第50.5話 閑話・遠征最後の夜 <ジェラルド視点>
鍋の底に残っていた豆をすくって椀にいれると、火の向こうで干していた靴下が不快な音を立てて落ちた。近くにいた男がその靴下の土を払って枝に掛け直す。
「……それ、火に近すぎないか」
「近づけないと乾かねぇだろ。明日の分がもうねえんだよ」
「焦がすなよ。……しかし、独特な臭いがするな……」
「臭いのは俺の靴下じゃねぇ」
隣で肉を焼いていた男が、「もう全員くせえよ」と言いながら自分の串を持ち上げる。端の黒い部分をガリガリと削ってから口に入れた。
今回の調査は、ここ数年の中でも雨が多く川が増水して調査を後回しにするなど、予定変更も重なった。十年ほど一緒に遠征調査をしている男四人だが、気心が知れていても意見は割れる。しょうもない言い合いも増えたけれど、なんとか必要な確認は終わり、人も竜も、全員揃って無事に帰ることができそうだ。
椀に残った汁をパンで拭い、最後の一口を食べる。豆は少し固いし、味は決して深みのあるものではないが温かいものを座って食べられるだけありがたい。
「ジェラルド、お前、帰ったら何食いたい?」
「……肉、だな」
「毎回それだな〜、まぁそうだな、肉しかないんだよな〜」
「王都の、玉ねぎと焼くやつが食いたい、麦酒と一緒に」
口にしてから、あのバルになの花さんを連れていってもいいかもしれない、と思った。騒がしくて決しておしゃれではないが、気取らずに食べられる。量が多ければ、残りは俺が食べればいい。
あの人は食事をうまそうに食べる。パン屋でも、器になっていたパンまできれいに食べていた。食べながら表情が変わるので、つい見てしまったのを思い出す。
「おい。ジェラルド、パン、もう食わないならもらうぞ」
「ああ、食ってくれ」
差し出された手に籠を渡し、空の椀を持って立ち上がった。
* * *
外に出ると、フローラは少し離れた草地で腹をつけて休んでいた。近づくと片目を開け、鼻先を持ち上げる。
「体は平気か」
大きく息を吐かれ、前髪が揺れた。鞍を外したあとの鱗を見て、翼の付け根を強めに撫でる。フローラが首を曲げ、俺を鼻先で押した。
「わかった。そこもだな」
手を首へ移してぐいぐい、と押してやると、気持ちよさそうに目を細めた。泥のついた湿った布で鱗を拭いていると、フローラが不満そうに王都のある方へ顔を向けた。
「すまん、綺麗な布で拭いてやるのはあしたまで我慢してくれ。今夜はもう、休め」
しばらく王都のある方を見ていたが、やがて草の上へ顎を下ろした。首をもう一度叩き、「おやすみ」と伝え俺も荷物のところへ戻り残りの作業をすることにする。
記録帳を開き、道の状態、橋の傷み、竜が降りられる場所、確認してきたことをまとめて記す。帳面もやや湿っていて、パチパチと音を立てる焚き火の近くで乾かしながらやるしかない。
「そんなの、明日帰ってからでよくないか」
「……帰ってからの休みを、仕事で潰したくなくてな。できるだけ終わらせてしまいたい」
「ああ、例の女に会うってやつか。色男は忙しいねぇ」
「そういうわけでは……」
仲間に言うつもりがなかったなの花さんの話を、一ヶ月の遠征の中、酒を飲んだ日にうっかりしてしまった。別の世界の女に手を出すなんて変わった趣味だ、過去にお前から誘った相手はいなかったじゃないか、こっちの世界で暮らしてもらうのか、など散々揶揄われてしまったが、最後には、口を揃えて「是非一度、会わせてくれ!」と言ってくれた。
「俺は寝るぜ、お前も明日がまだあるんだから、ほどほどにしろよな」
「ああ、残りは帰ったらにする、おやすみ」
就寝の準備をしながら、最後に会った夜のことを思い返す。俺の手に触れて、指を握り返してくれたことを。あのとき、もう少し話せばよかった。こちらへ体を預けてくれているのが嬉しくて、言葉が出なかった。結局、帰ってきたら会ってほしい、としか伝えられなかったのは、情けなさが残る。
『……もちろんです!』
明るい声と、花のようなあの笑顔に、早く会いたい。明日は晴れるだろうか。帰ったらまず、靴下を洗濯して干さないと。




