第38話 王都のパン屋と、DEMELのチョコレート
フローラを厩舎に送り届けてから、私たちは王都の通りへ出た。
仕事帰りには閉まっている店も、今はまだ灯りがついている。籠に積まれた果物や、カラフルな食器やさん、ドワーフ専門の洋服屋さんなんてものもある。パンのいい匂いがする店の窓を覗くと、中から大きな声がした。
「お! あんた、スキミーさんじゃないか!」
粉のついた前掛けに、太い腕。この前印をつけたパン屋の店主だ。
「こんばんは!こんな可愛いお店だったんですね」
「入れ入れ、寒いだろ!」
扉を開けてもらうと、いい匂いでいっぱいだ。棚には丸いパン、何か木の実がのっているものや、バゲットのようなもの、色々ある。カウンターの奥にある工房では、小柄なドワーフが働いていた。
「この間は助かったよ。あいつもすっかり元気になってな」
「あ、風邪をひいてたっていう」
「そうそう。おい、代わりに来てくれた人だぞ!」
ドワーフは顔を上げ、「その節はどうも!」と手を振った。私も慌てて頭を下げる。
ここ、こんな店だったんだ。この前は裏で二時間、ひたすら印を押して帰ったから、売っているところは一度も見ていない。
「ここのパン屋さんで、この前、焼印を押す仕事をしました」
「そうだったのか。俺よりも顔が広いな。厩舎にもここのパンが届く」
「え! じゃあ、私が焼印を押したのを食べたかもですね」
店内には少しだがイートインのスペースもあったので、ここで食べていくことにした。
「ここのおすすめは、このキノコと卵のパングラッタらしい、これでいいか?」
「なんだかわからないけれど、多分美味しそうなので、それでお願いします」
注文して一息つくと、ジェラルドさんが真剣な目でこちらを見ていた。
「……大変失礼だとは分かっているのだが……すまない、今更なんだが、名前を教えて欲しい」
「あ……!いえ、こちらこそ“スキミー”としか名乗ってなかったですよね」
一度きりのスキマバイトだったら、名前を知られる必要もない。しかし、こう何度も会うのであれば二回目ぐらいで名乗っておくべきだったと今更後悔する。“スキミーさん”と呼ばれるのも案外嫌いじゃないのだけれど。
「塩谷、なの花、です。菜の花っていう、黄色い花からつけた名前なんです」
「なの……はな」
「ああ、私の世界で春に咲く、黄色い花です。私、春生まれなので」
「そうか。……なの花さん、と呼んでもいいか?」
心臓がドキリと跳ねる。男性の声で呼ばれたのはいつぶりだろうか。ここ数年に出会った男性からは“塩谷さん”と呼ばれていたので気を抜いてしまった。
「はい、それで……お願いします」
「ああ、やっと一つ気がかりがなくなった」
安心からでた笑顔なのか、今日一番の自然な表情をみせてくれて嬉しい。そうこうしているうちに、熱々の食べ物が運ばれてきた。大きめの丸いパンをくり抜いて、茸のクリーム煮と卵を入れ、チーズをのせて焼いている……そうか、パングラタンだ!
