第26話【本日のスキマバイト】魔王城、年末慰労祭の一日目
十二月二十九日の二十三時、現世では年末特番がやっている時間。私は魔王城で年末慰労祭の運営補佐に向かう。三十二歳会社員、今年は色々ありすぎる。
両手に紙袋を持って転移すると、魔王城の中庭はもう祭りの匂いがしていた。
串焼きの煙と、砂糖を煮る甘い匂い。中庭にはカラフルなランタンが吊るされ、屋台が並んでいる。空はすっかり暗いのに、城の中だけがぽっと明るく浮かんでいて、見ているだけで胸がそわそわした。
ああ、お祭りだ!
「スキミーさん! 来てくれたか。今日もよろしく頼んだ」
ゴージャスな新しいマントを着た魔王様が、地鳴りを響かせながらこちらへ向かってきた。深い赤の布に金の刺繍が入っていて、どう見ても主催者である。尻尾はすでに床を叩いていて、わかりやすく緊張している。
「本日はよろしくお願いします。あの、これ、運営のみなさんで食べてください」
「これは……?」
「シウマイです。お菓子というよりは、ごはんですかね。お肉です」
「肉を、包んだものか」
魔王様の目がきらりと光った。この人、甘いものだけじゃなくて、たぶん現世の食べ物全般イケる口だ。
二箱は魔王様に預けて、残りは厨房に運ぶことにした。厨房はすでに戦場だった。三百名分の串を焼きながら、鍋を三つ並べるオーガのおばさんが「早くこれ運んでくれよ! 進まねえだろ!」と叫んでいる。袖をまくった腕が私の太ももくらいあって、迫力がすごい。
「あの、お忙しいところすみません。差し入れです。手が空いたときに食べてください」
「なんだいこれ、食いもんかい? 見たことないねえ。私はこういうのは貰ったらすぐ食うんだ、いただくよ!」
そう言いながら一個つまんで口に入れたおばさんの動きが止まった。
「……もう一個」
「あの、皆さんで」
「わかってる。わかってるよ。……もう一個」
ちゃんと全員に行き渡るか心配だが、一旦厨房は大丈夫そうなので、自分の持ち場に移動する。
今日の私の仕事は、全体の案内係。迷子、落とし物、道案内。収穫祭でやったのと同じ仕事だ。案内所の机には、ネクロス様が作った手書きの地図と、催しの時間表、落とし物記録用の帳面がきれいに並んでいた。
「……スキミーさん……」
黒いフードの奥から、ネクロス様が小さく声をかけてくる。
「工程表、すごかったです。あれ、自分たちで作ったんですよね」
「……増えた」
「え?」
「工程表……増えた……」
壁を見ると、そこには当日配置図、担当者一覧、食材搬入表、来賓席表、催し別タイムテーブル、緊急時連絡網らしきものまで貼られていた。
すごい。本当にすごい。三百年、丼勘定でやってきた城が、二週間でここまで来ている。……ただし、すごいことと、問題がないことは別である。
「この赤丸はなんですか」
「……未確定」
「多いですね」
赤丸は、調理場、受付、灯りの行列に集中していた。調理場は人手不足。受付は村ごとの到着時間が読めない。灯りの行列は、灯りの石が二百個不足。二百個?!
「わかりました。全部を一気に解決しようとしないで、一つずついきましょう。受付はとりあえず並んでもらって到着順で入れましょう。整列するための線をどなたかに引いてもらってください。灯りは、全部を明るくするんじゃなくて、要所だけ明るくしましょう。暗い場所は、逆に“星を見る区間”でどうですかね。この世界の星、結構綺麗なので」
「星を……見る……」
「灯りが足りないなら、夜空を楽しむ演出にしましょう」
言ってから、展示会で足りないパネルを「余白を活かした導線」と言い換えた先輩の顔を思い出した。あの時は何を言っているんだと思ったけれど、今なら少しわかる。物は言いようだ。もちろん、安全は大事です。
ネクロス様はしばらく黙ってから、地図に文字を書いた。
『星を見る区間』
字が少し嬉しそうだった。やがて、大きな鐘が鳴り、門が開く。
外には、村の人たちが道いっぱいに立っていた。魔物の顔も、人の顔も、獣の耳もある。三百名はゆうにいる。
が、誰も入ってこない。
門の内側では、魔王様が階段の上で待っている。その横には四天王が並び、屋台は湯気を上げている。ランタンも揺れている。なのに、門の外の人たちは不安そうな顔でこちらを見ているだけで、中庭はしんとしていた。
そうだよね。百年、こういう用事がなかったのだから。招かれたって、ここは魔王城で、階段の上には魔王がいる。入りにくいに決まっている。
魔王様は口をぱくぱくさせていた。何を言えばいいのかわからない顔だ。私だってわからない。スキマバイトの案内係が「ささ!どうぞー」と言って動く空気ではなかった。
そのとき、ガルガンチュア様が何かを見つけたように階段を降りた。門の外へ向けて、大きな声で言う。
