女神との邂逅。身勝手な神の事情と遅すぎる警告
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たいまつを持って山道を登ること数分。数十分。
延々と同じ光景が続いていて自分がどれだけ歩いたかもわからない。
開けたところに出た。
「あれは…!」
思わず息を飲む。
丘の上には祭祀場のような広場が広がっていた。アルマを見つけた場所と同じような。
しかし、広場の中心にあるのは彫像ではなかった。
代わりに巨大な黒い毛の塊が鎮座している。
長毛の犬のようなフォルムの獣だ。毛玉に埋もれていた瞼がぎょろりと開き、水色の目が僕の姿を捉える。
その凄味に足がすくむ。だが、水色の目から視線を逸らせない。
何とかつばを飲み込む。
睨みあいは長く続かなかった。
月のように怜悧な瞳に穏やかな温度が混ざる。
「サンディ、よく来てくれましたね」
柔らかい女声。
目の前の異形の声だと理解するのに時間がかかった。
「あなたが…運命の女神様、なの?」
僕はたいまつを掲げながらゆっくりと近づく。
黒い異形はおもむろにうなずいた。
「いかにも。私が運命の女神・フォルトゥーナ」
「フォルトゥーナ…」
僕の反応を面白がるようにフォルトゥーナは笑みをこぼす。
「想像と違う姿で驚きましたか?」
「それは…」
人間界に一番深くかかわっているのに、運命の女神に関する神話はほとんど残っていない。ただ、長く美しい髪をした女性神だということくらいしか。
「その毛髪がこういう感じだとは…」
確かに毛は長く量もあるが、ぼさぼさで毛並みも悪くて美しさとは無縁だ。
「うふふ。これは仮初の姿。手負いのデーモンの体を借りているだけです」
「えっ…!?」
フォルトゥーナは前足っぽい部分で長い毛を持ち上げた。
下半身と思しき部分は両足とも付け根からもがれたように肉が盛り上がっていて、腹も傷跡だらけだ。よく見たらまだ膿んでいる傷もある。
「なんだってそんな事を!?」
「私の本体は神の国にあります。異界であなた方と話すには分霊を受け入れる器が必要なのです。人間は器として弱すぎて、いつものスタイルでは一言が限界ですから」
「器…」
巫女院のステージがよぎる。
僕は逸る鼓動を鎮めるように大きく息を吸った。
「フォルトゥーナ…」
聞きたいことは山ほどある。
少なくとも女神のモフモフボディより聞いておくべきことは。
「なんで僕を呼んだ?あなたは僕に何をさせたいんだ?」
フォルトゥーナは穏やかに答える。
「止めてほしいのです。このままではロマニアが危ない」
潮気を含んだ夜風がサンディの髪と女神の長毛を撫でていく。
「止めるって、何を?あなたの言葉はいつも漠然としすぎていてわからない」
枯れそうな声。
シアンブルーの隻眼が困ったように細められる。
「ごめんなさいね、いつもの癖で」
フォルトゥーナはもぞもぞと動いて座り直した。
「本当は丁寧に創世の頃の神々の確執までさかのぼって話したいのですが、あまり時間がありません。サンディ、あなたは傀儡の中身が誰だか見分ける方法をご存じですか?」
「えっ!?」
単刀直入に本題を教えてくれると思ったのに。
何ともペースが掴みづらい。
大体…
「そんな方法ないですよ。傀儡を操縦士が操っているかどうかだって、頑張って体内の魔力の乱れを見極めてようやくわかるレベルですし。それが誰かなんて…」
「そういうことです」
どういうことだ、と言いかけてハッとする。
最近の巫女のバグ。矛盾した予言。
「まさか…」
「ええ、ちょうど『異界』の予言の頃からです。時折私を押しのけて、私以外の神が巫女の口を使っていたこと、ついぞ誰も気づいてくれませんでしたね」
フォルトゥーナが寂しそうに笑う。
「なんだってそんなことを…?そもそも誰が…?」
「…これから話すのは神々の現状です。人間に聞かせるにはあまりに情けなくて信じてもらえないかもしれませんが、恥を忍んですべてお話しさせてください…」
-2-
「我々とデーモンの戦いの歴史は長く、今でこそ戦況は拮抗しておりますが、一時は文明滅亡寸前まで追い詰められていました。特に神都アウグスタがデーモンの王の軍勢の手に落ち、最高神も処刑された時の絶望と言ったら…!長年の宿敵であった戦の神マールスと知恵の女神ミネルヴァがそれを機に手を組んだおかげで神都を奪還することは叶いましたが…」
「えっ…そんな神話聞いたことがない…」
「我々と人間界の接続が途絶えたここ800年の出来事ですから、聞いたことがないのは当然でしょう」
800年前というと…マールスの血を引く半神半人のロマヌスがロマニアを建国した時代だ。
「当時はこの辺境…あなた方の言葉で言う『異界』を通じて神の国と人間の世界は繋がていたのですが、…まあ、最高神のつまらぬ嫉妬のせいと言いますか。この接続が途絶え、人間界と神の国は分かたれたのです」
