第22話 【本日のスキマバイト】王立厩舎の、冬支度(後編)
外套を借りたまま七番から先の子を確認し、次は寝床の入れ替えだ。
「少し休憩するか。先ほどいただいたその、あめ、とやらをいただこう」
ポケットの中から二粒出して、一つを私に手渡した。口の中にいれると、ちょうどいい甘味が鼻に抜けて、一気に心が安らぐ。カラコロと口の中で鳴る音も心地よい。
「……これは、美味しいな」
「よかった。他にもいろんな種類があるんですよ、板の形とか」
「興味深いな。これは気づいたら食べて、なくなってしまいそうだ。大事にいただこう」
まだ溶け切らない飴を口の中にいれたまま、次の準備に取り掛かる。寝床の藁を全部出して、新しいものを敷いて、ならす。竜は寝床にうるさい生き物らしく、気に入らないと一晩中うろうろして、翌日に不機嫌になるのだという。
「なんだか、猫みたいですね」
「?ね?なんといった?」
「ねこ、です。私の世界の生き物で、小さくて、気まぐれで、寝床にすごくうるさいです」
「……竜と同じだな」
ジェラルドさんは藁を抱えたまま、少し考えてから言った。
「その、ねこ、ってのは、人の役に立つのか」
「役には〜……立ちません!」
「では、なんで一緒に暮らすんだ?」
「とってもかわいいからです」
彼は少し考えて納得したらしく、「ああ、それは理由になるな」と頷いた。この人、竜のことを可愛いと思っていて、ものすごく好きなのだと思う。
九番の竜は年寄りで、藁を替えるあいだ、じっと私を見ていた。前回の検診で「歳をとると診察が長い」と愚痴を言っていた竜だ。
「なにか言ってますか」
「藁が新しいうちは硬い、と。まあ、こいつは九十年ここにいるから、それくらいは言っていい」
九十年。私が生まれる前から、この厩舎で冬を越してきたのか。ていうか、ジェラルドさんって何歳なんだろう。もしかして、すごく年上だったりする……?
最後が、フローラだった。
フローラの前に立つと、ぐりぐりと頭を押し付けてくる。今夜は分厚いコート越しなので、痛くない。
「フローラのこの場所は、一番風が入り込まないんだ」
「特等席なんですね」
「……いや。こいつがここを選んだ理由は、別にある」
ジェラルドさんが指したのは、厩舎の壁の高いところにある、小さな窓だった。
「あそこから、転移門が見えるだろう。フローラは、あの門が光ると首を上げるんだ。誰が来るのか、確認してるんだろう」
「……誰かを待ってるんですか?」
「さあ。俺の口からは、なんとも」
十二頭ぶんの記録が埋まり、ジェラルドさんは最初の頁から最後まで確認して最後に自分の署名を入れた。
「これで、この冬は越せそうだ。助かった」
「こちらこそ、勉強になりました。……あの、バルドの朝夕の移動は、誰が?」
「担当は爺だな。忘れたら、あなたに叱られると伝えておこう」
私、そんなに怖い? 雪はもう厩舎の屋根をうっすら白くしていた。厩舎を出て歩き出したところで、ジェラルドさんが小さな陶器の壺を私に差し出す。
「さっき言っていた軟膏だ。寝る前に塗るといい」
「ありがとうございます。……あの、竜用ですよね。私、鱗ないですよ」
「なくても効く」
壺は小さくて、手のひらにすっぽり収まった。
「……春の記録も、頼めるだろうか。鱗が生え変わる時期は、また別の見方がいるんだ」
春とはまた、ずいぶん先の話だ。私はまだ、来月のことも決めていないのに。
「私、スキマバイトなので。そのときになってみないと、わからなくて」
言ってから、少しだけ胸が痛んだ。本当のことなのだけれど、断ったみたいに聞こえたかもしれない。ジェラルドさんは、しばらく黙って歩いていた。
「……わかっている。あなたには、あなたの世界の暮らしがあって、ここへ来るのは、そのスキマの時間なんだと」
彼は足を止めた。
「これは、仕事の頼みじゃなくて」
振り向いた顔が、まっすぐこちらを向いていた。ランタンの灯りが遠いので、金色の目だけが、やけにはっきり見える。
「……春に、もう一度あなたに会えたらいいなと、そう思ってる。それだけなんだ」
真剣な眼差しをまっすぐに浴びてしまい、雪の音が、消えた。
「……あ、あの」
「ああ、いや。返事はいい。困らせたいわけじゃない」
困ってはいないのだけれど、心臓のほうが完全に手に負えなくなっていて、私は口を開けたり閉じたりしていた。何か言わなければ。何か。
「……私も、」
その先を言おうとしたとき、風が強く吹いて、私のマフラーの端があおられた。ジェラルドさんが手を伸ばして、それを押さえてくれる。ついでみたいに、首元をきちんと巻き直された。
「今日は、何も言わないでくれ」
「……ずるいです」
「門まで送ろう。地面が凍っていて危ないから、ここに」
差し出された腕は“掴まれ”の合図だ。少し戸惑ったが、たしかに転移門までの道は少し危険だから、と自分に言い訳をして腕に手を通し、私たちは並んでゆっくり歩いた。
転移門の光が近づくにつれて、隣の人の輪郭が白く縁取られていく。整った横顔が、本当に綺麗だ。門の手前で振り返ると、厩舎の高い窓から、フローラがこちらを見ていた。私が手を振ると、地鳴りみたいな声で一声鳴いて、雪がぱらぱらと屋根から落ちる。門の前で外套を返し、「では、また」と小さくお別れの言葉を告げた。
その夜の評価画面はこうだった。
【 本日の給与:7600ゴールド 】
【 このワーカーへの評価:★★★★★ 】
【 コメント:記録のおかげで、この冬は越せます。良い冬になりますよう。 G・ヴェイン 】
良い冬になりますよう、という一文を、私はしばらく眺めてしまった。枕元には、竜の鱗と、小さな軟膏の壺が並んでいる。言われたとおり手に塗ってみたら、花のような、少し甘いにおいがした。明日には消えてしまいそうな匂い。
――春に、もう一度あなたに会えたらいい
目を閉じると、あの声がそのまま残っていて、なかなか眠れそうにない。返事はいらないと言われたけれど、私はもう彼に会いたくなっている。
次は魔王城のお祭りの仕事だ。切り替えていこう。




