戦神との邂逅と新しい主
-1-
漁から戻ってもまだ空は暗かった。
小舟を担ぐ村人の後ろを俺は魚の入った籠を抱えてついて行った。
海上でもつまみ食いしたけど、籠の中は満杯だ。
集落は小規模だから、これだけで数日はもつのかもしれない。
不意に俺は足を止めた。
「ん?どうした?」
メロアが振り返る。
「いや、なんでもない…」
心地よい波の音に、軽いノイズが入る。
いい加減にしろよ、サンディ。
イライラして念話で抗議する気にもならない。
せっかく少し気が晴れていたのに。
だが、ノイズは徐々に大きくなっていく。
「…聞こえるか」
低い男の声がした。
「…ってぇ」
脳の奥を突かれたような鋭い痛みを感じてうずくまる。
ドクドクと脈打つように頭痛が強まり、海の音が耳鳴りに搔き消されていく。
「お前は一体、誰なんだ…」
口で言ったのか、念話で言ったのか。
答えは聞こえなかった。
籠を取り落とす。
しまった。
拾おうとしたが、体に力が入らない。
地面を跳ねる魚の動きが近づいてくる。
「ニック…!?どうした!?」
そんなの俺が聞きたいよ。
俺は倒れこみ、意識が遠のいていく。
-2-
気づけば砂浜に座っていた。
空には二つの満月が浮かんでいる。さっきまで半月だったはず。
波が素足を濡らすほど海が近いのに、海の匂いがしない。
ああ、夢だな。すぐにわかった。
サァサァと潮の音に混じって足音が近づいてくる。
「よう!やっと話せたな」
「うわっ!」
後ろから覗き込まれ、思わずのけぞった。
「そんな驚くなよ」
そいつは断りもなく俺の横に座ってきた。
まるで見覚えのない男だった。
褐色の肌に緩く結んだ黒髪を肩に垂らしている。炎のような赤い目が俺を試すように笑った。俺と同年代のようで、もっと年上にも見える。不思議な雰囲気の美丈夫。
一つ言えるのは、恵まれた体躯を見るに彼もまた戦士なんだろう。
「あんたが巫女院で話しかけてきた奴か?」
「そうだ」
いつもと違って楽しげな口調だが、確かにあの低い男の声だった。
「俺はな、お前をちょっと見てきた。巫女院で波長が合ったあの日から」
「波長?」
「お前は選ばれたってことだ」
「あんま嬉しくないな」
男が俺の肩を肩を叩く。パシパシと軽妙な音が、静かな海辺に響く。
じゃれついてるつもりなのはわかるが、叩かれたところが少しひりついた熱を帯びる。
「つれないこと言うなよ。助けが欲しいのはわかってんだ」
「助け?俺が?」
男は口元を釣り上げる。肉食獣のような犬歯が薄い唇から覗く。
「あのもやしみたいな魔術師から解放されたい、違うか?」
「ああ、そういうね…」
ため息が出ちゃうね。
「なんだ違うのか?」
男は意外そうにしている。
いや、違くはないけど…。
悪い奴ってのは常にフレンドリ-に来るもんだ。3度も同じ手は食わない。
「そしたらあんたがサンディの後釜に座るんだろ?」
「わかってるじゃないか」
男は歯をむき出しにする。企みがバレるのも想定内とばかりの余裕な笑み。
「だがな、若き戦士よ。考えてみろ。お前は傀儡で、その脳みそにある回路は一生そのまんまだ。お前の体は使われるためにある。ならば少しでもマシな主人の方がいいとは思わないか?」
「あんたがサンディよりマシな根拠は?」
「ふふ!もちろんあるとも!」
男は立ち上がり、芝居がかった動きで胸を張った。
「俺がお前の主人になったら、お前に欲望の何たるかを教えよう」
「欲望…?」
「そうだ!お前もうすうす気づいているだろう。あの魔術師を殺そうが、お前は自由になれない。お前に自由を与えたところで、羅針盤もなく大洋に投げ出されるようなモノ。今のままではお前はどこにも行けない。何故ならお前には人生の指針がまるでないから」
わかったように言うな。
そう反論したかったが、俺は何も言えなかった。
「図星だろう?」
ムカつく笑顔だ。
「だからお前には俺が必要なのだ。俺が全部考えてやろう。お前を導いてやろう。お前に欠けたモノの何たるかを示し、俺が満たそう。…どうだ?」
「それは…」
どうなんだ?まったくマシだとは思えない。
サンディよりひどいんじゃないか?
なのにどうして、バカな提案だと一蹴できないんだ。
「ほら、こんなことさえお前には判断がつかない」
男が俺の鼻先に形のいい指を突きつける。
「その立派な手はただパンをちぎるためにあるのか?お前の力は酔っ払いの喧嘩を止めるために消費していい代物なのか?もっと大きなこと成せる器なのに、お前はそのすべを知らない」
「急にそんなこと言われても…」
男はふっと表情を緩め、俺の頬に指を滑らせた。挑戦的な赤い瞳が近づく。
「どうせ仕えるなら神に仕えたらどうだ?」
「神…?」
「ああ、名乗りが遅れたな。俺はマールス。戦の神、マールスだ」
マールス?ロマニアの建国の歌にも出てきたあの?
マールスは笑いながら俺の腕を引っ張った。
「うわっ…!」
戦の神を自称するだけあって強い力だ。
バランスが崩れる。前のめりになって、跪くように両膝を砂につける。
「ちょっ…」
マールスの笑顔がふっと消える。まだ楽しんでいるようでいて、どこか理性的な冷たさを感じる視線。
薄く形のいい唇が開く。
「『マールスに我が身を捧げる』と言うんだ、ニック」
一段と低いマールスの声が腹にずっしりと響く。
「えっ…」
「神が未熟なお前に規範を示すと言っているのだ。欲望のままに振る舞う悦びを知れば、お前は真に自由になれる。あの魔術師からも、己の甘さからも。…悪い話ではあるまい?」
わかっている。
こいつも俺を利用する気だ。
サンディよりも上手に、強権的に。
こんなの耳を貸す必要のない甘言。
わかっているのに。
この確信に満ちた真紅の瞳から目が離せない。
「マールスに…」
唇が震える。
ダメだ。理性はそう叫ぶ。
でも、その静かな命令に俺は抗えなかった。
「マールスに、我が身を捧げる…」
かすれた声で囁いた。
マールスは満面の笑みを浮かべた。
俺はマールスに促されるままにその指先にキスする。
新たな主人に忠誠を誓う仕草。
「いい子だ」
マールスが俺の頭を撫でる。
犬のように。
その手のひらの熱を感じながら、俺は目をつむった。