確か最高神って人間に嫉妬して大洪水とかも起こしてなかった?どんだけ人間が嫌いなんだよ。
「それ以降、神の国と人間界との唯一のつながりは私から巫女への予言のみ。…大変寂しいことでしたが、ほどなくしてデーモンの侵略が始まり、それどころではなくなりました」
「なんで今更になって『異界』と人間界が地続きになったの?全然話が見えてこないんだけども」
集落の少女は『神様が人間の助けを求めてる』と言っていたはずだ。でも、聞いた感じ、人間の助けが必要そうな要素がなかったのだが。
「…我々は数が少ない。ただでさえ少なかったのに、デーモンとの戦争で更に減りました」
「だから…?」
「戦況は維持できても、神都の文明を復興させる余力がありません」
苦々しい口調。
「えっ、まさか助けてほしいって神都を立て直す人手を供出させようとかそういう…?」
それはないか。自分の即物的な思考が少し恥ずかしい。
だが、フォルトゥーナは笑っていなかった。
「サンディ、あなたは理解が早くて助かります」
「ええっ…!?」
「推進派は800年断絶していた人間界と神の国を繋げ直す異界まで用意したのです。人間界から…奴隷を調達するために」
なるほど。それは確かに情けない話かもしれない。
仮にも神と呼ばれる存在が人間の力がなくては都市の再建さえままならないだなんて。
「マールスとミネルヴァは積極的ですが、私は反対です。こちらの都合で他の種族を大量に拉致して奴隷にしようだなんて、筋が通りません。しかし、推進派は『こちらが魔法を与えたおかげで人間は発展したのだからその恩を返させるだけだ』の一点張りで…」
「じゃ、じゃあ、『異界に来るな』って予言は…?」
「私です。来いと言ったのはおそらくミネルヴァでしょう」
フォルトゥーナは静かに話を続ける。
「彼らは相性の良い人間の器を求めています。神都から飛ばした自分の分霊を憑依させて、人間界に出るために。そうして人間達を先導して、箱舟を使って神都へと大量に運ぼうとしているのです」
「箱舟?」
「あなたも見たでしょう?地下の大扉。あの先に封印されているモノです」
ニックの視界を通して見た固く閉ざされた扉と体当たりを続ける無数のデーモンたちを思い出す。
フォルトゥーナが毛深い前足を伸ばす。
「あなたを呼び寄せたのは私の言葉を直接聞いてほしかったからです。ミネルヴァたちに邪魔されることなく、人間界を狙う神々の危険性を広めてほしかったからなのです」
少し硬い肉球の先端が僕の頬を撫でる。
「ごめんなさい、サンディ。私はどうにも後手後手で…忠告を間違えました。傀儡なんて絶対異界に入れてはいけなかった」
傀儡?
ニック?
「何が、言いたいの…?」
「人間の肉体は脆弱です。分霊とはいえ我々の魂を受け入れるには相応の強度が必要なのです。巫女でさえまだ足りない。でも人間界には他者に体を操縦させることに最適化された人間がいる」
「そうだけど…」
「アルマが連れて来た兵士傀儡でミネルヴァはそれを完全に理解してしまった。おそらくマールスも」
たいまつを持つ手が震えだす。
ナニカに憑依されたアルマは兵士傀儡に『寄越せ』と言っていた。
アレは体…というか、脳内回路のパスを寄越せということだったのか?
「『異界』に入った人間は誰も彼ももう手遅れ、なのか…?」
だとしたらニックも危ない…!
フォルトゥーナは首を振った。
「いいえ。憑依には魔術的な手順が必要です。条件は『異界』のモノを食らうこと。そして、許可を与えること」
「なるほど…」
初めて異界に来た際のベルナルダの様子もそれなら説明がつく。狼っぽいデーモンの喉笛を食いちぎってから急におかしくなった。
その後、彼女に憑依した神は僕にベルナルダの指を食わせようとしてきた。
アレは…憑依の手順の一つだったのだ。
「ちなみに飲み水は?」
「『食べる』という行為を媒介とした魔術ですので、飲むことは問題ないです」
「じゃあ、僕らはまだ大丈夫だね…アルマ以外は」
調査隊のメンバーは手持ちの食糧しか食べていない。
将軍のガリア戦線での経験則を踏まえた指揮のおかげだ。
『慣れない現地のモノを食うと病気になる』その実感のこもった言葉が僕らを救ってくれた。
アルマについては集落で面倒を見てもらって、救出作戦については改めて元老院で対策を練ってもらおう。マヌエラは間違いなくぶちぎれるだろうけど、背に腹は代えられない。
フォルトゥーナの肉球のぬくもりが離れていく。
「私が朝を待たずにあなたを呼び寄せた理由はそこです」
「は?」
フォルトゥーナは泣きそうなくらい悲しげに言った。
「あなたの傀儡は手遅れです」
「は、はぁ~…!?」