「トッド!」
人だかりの中心で、初老の男性が肩をびくっとさせた。
「……ガルガンチュア様」
「久しぶりじゃないか! なんだその顔は。腕相撲は明日だぞ。今日は食え」
「は、はい」
「入れ! あたたかい料理がたくさんあるぞ!」
トッドと呼ばれた男性が、一歩踏み出す。それで流れができた。後ろの人たちが続き、子供が走り、列が門をくぐって中庭の光の中に入ってくる。あとで聞くと、ガルガンチュア様とトッドさんは旧知の仲で、若い頃は一緒に修行もしていたらしい。
魔王城の歴史、少し勉強したいな。
その後も、ガルガンチュア様は門の脇に立ったまま、通る人に「食え」「飲め」「串はあっちだ」「子供には菓子もあるぞ」と声をかけていた。
レヴィナス様は入口で来賓のチェックをして、カーミラ様は村の長老たちに囲まれながら「あら、それは初耳」と扇の陰で笑っている。しっかり外交しているじゃないか。魔王様はいつのまにか階段を降りて、串焼きの列に普通に並んでいた。
主催者、威圧感がすごいですよ。
祭りが動き出すと、案内係の仕事もちゃんと始まった。落とし物の管理、催しの場所案内、地図の配布。小さい子にお菓子配りの場所を聞かれ、年配の人に座れる場所を聞かれ、どこかの村の若者に腕相撲大会の受付を聞かれる。
その合間に、私は姿が見えなくなったネクロス様を探した。
……城壁の上にいる?祭りのリーダーは、祭りを感慨深く見ているのかもしれない。というか、よく見ると城壁の上に骸骨兵が三百体、等間隔で並んで中庭を見下ろしていた。ぼんやりとした灯りの中で骨が白く浮いて、初めて見た村の人が「ひっ」と声を漏らしている。
骸骨兵たちは動かないけれど、全員の顔が中庭に向いていた。串焼きの煙も、走る子供も、樽の上で踊っている誰かも、ぜんぶ見ている。迷子が出たのは、祭りの終盤だった。
母親が案内所に駆け込んできて、「五歳の男の子、赤い帽子をかぶっているんです」と言う。中庭は人でいっぱいで、屋台の間は暗い。収穫祭のときはフローラの背中があったけれど、ここには竜はいな……いや、上がある!
「ネクロス様! 赤い帽子の男の子、そこから見えますか!」
城壁の上でフードが動いた。それから、三百体の骸骨兵が一斉に同じ方向を指差す。三百本の骨の指が、影絵の幕の裏を指していて、迷子探しにしてはだいぶ不気味な光景だ。
けれど、男の子はすぐに見つかってくれた。母親に抱き上げられた男の子が城壁の上を見て骸骨兵に手を振ると、三百体が手を振り返した。おお、荘厳。
その少しあとに、厨房から悲鳴が聞こえた。次から次へとトラブルが起こる。
「スープが足りないんだよ! あと百人並んでいる!」
オーガのおばさんが鍋の底をおたまで叩いている。三百名分作ったのに、二杯目を飲んでいる人がいて計算が合わなくなったらしい。
「あの、器、他にありますか?」
「浅いやつならある。数はあるけど、少ししか入らない」
「それでいきましょう。深いお椀に半分より、浅いお椀にいっぱいのほうが、もらった人は嬉しいです」
「……そうなのかい」
「大学の文化祭……お祭りで学びました」
浅い椀にいっぱいのスープが配られて、誰も文句を言わなかった。おばさんは「食えれば同じか!」と言って、どこから出したのかシウマイを一個食べていた。
入り口では、魔王が村人に挨拶をしている。
「本日は来てくれてありがとう」
「また明日も、よければ」
「寒いから気をつけて帰るように」
最初はぎこちなかった笑顔が、だいぶ自然になっているし、村の人たちも最初のような怖がった顔ではなく、「串、おいしかったです」「明日の腕相撲、うちの息子が出ます」と、口々に話しかけていた。
魔王様はそのたびに、大きな体を折るようにして頷く。その光景を見て、胸の奥がじんわり温かくなった。
祭りって、すごい。百年動かなかった距離が、串焼き一本で縮まるんだから。明日は腕相撲大会もあって、さらに盛り上がるんじゃないだろうか。
そう思った、そのとき、門の外がざわついた。帰りかけていた村人たちの列が割れる。なんだなんだ、と覗き込むと、向こうから、濃紺の一団が近づいてきていた。
先頭にいたのは、背筋の伸びた王宮財務局の監査官。エルバートさん!?その後ろには、王宮の紋章をつけた数人の役人。そして、その隣を歩いている背の高い竜人の騎士。
「……ジェラルド、さん?」
濃紺の外套に、銀灰色の髪。寒空の下で、角が月明かりを受けて光っている。彼は私に気づくと、ほんの少しだけ目を見開いた。魔王様の揺れた尻尾が、ぴたりと止まる。
「王宮財務局、エルバート・グラン。魔王領年末慰労祭の視察に参りました」
いやいやいや、今日そんな展開があるなんて、聞いてない!




