「おい、ま、待て! ちょっと待ってくれ! 俺にも心の準備ってのがだな!」
私は団長の返事を待たず、右手を大きく振りかぶる。そして目の前でうごめくご立派な尻目がけ、渾身の一撃を繰り出した。
パァンッ!




