第42話 病み上がりと、ビアードパパのシュークリーム
火曜日、久しぶりの出社だ。
薬のおかげで金曜日には熱が下がり、月曜日には体調もだいぶ戻っていた。ただ、会社で決められた出社停止の期間が明けるまでは、家でおとなしくしていた。
「おはようございます。ご迷惑おかけしました」
「あっ!おはようございます! もう大丈夫ですか?」
「大丈夫。ご迷惑おかけしました」
「いやもう、めっちゃ流行ってますよ。なぜか私はうつらないんですけど〜」
後輩ちゃんが椅子をくるりと回した。部長にも挨拶をすると、「無理するなよ」と返ってくる。はい、と答えて自分の席へ向かった。
机の上には書類がまとめてあって、付箋がついていた。確認が必要なものと、もう終わったもの。メールの未読の数字に少しひるんだが、確認してみると既に解決しているものも多い。私が寝ている間にも、ちゃんと仕事は進んでいた。
「これ、業者さんには確認済みです。返事が来なかったので、電話しておきました」
「あ、ありがとう。あれ、電話したの?」
「はい! 聞いたら即解決しました」
コピー用紙のときは電話をあんなに嫌がっていたのに。そっか、と頷き、付箋を一枚剥がした。
昼は近くの宮崎料理屋でチキン南蛮定食を頼む。今日のお昼は、自分で作った素っ気ない素うどんや卵雑炊ではなく、家では作らないものがどうしても食べたかった。冷や汁も追加。衣を噛むと熱い肉汁が出てきて、急いでご飯を口に入れた。おいしい!タルタルソースを余すことなく堪能して、はぁ、午後も頑張れそうだ。
* * *
あっという間に定時になり、帰りは戸倉さんと駅前で待ち合わせだ。私がインフルエンザになったせいで受け取れなかった手紙が、やっと読める。
「お疲れ様です。もう元気になりました?」
「はい、すっかり。長いこと預かってもらっちゃって、すみません」
「いえいえ。はい、これです」
鞄から出てきたのは、透明なクリアファイルだった。中に、厚い紙の封筒が一枚入っている。現世の文房具に収まった異世界の手紙は、少し不思議な感じがした。
「ファイルも持ってっちゃってください。家にいっぱいあるんで」
「何から何まで、ありがとうございます」
受け取った封筒に、私の名前が書かれていた。なの花さんへ。“スキミーさん”ではない。それを見ただけで、少し口元が緩んでしまう。
「今日は、一人で開けられますか?どこか入りますか?」
「あ、はい、そうですね、これは、一人で、はい。あ、これ、ちょっとしたお礼で……」
駅でいい匂いを放っていたビアードパパのシュークリームを手渡す。
「わ!これ!食べたことないんですよ!いつも匂いに惹かれるんですけど一人で並ぶの恥ずかしくて」
「男の人も結構並んでますよ」
「でもなんか恥ずかしいんですよ。ありがとうございます。塩谷さん、いつもお菓子くれますね」
戸倉さんが笑った。私も笑って、ファイルを鞄の中にしまい、今日は立ち話だけで足早に家に帰った。
* * *
家に着いて、まず手を洗い、上着を脱いだ。前回はカフェで無理やり開けてしまったので、今回はハサミを用意する。封筒の端を細く切り、中の便箋を取り出した。いつもと同じ、綺麗な字が並んでいる。
『なの花さんへ
手紙をありがとう。俺も、また一緒に出かけたいと思っていた。
もらったチョコレートは、もう食べ終わってしまった。とてもおいしかった。
三月二十七日に、厩舎の春支度を予定している。冬につけた記録を、また一緒に見てもらえると助かる。
もしその日に来てもらえるなら、仕事のあと、少し時間をもらえないだろうか。連れていきたい場所がある。夜はまだ冷えるので、暖かくして来てほしい。
ジェラルド・ヴェイン』
連れていきたい場所……。
どこだろう。ご飯を食べる店だろうか。でも、夜は冷えるとわざわざ書いてあるから、外なのかもしれない。王都の地理はほとんど知らないので、考えたところで見当もつかなかった。
とりあえずスマホを開いて、スキミーを確認する。
【 王立厩舎 春支度の補助 】
【 時給:3800ゴールド 】
【 備考:冬季の記録確認、竜を外に出す準備、寝床の整備など。勤務経験者歓迎 】
勤務経験者歓迎、って私以外にいるのだろうか。応募のボタンを押してから、カレンダーにも予定を入れる。金曜日の夜。翌日は休みなので、仕事のあとに少し出かけても大丈夫だ。
そうか、もう、春の仕事なんだな。
冬支度のとき、春にもう一度会えたらと言われたことを思い出す。あのときは、春までには気持ちを整理できると思っていた。今も、何かがはっきり決まったわけではないけれど、少なくとも会いに行くのを迷うことはなくなった。
コーヒーを淹れて、シュークリームを出す。ザクザクした生地の中のとろりとしたクリームが美味しい。出勤して、仕事をして、家で一人、甘いものを食べる。いつもの一日だ。
食べ終わってから、戸倉さんにLINEを送った。
『手紙、読みました。ありがとうございました。<二十七日の仕事のあと、行けます>とお伝えしてもらえますか?』
『了解です。明日ギルドに行くので、セレネさんに伝えます』
『お願いします。いつもすみません』
『いえいえ、俺も、あちらとの連絡を塩谷さんにお願いすることがあるかもしれませんし』
そのときはもちろん、引き受けよう。スマホも電話もメールアドレスもない相手と約束をしていた昔の人は、次に会う日を、その場できちんと決めていたんだろうか。
* * *
寝る前に、金曜日に持っていくものを確認した。
黄色いエプロンは洗ってあるし、仕事にはいつものパーカーと動きやすいパンツで行く。仕事のあとに出かけるからといって、厩舎の掃除をスカートでするわけにはいかない。
コートは、まだ厚いほうにしよう。手袋もいる。やっと元気になったので、また風邪を引くわけにはいかない。
鞄に手袋を入れ、手紙を畳んで封筒へ戻した。