「蓋で中をすくって食べな! 最初に切ると全部出るぞ」
言われたとおりにパンの蓋をちぎって差し込むと、とろっとした黄身とソースが絡んだ。熱い、おいしい。中を食べ進めたら、今度は器になっているパンを崩して食べる。これは楽しい。
「おいしいです!」
「気に入ってくれたならよかった。俺も初めて食べるが、たしかに美味いな」
「普段もこういうところで食べるんですか?」
「いや、平日は隊で食事が出るし、休日は簡単に買って済ませることが多い」
二人ともぺろりと完食した後、お茶を飲みながら、隣の椅子に置いた紙袋を取る。
「あの、……渡したかったもの、です」
「ありがとう。持っていたこの袋を、いつくれるのかとソワソワしてしまった。開けても?」
「もちろんです」
紙袋の中から、箱を取り出した。蓋に描かれた猫を見て、少し顔を近づける。
「これは、なんの生き物だ?」
「ふふ、これが、猫です。私のいる世界では、猫は可愛いのでお菓子の箱にもなるんです」
「これが前に言っていた“ねこ”か。かわいらしい生き物だな。その考えでいくと、こちらの世界でも竜のパッケージなんかあったらよさそうだ」
この人、やっぱり竜が好きなんだ。リボンをほどき箱を開けると、中にぎっしりとチョコレートが並んでいる。
「これは“チョコレート”っていうお菓子です。いろんな形のものがあるんですが、これは、猫の舌の形をしてるんです」
「箱だけじゃなくて中身も猫なのか。おもしろい。店を出たら、外でいただこう」
箱を紙袋へ戻すのを見届けて、ようやくほっとした。払うと言ったのに、ここは出させてくれとジェラルドさんがきかないので、お言葉に甘えて支払ってもらった。私も働いてるのにな。
「もう帰っちまうのか! スキミーさん、また来てな! 仕事でも、食べにでも」
「はい。ごちそうさまでした!」
* * *
店を出て、いっぱいになったお腹を休ませるため、すこし散歩をすることにした。もう外はすっかり暗くなっていて、キラキラと光る街灯と星が綺麗だ。空を見てみると、月ではなさそうな大きな惑星がある。そうか、ここは異世界、なんだ。
ベンチがあったのでそこに腰掛け、先ほどのチョコレートの箱をもう一度開ける。
「では、いただこう……ん、んん?」
前回渡したえいたろう飴も美味しそうに食べていたので、甘いものが嫌いではない、と思うのだけど。
「ちょっと、言葉にならない。これは相当な高級品なんじゃないか」
「え、あ、まぁ、ちょっとだけ良いチョコレートではありますが」
「これは……国が傾くぐらいに美味しい」
そんなにか! 私も一枚もらって口に運ぶ。いい具合の時間で溶けて、口の中が幸せでいっぱいになった。
「この前の飴も、大事に食べていたのだがなくなってしまった。これも大事にいただこう」
「気に入ってくれてよかったです。暖かいところに置いておくと溶けちゃうので、それだけ注意してください」
「本当にありがとう。君と会えて、話しているだけでも嬉しいのに、こんなものまでいただいて……また今度、お礼させてくれ」
膝に置いていた手に、ジェラルドさんの大きな手が重なった。少し冷えた手がぎゅっと握られてびっくりして顔を見上げると、大きな目で真っ直ぐに見つめられてしまった。お礼は、もうこれで十分です……!
「だいぶ冷えてしまったな。手が冷たい。門まで送ろう」
門のある広場に戻ったころには、通りの人も少なくなっていた。仕事のあとに戸倉さんと話したときと同じ場所なのに、今日はずいぶん長く遊んでいた気がする。
「なの花さん、次は、いつ会えるだろうか」
「……もうすぐ、春、なので」
「そうだな。仕事で会えるのも嬉しいが……。俺が、そちらにいければいいのに」
冷たい風が、一筋吹く。名残惜しさを残したまま、二人で手を振って、私は門をくぐった。
目を開けると、足元は自分の部屋の床だった。
靴を脱いで、コートを椅子にかける。部屋は出かけたときのままで、ソファには、持っていくか迷ってやめたバッグが転がっていた。
俺が、そちらにいければいいのに。
もしジェラルドさんがこっちに来たら、何をしよう。駅前で待ち合わせて、ご飯を食べて。チョコレートであんなに喜ぶなら、デパ地下なんか連れていったら大変なことになりそうだ。
考えながらソファに座って、スマホを手に取った。この機械で連絡が取れたらよかったのに。また、手紙を書こう。触れられた大きな手の温もりの感覚が、ずっと残っていますように。




