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自由を求めて逃走劇

-2-

闘技場の自由市民ゾーンの人気のない廊下を選んで進んでいく。

不意に脳内にノイズ音が走った。

今度はなんだ。

「ニック…!」

心配そうな声が脳内に直接聞こえる。念話だ。

「その声、サンディか?」

「そうだよ。無事でよかった!」

「お前、合図のことちゃんと決めてなかっただろ!」

感謝しないといけないのはわかっているが、どうしても少し責めるような口調になってしまう。

「あのまま待ってたら危うく死んでたぞ!」

「ごめんね…!」

正面から人が来る気配を感じる。慌てて手近なドアに手を掛けた。

「あ、待って。そっちはダメだ!」

脳内でサンディが警告を発する。

「こっちだ!」

俺の足が勝手に横道へと逸れていく。なんだコレ。

「おい!お前!俺の体の操作ができるのか!?」

「ごめん!緊急時だから我慢して!今はとにかく逃げないと…!」

サンディが俺の足を繰り、明確な意思をもって俺を一つの部屋へと導いた。

部屋に滑り込み、すかさずドアのかんぬきを掛ける。

あの日、奴らが八百長の相談をしていた部屋だった。

「で、次はどうする?」

俺の首が勝手に90度曲がって上を向いた。

通気口の格子が見える。

「あれ、届く?」

「届くが…まさかあの垂直の穴を登れとか言わないよな?」

「ここが無理なら正面突破しかない」

おいおいおい。実質ここしかないじゃないか。

ガリガリのサンディなら楽勝かもしれないが、俺の骨格で通れると思ったのか?

