第55話 【本日のスキマバイト】宿屋の夏支度
金曜日。今夜のスキマバイトには、宿屋の夏支度、を選んでみた。
【 橋畔の宿 寝具の入れ替え・備品整理 】
【 時給:3000ゴールド 】
【 備考:冬用寝具の収納、客室備品の確認など】
五月も半ばになり、私もやっと冬用の布団を干して圧縮袋にしまったところだ。地味に一人でやるのは大変な作業で、こんな時に一人暮らしの不便さを感じる。
出したばかりの薄布団に布団カバーをつけながら、ふと、数年前のことを思い出す。毎日残業続きな上に会社の人間関係もうまくいかなかった時、結局、冬用の布団をしまわなかった。しまうことができなかった。そんな気力が、家に帰るとなかった。そう考えると、今はだいぶ生活を回せているし、健康的に暮らせている。異世界の宿屋、楽しみだ。
* * *
転移した先は、木の床がよく磨かれた宿の玄関だった。入り口には大きな地図が貼ってあり、高い天井では、扇風機のようなものが回っている。奥の壁には、部屋の鍵と思われるものが吊り下がっていた。
「いらっしゃい! 二人とも、今日はよろしくね」
二人?後ろを振り向くと、久しぶりに見る黒縁メガネさんがそこに立っていた。
「お久しぶりです、塩谷さん」
「戸倉さん! 今日はギルドじゃないんですね」
「セレネさんに、ここの窓を見てもらえないかって頼まれて。閉まらないところがあるそうなんです」
「ああ、へぇ、なるほどね〜」
「……普通に、仕事の紹介ですよ」
まだ何も言っていないのに。女性は私たちを交互に見て、「お知り合いだったのね。それなら話が早いわ」と笑った。
黄色いエプロンをつけ、打刻する。今日は空いている客室から厚い寝具を下げて薄いものに替える作業と、清掃を頼まれた。
「薄い布団を持っていって、冬布団は、このランドリールームにもってきてちょうだい。ちょっと重いから、一枚ずつお願いね」
「わかりました。二階からやりましょうか」
「そうね、上は全部で八部屋、下に四部屋、全部で十二部屋」
「今日はお客さんはいないんですか?」
「二組いるの、二〇五と二〇三にいるから、そこは飛ばしてちょうだい」
「わかりました」
繁忙期ではなさそうだ。窓の修理も二階からやることになり、戸倉さんが道具箱を持ち、私は薄い掛け布を抱えて階段を上がった。
* * *
最初の部屋には、寝台が二つ並んでいた。壁に小さな絵がかかっていて、お風呂に洗面もある。もっと簡素なものを想像していたけれど、結構おしゃれだ。これは、お客さんとして泊まってみたい。
窓の留め具を調べる戸倉さんの横で、私は厚い羽毛の掛け布を外した。たしかに大きくて重くてボリュームがある。一人で畳むと四つ折りにする前に広がってしまい、どうしたものか。
「手伝いますよ」
「あ、すいません、四つ折りになれば持てると思うので、お願いします」
端と端を持って、畳む、また、端と端を持って、畳む。
「……そういえば、セレネさんとお出かけできました?」
「……できましたよ。市場に行って、ご飯食べました」
「いいですねえ」
「塩谷さんのほうは? 手紙の方とは会えたんですか?」
根掘り葉掘り聞くつもりだったのに、こちらへ返ってきてしまった。
「はい。ご飯、食べてきました。お手紙、本当にありがとうございました」
「いえ全然。……楽しかったですか?」
「楽しかったです」
答えてから少し照れたけれど、戸倉さんは笑っただけだった。畳まれた布団を一階に運ぶ。これをあと五部屋か、結構大変だ。布団を置いて二階に戻ると、戸倉さんは窓を何度か開け閉めしてから私にも試すように言った。
「どうです?」
「あ、いい感じ。さっき、ギシギシ言ってましたもんね」
「ですね。じゃあ次の部屋行きましょう。まずは布団、畳みましょう」
「助かります」
