第43話 【本日のスキマバイト】王立厩舎の春支度
金曜日。久しぶりの厩舎だ。
転移すると、藁と土の匂いが目の前に広がった。刺さるような視線を感じて上を見上げると、フローラがこちらをみている。駆け寄りたいところだが、まずは仕事の準備! 黄色いエプロンをつけてジェラルドさんに挨拶をする。
「こ、こんばんは……! 手紙、ありがとうございました」
「こちらこそ。今日も、よろしく頼む」
「はい! 仕事も、よろしくお願いします」
仕事も、と言って自分がその後の予定を楽しみにしているのがバレたかと少しはずかしい。ジェラルドさんは笑って、開いていた帳面をこちらへ向けた。
「冬に書いてもらった記録だ。これを見ながら、状態を確かめたい」
「わぁ、書き込みが増えてる」
私の字の隣に、別の日付と記録が並んでいる。軟膏を塗った日、寝床を替えた日、その後の様子。冬の間の記録が一覧で見られて、いい感じではないだろうか。
「バルド、翼を見せてくれ」
名前を呼ばれた竜が、体をゆっくり起こす。乾燥していた翼の付け根をジェラルドさんが確かめるのを、私も横から覗く。
「わぁ、前より綺麗になってますね」
「ああ。ひび割れはなくなったな。書いておいてくれ」
朝と夜で寝床を動かすことにした竜だ。
「今も、朝晩で位置を?」
「ああ。寝床を動かす時間になると、自分で起きるようになったんだ。えらいだろう。でも、調子も良さそうだし、外も暖かくなってきたから、もう大丈夫そうだ」
大きく欠伸をしたバルドの口の中、歯も舌も全部見えて、思わず一歩下がってしまう。温厚に見えるが、しっかりと竜だ。
「暖かくなってきたから、昼間は外に放す時間を増やしていく。今日は、その準備もしたい」
竜を一頭ずつ確認しながら、翌日からの外出時間割を決めていく。若い竜は長くて三時間、歳を重ねている子は、三十分。
「この二頭は、別の時間にしてくれ」
「はい。仲が悪いんですか?」
「逆だ。一緒だと遊び続けて、なかなか戻ってこない」
なるほど、人間と同じで相性もあるのか。十二頭を外へ出すのも、扉を開ければいいというものではないんだな。最後にフローラのところへ行くと、待っていたと言わんばかりに首が下りてきた。鼻先を撫でると、温かい息が手首にかかる。
「お待たせ。元気だった?」
「フローラ、自分の番が来るまでよく待ったな、えらいぞ」
ジェラルドさんも首の辺りを撫でてから、肩や翼を確かめる。私は前の記録を読み上げた。右肩の古い傷は変わりなく、鱗の状態も良いそうだ。
「フローラも、明日飛びますよね?」
「ああ。ただ、その前に、今夜少し付き合ってもらう、いいな?」
嬉しそうにするフローラをよそに、ジェラルドさんが私を見た。え、今夜っていうのは、その。
* * *
全部の記録を確認したところで、終了時刻になった。帳面を返して打刻をし、エプロンを外していると厩舎の外でフローラに鞍がつけられていた。
「……もしかして、フローラに乗っていくんですか?」
「ああ、そうだ。高いところは大丈夫だったな?」
「はい……! どこへ行くんですか?」
「王都の外れに、見せたい場所がある。暖かくしてくれ」
鞄からコートと手袋を出し、首元まで閉める。またフローラに乗れるだなんて嬉しすぎる。ジェラルドさんに手を貸してもらい鞍の前へ座った。続いて後ろにジェラルドさんが乗ると、背中に伝わる温かさを思い出す。
「飛ぶぞ。しっかりつかまって」
後ろに乗ったジェラルドさんの声で、手に力が入る。大きな翼が開き、地面がふっと遠ざかった。厩舎の屋根が一瞬で下に見えて、顔に当たる風が冷たくなる。前に飛んだときは迷子を探していたので、こんなに景色を見る余裕はなかった。城壁の内側には灯りが集まり、その外は急に暗い。道に沿ってぽつぽつと続く光の先にも、誰かが住んでいるのだろう。
「寒くないか?」
「大丈夫です。厚いコートで来てよかった!」
声が風に持っていかれる。フローラが大きく旋回すると、さっきまで横に見えていた王宮が一気に遠ざかった。時速何キロなんだろう、生身で飛んでいい速さではない気がするけれど、背中にジェラルドさんがいると心強い。
数分飛んで降りたのは、丘の上だった。ジェラルドさんに支えられ、フローラから降りる。手袋を外してポケットにしまい、風で乱れた髪を耳にかけた。
「こっちだ!」
差し出された手を握り、引かれるままに頂上へ進んでいくと、眼下には王都の夜景が広がっていた。
「……うわぁ……!」
窓の灯り、通りを照らす灯り、遠くの塔の光。空から見たときよりも、ひとつひとつをゆっくり見られる。川には、橋の灯りが細長く映っていた。
「あのまだ少し明るい通りが商店通りだ。そこから右へ行くとギルドがある」
「じゃあ、あの辺りにパン屋さんが?」
「そう。転移門は、もう少し奥だな、見えるか?」
少し屈んで同じ目線になって場所を教えてもらうと、初めて見ると思った夜景が少しずつ知っている街と繋がっていく。あそこまで歩いたことがある。あの道を曲がった。思い出すたびに、もう一度歩きたくなる。
「すごいです……!今まで見た夜景の中で、一番綺麗。ここ、よく来るんですか?」
「フローラと飛んだ帰りに、ときどき。街へ戻る前に、ここで休む。俺のとっておきの場所だ」
「そんなところに……ありがとうございます」
「……なの花さんに、見せたかった」
後ろから抱きしめられ、心臓が跳ねる。背中に触れる胸板に少し体を預けると、ジェラルドさんの手が私の両手を包んだ。鱗のある、手。この人は“人間”ではない。手のひらを返し、指を握ると、優しく握り返された。
頭の上で、何か小さく声がした。「……? 何か言いました?」と顔を上げると、「……何も」と返ってくる。気になるけれど、もう一度聞く勇気は出なかった。握られた手をそのままにして、街へ目を戻す。キラキラと光っていた夜景が、ひとつ、またひとつ、消えていった。
* * *
帰りはフローラが門の近くまで送ってくれた。別れる前に鼻先を撫で、「ありがとう、またね」と声をかける。ジェラルドさんがその隣で、「今日はありがとう。次は……夏前……では、遠すぎるな」と、少し困ったように笑った。
私も、夏までは待ちたくない。けれど、いつなら空いていますか、と聞くことがなぜかできない。昔付き合っていた人とは同じ学校に通っていたから、約束をしなくても顔を合わせていた。次に会う日を決めなければ、会えないのはなんてもどかしいんだろうか。
「来週から、一ヶ月、調査のための遠征に行くんだ」
「一ヶ月も、ですか」
「ああ。帰ってきたら、会いに来てくれないか。……約束があれば、楽しみにしていられる」
「……もちろんです!」
帰ってくる予定と、その次の休みを聞いて、予定を合わせた。先人のみなさま、私も、スマホがなくても予定が合わせられました。
* * *
部屋に戻り、コートを脱ぐ前にスマホのカレンダーを開いて予定を入れ、アプリの通知も確認する。
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【 コメント:夏も、よろしくお願いします】
鞄から手袋を出すと、まだふんわりと藁の匂いがした。