廊下から慌ただしい足音が聞こえ、俺はドアの死角で息を殺した。

「どこだ!?」

「まだコロッセオ内にいるはずだ!」

「探せ!」

思わず舌打ちが漏れる。

「やるしかねえ」

部屋にある古びた家具を通気口の下に積み上げてそこを足場に、慎重に格子を持ち上げる。

通気口のふちに指を掛けてゆっくりと体を持ち上げる。

頭は入った。

が、肩がつっかえる。

「ぐっ…!」

片腕を無理に先に穴に押し込む。体をすぼめながらなんとかもう片方も滑り込ませた。

どうにかこうにか両手で体を支えて、上半身が穴に隠れる。

不意に、穴が脇腹を掠めた。

激痛に思わず呻く。

「ぐああ!」

身をよじった途端、不安定な足場がぐらつく。

ドアの方に声が近づいてくる。

「声がしたぞ!?」

ドアを押す音。

「内側からかんぬきがかかっている!」

「ここにいるぞ!」

ドン!体当たり。

「ニック!急いで!」

「わかってるよ!」

俺は深呼吸して痛みを抑えると、椅子を蹴って飛び上がった。

その勢いで全身を通気口に収めると、両手両足で踏ん張って垂直の縦穴をよじ登る。

足元で破砕音。

「おい、どこだ!?いないぞ!」

「隣の部屋じゃないか?」

隣の物置部屋のドアに体当たりする音。

危ない危ない。

上を見られたら終わってた。

壁を伝っていた俺の手が空を切る。横穴だ。サンディの指示でそちらへと進むと穴の先にぼんやりと光が見えた。

「アレが出口だよ!」

狭い穴の中を這って進む。突き当りを見上げれば格子の先に空が見えた。

四隅に重しが乗せられいて格子は重かった。

じくじくと血がこぼれる脇腹を庇いながらやっとのことで格子を退けて、穴の外へと這い出す。

少し湿り気を帯びた風が俺の髪をなぶる。

ここはコロッセオから張り出した増築された待機所みたいな建物の屋根のようだ。振り返ればコロッセオ越しにラティーノの街が見えた。

ラティーノの市街地ってこんなに広かったんだな。

思わず美しい街の様子に見入りそうになるが、感慨にふけっている暇はない。

脳内にノイズ音がまた走る。

「ニック!西の方向だ!」

西ってどっちだよと思ってキョロキョロと見渡す。

「ストップ!今のあの建物の窓から青い垂れ幕を垂らしてる部屋まで来られる?」

「あー、アレね。オーケー」

屋根を滑って隣の建物に飛び移り、雨樋を伝いながら指定された長屋の屋根に到着する。

青い垂れ幕の部屋の窓は開いていた。屋根から窓の桟に足を掛けて忍び込む。

「ニック!よかった!」

その室内にはサンディが待ち構えていた。


-3-

サンディは窓を閉めて垂れ幕を引くと、俺を椅子に座らせた。

「ひどいケガだ」

脇腹の傷の具合を確認し、いつものように的確に治療を施していく。

「なぁ…」

サンディに聞きたいことは大量にあるが、言葉が渋滞していて言葉にならない。

治療が済んだら今度は布の山と共に脱衣所に押し込まれた。

「残りのは後で治すから、とりあえず着替えて」

まあ、いかにも「闘技場から脱走してきた興行傀儡です」って格好してるもんな。

沸かした湯を溜めた桶が2つと手ぬぐいが置いてあったので、それで血と砂をぬぐった。

湯が手の甲のめくれた皮に染みた。

あいつらを殴った時に拳もちょっと傷ついていたらしい。

身ぎれいにしてサンディに渡されたこざっぱりした服を着て鏡の前に立つ。

褐色の肌、短く刈り込んだ黒髪、灰青色の目。全部ありふれた特徴だ。しいて言えば丈が短くて隠しきれてない傷跡がかなり特徴的なんだけど。この格好なら、ぱっと見は俺だってわからない…よな?

部屋に戻るとサンディはテーブルに座って食事していた。

暢気に飯かよ。その肝の据わり方に面食らう。

サンディが俺の分を差し出してくる。

「ニックも食べて。まだ先は長いから」

俺は促されるままに席に着いた。

こんな状況じゃ何喰っても味しなさそうだけどな。

いや、うまっ。

柔らかい甘みが口いっぱいに広がる。

「ナニコレ、めっちゃウマ…」

「何って、ただの白パンだけど?」

パンと言えばなんか平たくてべちゃっとした奴だろ。

と言いたいが、食べるのに忙しくてしゃべっている場合じゃない。

俺の食べっぷりにサンディが苦笑する。

「まだあるから遠慮しないでね…ってここは別に僕の家じゃないんだけども!」

パンの付け合わせにと、干し肉やチーズまで勧めてくる。

それを裂きながらやっと飲み込む。

「じゃあ誰の家なんだ?」

「空き巣に入られた気の毒な男の家さ。盗られたのは服と今日の夕飯だけだけども」

「空き巣…?」

それって俺たちのことか?

「ま、夕刻まで帰ってこないから安心していい」

心配してるのはそこじゃないけど、まあいいか。逃走奴隷になった時点で俺は犯罪者だ。

他人の夕飯だといわれると気が引けるけど、状況が状況だし、おいしく食べるから許してほしい。

どこの誰とも知れない気の毒な男に謝りつつ、俺は干し肉やチーズも平らげた。

人心地ついたところでサンディがこの後の逃亡計画について話し出した。

「ここにいても見つかるのは時間の問題だから、今日中に街を出るよ」

「街を出てどこに行くんだ?」

「僕に任せて」

サンディは窓の垂れ幕をめくると、雲の隙間に顔を出した太陽に日時計をかざした。

「街の門が閉まるまであと2時間って所だね」

今なら聞いてもいいだろうか。

「なあサンディ。お前はいったい…?」

サンディは意味深長に微笑んだ。

「その話は安全なところに逃げてからにしよう。街を出たらちゃんと話すよ」

俺はその底知れない雰囲気にうなずくしかなかった。


夕暮れを待って俺たちは誰とも知れない家を出て市街地を歩いていた。

「なあこんな普通に歩いて大丈夫なのか?」

「ニック。むしろ堂々としてた方がいい」

変装らしい変装もなく。

いや、自由市民のコスプレをしているという点では十分な変装なのか?