ほとんどのスキマバイトは一人でやってきたけれど、二人いるとなんだかんだ安心する。テンポよく二人で作業を続けていると一時間ほどで二階は完了した。
* * *
「戸倉さんって、あっちでもこういう、なんていうんですか、DIY?的な仕事してたんでしたっけ」
「いや、したことなかったです。こっちにきてからですかね。あっちではもっぱらPCと睨めっこです」
「え〜、すごい、でも向いてたってことなんですかね?ギルドでもこの前ランタンを“朔くんがなおしてくれましたっ”てセレネさんが」
「……やめて〜」
朔くん、呼びに照れる戸倉さん、おもしろい。
「まぁ、小さい頃から手先は器用だったかな。最近、セレネに編み物教えてて」
待って、情報量が多い、とりあえずうっかり呼び捨てしたっぽいのはスルーしよう。
「あ、編み物!?」
「あの感染症が流行った時、自宅待機が暇で覚えたんですよ」
ジェラルドさんのことも知らないが、戸倉さんのことも全然知らないな。とりあえず畳んだ布団をまた一つ運んで、戻る。
「編み物、私も一度挑戦したことありますけど諦めちゃいました」
「本見ながらとかですか?難しいですよね。最近は動画も充実してるんで、もし編み棒とか残ってるならやってみたら」
「……いやぁ、はは、まぁ、それはいいかな〜」
編み物や料理、お化粧やネイルなどが苦手だと気づいたのは結構大人になってからだった。なんでなんだろうなぁ。最後の布団を運び、部屋の整理をしていると宿の女性が新しい敷布を持ってきてくれた。
「これ、布団の上にかけておいてくれるかしら」
端の織り模様に、見覚えがある。
「……あれ、この布、もしかして魔王城からですか?」
「そうよ! よくわかったね」
「私、この布を箱に詰めました。お酒と一緒に」
「あら! あなたが送ってくれたの。ありがとうね。綺麗だし、洗ってもへたりにくいのよ」
ああ、橋の近くの老舗のお宿って、ここだったんだ。
「カーミラ様が言っていたの、こちらだったんですね。洪水で街道が使えなくなったとき、お城の方を泊めたって」
「そうそう、先代の時の話ね。橋を直す人たちがずいぶん長く泊まっていたそうよ。お城の方も、王国の方も」
「一緒に、ですか?」
「ええ。部屋が足りなくて、食堂でも寝てもらったって。カーミラ様は今でも寄ってくださるのよ」
魔王城と王宮、そして村の人、歴史があるこの宿にやっぱり泊まってみたい。一泊二食付き、いくらか聞いてみよう。
* * *
最後の部屋を整え、戸倉さんと一緒に窓を閉めて回る。
「まだ冷えそうですけど、夜、寒くないんですかね。俺まだ家で冬の布団です」
「布団部屋に、貸し出し用の毛布もあるみたいです」
打刻を終えると、「お茶くらい飲んでいって」と戸倉さんと二人で食堂へ案内された。出してもらったのは、温かいお茶と、薄く切ったパンに蜂蜜とバターをのせたものだった。ありがたく一枚いただく。んんん、ハチミツとバター、家では罪深くてできない組み合わせなんだけれど、一仕事終えた後だと罪悪感なく食べられる。
「塩谷さん、魔王城にもよく行くんですよね」
「はい。戸倉さんは、まだ?」
「まだです。募集は見るんですけど、結局いつものところを選んじゃって」
会いたい人がいるから、ですよね、とは突っ込まないであげた。
「今日はこのあと、ギルド行くんですか?」
「はい。頼まれてた窓のこと、伝えておこうと思って。塩谷さんは帰ります?」
「帰ります。セレネさんによろしくお伝えください」
二人、最後までパンを食べ切って解散した。
* * *
【 本日の給与:6000ゴールド 】
【 このワーカーへの評価:★★★★★ 】
【 コメント:寝具が片付きました。夏のお客様を迎えられます。またお願いします 】
味気ない部屋の布団の上に敷く布が欲しくなったから、明日、買いに行ってみようかな。




