第41話 インフルエンザと、ペナルティポイント
木曜日。朝会を終えたところまでは元気だった。
昼ごはん前、後輩ちゃんに「先輩、なんか目がうつろですよ」と言われたことで、自分の体調が崩れ始めていることに気がついた。それを横で聞いていた部長に「上の階、インフルエンザ出たらしいぞ、塩谷、今日はもう帰ったほうがいいんじゃないか」と“さっさと帰れ”のお達しを受ける。ただの風邪な気もするけれど、こういう時は人の意見を聞いてさっさと帰ったほうがいい。仕事はたっぷり残っていたが、後輩ちゃんに任せてオフィスを後にする。
丁度、病院もお昼休みの時間で、一旦家に帰ることにした。マスクをしっかりとつけて駅前のドラッグストアでとりあえずポカリやゼリーを買うと……節々が痛い。ああ、これは、多分、そうだ……。
家に帰り、ギリギリ外に出られそうな家着に着替えてから体温計を探す。棚にしまったつもりだったのに、ない。前回使ったのはもう一年以上前な気がする、たいして広くもない部屋を右往左往していると、空き缶をペン立てにしているそこにマッキーと共に刺さっていた。
ベッドに座り、じっと脇の下を閉める。……マイナンバーカードはすぐに出るが、お薬手帳、どこやったっけ……。結果は37.8。とりあえず水分を取って一旦横になるしかできることはない……。
* * *
夕方病院に行き、検査の結果はしっかりインフルエンザだった。結果がでたショックよりも、鼻の奥に棒をいれた違和感のほうがまだ強い。この検査方法、進化しないんだろうか。発症すぐだと効きやすいという薬を処方してもらう。待ち時間に、会社に「今週いっぱい出社できなくなってしまいました」と連絡を入れた。久しぶりの長期休暇がこれかぁ……。
帰宅して冷蔵庫を開けると、卵と納豆と、食べかけのキムチがあった。普段の私には十分な品揃えだが、今日の私とは趣味が合わない。買ってきたゼリーを持って、ソファーに座る。あ、スプーン……。
……誰か、取って……。
口には出さなかったが、切実にそう思ってしまった。
子供の頃は、熱を出したら寝ていればよかった。お母さんが氷枕を替えてくれて、食べられそうなものを聞いてくれて、雑炊を作ってくれた。当たり前だけれど、当たり前じゃない。今までの看病にあらためて感謝したいが、ここで『お母さん、今までありがとう』なんてメッセージを送ったらそれこそ心配をさせてしまう。社内のチャットツールを確認すると、いろんな人から「お大事に」のリアクションがついていた。
* * *
そこからしばらくは、寝たり起きたりを繰り返した。氷枕はだいぶぬるくなってしまったが、替えのものはない。目を瞑っても眠れそうにないので、スマホを手に取っていつもの癖でスキミーを開く。募集案件を少し見て、勤務履歴へ移る。
王宮宝物庫、贈り物の発送、ギルドの制服修繕。ついこの前のことなのに、働いたのはずいぶん前のような気がする。画面を指で送ると、闇の工房、転移門の点検、魔王城の祭りなどが出てきた。パン屋の案件を見て、風邪をひいていたドワーフを思い出す。
最初の勤務、八月のギルド。
まだ一年もたっていないのか。
あの夜も、このベッドでスマホを見ていた。スクリーンショットを撮ろうとして、転移して、それどころではなくなって。今では、金曜日には新しいあんけ……あああ、そうだ……金曜日の案件、もう応募していたんだった。あっちの世界でこの感染症がうつるのかは謎だけれど、とりあえずキャンセルしなければ。
【 勤務予定:王都冒険者ギルド 受付補助】
勤務を始めて初のキャンセルのボタンを押す。
【 キャンセルしますか? 】
【 勤務開始24時間前を過ぎているため、ペナルティポイントが加算されます 】
会社に連絡をすると同時にこっちもキャンセルするべきだったと少し、いやだいぶ、凹んでしまう。理由「体調不良」の欄にチェックを入れてキャンセルボタンを押した。
【 スキミー運営事務局より:体調不良でのキャンセルとのこと、承知しました。回復をお祈りしています 】
時計を見るともう朝五時をこえたところで、うっすらと外も明るい。金曜、私がいなくても、あっちは、ちゃんと回るだろう。こっちも、たぶん回る。
私がスキマを埋めなくたって、回る……。
カーテンの隙間が白い。ぬるい氷枕の上、まぶたは重い。今の私にできることは、寝ることだけだ。