まさかこの俺がサンディがテキトーにアイロンを掛けた無地のしょぼい素材の安物とはいえトガを着用してるなんて誰も思わないだろうし。

トガは成人済みの自由市民にだけ許された服だから、これを俺(奴隷)が着てるってのもバレたら処罰ものだろう。

すれ違う人の視線が刺さる気がするのは、着方が変だからなのか、自分が逃亡奴隷だっていう自意識のせいなのか。

居心地の悪い思いをしながら、なんとか門の近くまでたどり着く。

門の前は佩刀した憲兵数名がうろうろしていた。騎兵も門に通じる橋を行ったり来たりと巡回している。

憲兵たちは手に持った紙を見ながら何か喋っていた。

遠目にも大きく男の似顔絵が載っているのが見えた。

まさかとは思うけども。

「俺の手配書だったりして」

さすがに自意識過剰かな。たかが奴隷の逃走。

それくらいラティーノじゃよくあること…なのかどうかはよくわからないけども。

サンディは軽くうなずいた。

「まあニックの手配書だろうね」

「えっ!?」

「操縦士を半殺しにして逃げた興行傀儡なんて前代未聞の凶悪犯だと思うよ。ロマニアの秩序のためにもさっさと捕まえたいだろうね」

「えええっ!?」

「でも派手にやってくれてよかったよ。逆にね!」

「それはどういう…?」

サンディが日時計を取り出す。

雲がちの空に浮かぶ夕日が時刻を示す。

「閉門作業が始まる頃だ。行こうか」

悠然と通りの真ん中を歩いて門へと向かうサンディの後ろを追いかける。

「なあ、ほんとにここ通って外出るの?」

「もちろん本気さ!」

橋の途中まで来たところで二人の憲兵が行く手をやんわりと遮る。

「止まれ、身分証を見せろ」

片方の憲兵の手には手配書が握られている。

俺の顔を見て怪訝そうに眉をひそめた。

「お前どっかで…」

まずい。

サンディが薄く笑いながら喉に手をあてて大きく息を吸い込む。

「興行傀儡のニケラスを見つけたぞ!指名手配中だ!」

魔法で拡張された声が橋の先の憲兵にまで届く。

「お、おいサンディ!?」

やっぱりこんなのうまくいかないだろ!

「なに!?」

憲兵が手元の手配書と俺を見比べる。

その隙を逃さず、俺は金貨の袋でフルスイングする。

倒れこんだ憲兵の体から剣を抜き取り、唖然とする隣の憲兵の鳩尾を柄でしたたかに殴りつける。

この二人なんて序の口だ。

正面から剣を構えた憲兵たちが走ってくる。

俺は剣を振り回しながらそいつらから距離を取りながら考える。

彼らを殺したら罪状がさらに重くなってしまう。でもこの人数差で殺さずにやり過ごすなんて無理だろう。

どうする。

不意に脳内にサンディの声が届いた。

「避けて!」

気配を感じて慌てて橋の端に飛びのく。

次の瞬間、突撃してきた馬が正面の憲兵複数人を轢いた。

ジョッキーは当然のようにサンディだ。

まさか騎兵から奪ったのか?どうやって?

「ニック!乗って!」

サンディが手を伸ばす。

俺が乗ったのを確認すると、サンディは馬の腹に蹴りを入れる。

馬がいななき、走り出した。

「閉めろ!閉めろ!」

憲兵が門の傍らの機械を回し始める。

ゆっくりと閉じていく門。

「もっと速く走れって!」

サンディが苛立たしげに馬の腹にさらに蹴りを入れる。

馬が加速する。

だがその前を憲兵が立ちふさがっていた。

「ああ、もう!ちょっと持ってて!」

サンディが俺の手に手綱を押し付ける。

「え!?俺、馬乗ったことない!」

「持ってるだけでいいから!」

サンディは空間をこねるように手を彷徨わせながらゴニョゴニョと呪文を唱えた。

サンディの手の中に光が生じ、サンディがその手で前方の憲兵を指さした。

すると、憲兵たちの立っている周囲の地面が蠢く。

地割れ。

否、土が大きな鰐のような顎を形作ると、ぱっくりと開いたその巨大な顎が憲兵を飲み込みんだ。

「な、なんだ!?」

一瞬の後にその土饅頭が黒に変色したかと思うと、鉄の檻に姿を変えた。

カンカンと鉄を高らかに蹄が踏みつけて、馬は軽々と駆け上がり、加速しながら駆け下りていく。

「行くぞ!」

今にも閉じようとしている門の隙間に馬の鼻づらが飛び込む。

鉄製の門のひんやりとした空気が俺たちに迫る。

だが、間一髪!

尻尾の先がその隙間を通り抜けた瞬間に門が閉じた。

「あ、あっぶねー!」

額の脂汗を風が吹き飛ばしていく。

「いやー、うまくいったね!」

サンディが軽く身をよじって紫色の目が得意げに俺を見上げた。

「このギリギリさまで計算通り?」

「…もちろん!」

ま、結果よければすべてよしだ。

「じゃ、ニック。手綱返して!」

サンディが手綱を掴もうとしてきた。

俺は手綱を取られまいとちょっと逃げる。

「もう少しいいか?なんかおもしろくなってきた!」

「そう…?なんかハイな感じだね」

サンディは鞍の上で座りが悪そうにまた振り返った。

「あの、…ちょっと速すぎじゃない?もう少し普通のペースにしないと馬も疲れちゃうよ」

「だから、操作方法はわからないって」

サンディが締め上げられた鶏みたいな声で呻く。

「やっぱ僕がやるよぉお!手綱返してぇ!」

夕方の街道の匂いを胸いっぱいに吸い込んで俺は笑った。

心の底から笑った。

ああ、これが自由か。

そう思った。

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