第69話 あたらしい世界と、わからない言葉
転移した先は、日差しがさんさんと降り注いでいた。
明るい。さっきまで夜の世界にいたはずなのに、ここは……朝だろうか。広い草原の中、遠くに家のようなものが見える。そしてどこからか甘い匂いがする。
「お待たせしました」
「あ、はい、通れました」
「うん、よし。第一関門突破だな」
クマさんが門の脇にしゃがんで、柱の根元の黒い石に手を当てる。ここの門にも通行の証が記されているらしく、新しく三本の線が増えていた。
「時間は……」
久世さんが懐から懐中時計を出して、空を見上げる。
「王都は今、夜の八時過ぎですが、こちらはどう見ても朝ですね」
「前に来たときもそうだったな。だいたい十二時間くらいずれてんじゃねえか」
「この前はあなたが遅刻してもっと遅かったですけれど」
「それはもう謝っただろ〜」
二人のやりとりを聞いていると、なんだか会社の先輩同士の会話みたいだ。王都の夜の八時は、日本は夜中の二時。こっちが朝ということは……。だめだ、日本と王都とここの時差を頭だけで理解するのは今は難しい。
「ひとまず、時計がずれているだけで、時間の進み方は同じはずです。それも今日、確かめたいことの一つで」
「スキミーちゃん、スマホの時計、帰るまで見といてくれるか。こっちの懐中時計と比べたい」
「は、はい」
スマホを見ると、圏外の表示の横で、日本の時刻が二時を少し回っていた。
「少し散策するか」
「そうですね」
行き先はわからないが、とりあえず久世さんとクマさんの後ろをついて歩く。道は舗装されているが、ビルなどは見当たらないし、電車のようなものもなさそうだ。家の横には井戸のようなものがあって……異世界、に来たというよりもタイムスリップをしてしまった感覚のほうが近いかもしれない。いや、タイムスリップしたことはないんだけど。映画でしか見たことないんだけれど。
通りかかった民家では女性がたくさんの洗濯物を干している。私の足元を見て、驚いた顔で話しかけられた。
「◇◇、◇◇◇◇◇?」
……全然聞き取れない。女性がもう一度、ゆっくり同じことを言った。
「◇◇、◇◇◇◇◇?」
ゆっくり言われても、わからないものはわからない。英語ともフランス語とも言えない、知らない言語。
「◇◇◇、◇◇。◇◇◇◇◇◇」
女性と同じ、聞いたことのない言葉で返事をしたのは、久世さんだった。
理解できない間にも女性は「◇◇!」と笑って、洗濯物を干し続けた。クマさんも横から何か言って、女性がまた笑う。何の話をしているのか、私にはさっぱりわからない。けれど、楽しそうなのは伝わる。笑いってすごいな。
「……あの、二人とも言葉がわかるんですか?」
「はい。言葉が通じるのは、スキミーのシステムの仕組みなんです。塩谷さんが転移しても日本語で話せている仕組みと同じです。ここの言葉に対応させるシステム改修は今進めています。塩谷さんの分はまだなので、今日は聞き取れないと思います」
そういえば、転移して話せたり、読めたりする仕組みがあったな。翻訳アプリを使っているわけでもないのに、なんでそんなことができるんだ……?
「ちなみに、何を話していたんですか?」
「その靴は何でできているのか、と、聞いていましたよ」
足元を見る。去年買ったスニーカーだ。女性のほうは木でできたような硬そうな靴に、足首まである長いスカートと白いエプロン。竿に干してある洗濯物も、長い袖のブラウスやワンピースだ。私のゆるいパンツとカットソーは、ここではたぶん、ものすごく浮いている。
「……私、浮いてますよね」
「だいぶ浮いてるな」
クマさんが即答して、久世さんも否定しない。けれど、クマさんだって工具袋をぶら下げた作業着。私も浮いているが、クマさんもだいぶ浮いている。
「仕組みが安定するまでは、こちらで浮かない服を用意したほうがいいかもしれませんね」
「敵だと思われてもめんどくせえしな」
「俺はまだいいけど、クマは何着てたって怪しいよ」
「んだと!」
久世さん、俺、って言った。些細なことにびっくりしていると、先ほどの女性がお皿を持ってこちらにやってきた。女性がお皿の布をめくると、マドレーヌのような焼き菓子が乗っている。さっきから漂っていた甘い匂いの正体だ! 一つとって、私の手の上に乗せてくれた。
「遠くから来たなら、お腹がすいてるでしょう、だそうです」
「えっ、いいんですか。ありがとうございます!」
言葉は通じないけれど、頭を下げると女性は笑顔で返してくれた。口に入れるとふんわり柔らかくて、バターの味が口いっぱいに広がる。
「お、いしい……!」
顔で伝わったのか、女性は満足そうにうなずいて、手を振って家のほうへ帰って行った。
* * *
「今日はここまでにしましょう。塩谷さんが門を通れることがわかりましたので、十分です」
焼き菓子を食べ終わると、久世さんが続けた。
「システム改修が終わるまでに、こちらの世界の人に僕が営業してきます。案件募集はまだまだ先になりそうですが、そのときは、改めてお願いさせてください」
「まだまだ先ってどれぐらいでしょう」
「そりゃ、久世の営業能力次第だな」
「クマのシステム改修の腕次第です」
二人で笑い合っていて楽しそうだ。三ヶ月か、半年か、一年、いや、もっと先なのかもしれない。
「そうだ、スキミーちゃん、時計どうだ」
「来たときが二時五分で、今、二時四十分です」
「こっちも三十五分。よし、進み方は同じだな」
門に向かって歩いていると、少し離れた一軒家の扉が開いた音がした。目で追ってみると、出てきたのは長い金髪の若い女性と、その腰くらいの背丈の小さな男の子だった。女性は男の子の手を引いて、こちらには気づかないまま、草原のほうへ歩いていく。
さっき見た村の人たちと同じような服装なのに、なんとなく、目が離せなかった。
「塩谷さん?」
「あ、はい、今行きます!」
門をくぐると、ログハウスの裏だった。王都は、もうすっかり夜だ。
* * *
家に戻ると、日本は夜中の三時を過ぎていた。
【 本日の謝礼:10000ゴールド 】
【 コメント:洗濯屋の件、新しい門の件、ありがとうございました。アプリの改修が済み次第、改めてご相談させてください 】
うまく寝付けず、スマホでSNSを見ていると、表示されていた漫画の広告が目に入った。悪役令嬢か……なんだか、今日の世界の人たちって、こんな服装だったなぁ……。




