第21話 【本日のスキマバイト】王立厩舎の、冬支度(前編)
金曜日の夜、私は久しぶりに王立厩舎の門をくぐった。
前に来たときはまだ秋の入り口だったのに、今夜はもう息が白い。ここの世界にも冬が来るんだな、と当たり前のことに感心してしまった。門の脇の石柱に薄く霜が降りていて、指で触れるとさらりと崩れる。
厩舎の中は外よりだいぶ暖かかった。藁と、乾いた草と、それから、馴染みのない獣のにおい。天井から吊るされたランタンの下で、十二頭の竜がそれぞれの寝床にいて、私が入っていくと何頭かがゆっくり首を持ち上げた。
その中央で、……ジェラルドさんが待っていた。濃紺の騎士服の上に、毛皮の裏地がついた外套を羽織っている。綺麗な角にランタンの光が反射していて、正直、あのですね、すみません、ちょっとかっこよすぎる。
「来てくれて助かった。急に指名して、悪かったな」
「いえ、あの、光栄です。……あ、いや、しっかり働きます。あと、迷惑でなければ、これ」
ジェラルドさんに渡す初めての手土産は、あめやえいたろうの“えいたろうあめ”にした。ゆっくり食べる時間もないと思ったので、一つ口に放り込むだけで少し元気になる飴。カラフルで、飽きのこない味だ。
「これは、なんだ?」
「あめ…キャンディー、です。甘いもの、好きですか?」
「ああ。好きだが。ありがとう、あとでいただこう」
今夜の仕事は、冬支度の準備補助、らしい。渡された紙には十二頭ぶんの表が引いてあって、鱗の状態、翼、寝床、備考。
「竜は寒さに強い、と思われてるのを知っているか」
「いえ、全く。寒いのに強いんですか?」
「強いよ。ただ、冷えると鱗が乾いて、翼の付け根から割れるんだ。若いのほど無理をするから、こっちが見てやらないといけない」
だから冬の前に、一頭ずつ鱗の乾き方と翼の状態を確かめて、寝床の位置を見直すのだそうだ。人間でいえば、健康診断と衣替えと引っ越しを一度にやるようなもの、だろうか。
「あの、聞いてもいいですか。なんで私を指名してくださったんですか。記録係なら、この国にもいそうなのに」
ジェラルドさんは手を止めて、少し考えてから答えた。
「あなたの書いた記録は、後から読んでもとてもわかりやすかった。当たり前にできることじゃないよ、それと……いや、なんでもない」
何を言いかけたのかわからないが、ありがとうございます、とだけ言って、私は帳面を開いた。
作業が始まると、前回の検診とは勝手が違う。あのときは数値を書き取るだけだったけれど、今夜は「どうするか」を決めながら進んでいく。つまり、会話が多い。
「一番のカイル。鱗、良好。乾きもない。寝床はこのままだな」
「はい」
「二番のティア。少し乾いてるが……本人は寒がっていなさそうだ。……様子見」
三番のバルドで、初めて手が止まった。たしかに、この子は鱗の乾きが目立っている。翼の付け根を触られると少し嫌がるそぶりを見せた。
「寝床、奥に移すか……」
「奥のほうが暖かいんですか?」
「ああ。風が入らない。ただ、奥は薄暗くて朝日が当たらない。日を浴びないと、鱗の張りが戻らないんだ。……どっちを優先させるか」
風を取るか、日を取るか。どちらかしかないなら、片方を諦めるしかない。……いや、待って。
「日中は手前で、夜は奥、じゃだめですか?」
「毎日、移すのか」
「あ、そうですよね、十二頭ぶんやったら大変ですよね。すみません、思いつきで」
「いや」
彼は少しのあいだ黙って、ふっと表情をゆるめた。
「バルドだけならできるだろう。……よく思いつくな、あなたは」
思いついたというほどのことでもない。うちの会社にも、観葉植物を出社時と帰る時で動かしている人がいる。ただ、その発想がこの厩舎になかったというだけの話。外から来た人間にしかできない役割というのは、こういうコトなのかもしれない。
「記録には、どう書こうか」
「備考に『冬季のみ、朝夕に寝床を移動』と書いて、担当の方の名前も入れておきましょう。誰がやるか決めないと、いつのまにかやらなくなってしまうので」
「……えらく実感がこもってるな」
「うちの会社にも、担当者がいなくて消えていった仕組みがたくさんです」
書きながら喋っていたせいで、羽ペンが滑って字が歪む。書き直そうとしたら、横から手が伸びてきて帳面の端を押さえられた。
「あ……ありがとうございます」
押さえてくれているのは、さっき竜の首を撫でていたのと同じ手。指が長くて、手の甲にうっすら鱗がある。ち、近い……。
「その、手の甲にも……鱗が、あるんですね」
「ああ、竜人だからな。冬は乾くから、俺も手入れがいる。……あなたの手も、乾いてるな」
「え」
「厩舎の空気はやたらと乾くんだ。帰りに軟膏を持たせるよ。竜用だが、人にも効く」
竜用の軟膏。もらっていいのだろうか。というか今、私の手を見ていたの? こんなことなら、せめてネイルぐらいしておけばよかった。
四番、五番と進んで、六番まで来たところで、外の気配が変わったのが肌でわかる。
「雪!」
「寒いと思ったが、今年の初雪が降ったか」
竜たちが、示し合わせたように一斉に首を持ち上げて、開いた扉のほうを見た。
「この子たち、雪、好きなんですか?」
「初雪の日だけは、全頭こうなる。理由はわかってないんだが」
十二頭の巨大な生き物が、揃って外を眺めている。誰も何も言わないので、私も帳面を持ったまま、しばらく雪を見ていた。扉から冷たい風が入ってきて、思わず身をすくめた瞬間、視界の端で外套が動いた。大きな布が、背中にかかる。
「悪い、寒いだろう。ちょっと重いが、これを着ていてくれ」
「いえ、あの、平気です。それに、ジェラルドさんが、」
「俺は寒さに強いから、大丈夫」
外套からふわりと香る獣のような匂いは、決して嫌なものではなかった。なんだろう……落ち着く。
「では、お言葉に甘えて……ええと、続き、いきましょうか」
残りは六頭。今夜の仕事は、まだ半分残っている。




