50連勝の日に何かが起こる…!?
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サンディの薄い唇が開く。
俺はハッとしてその口を塞いだ。
「シー。足音がした」
続いて隣の部屋のドアが開く音が聞こえた。
2人分の足音が部屋に立ち入り、きっちり閂まで掛けてたようだ。
「おい、この部屋で本当に大丈夫なのか?隣の部屋と通気口でつながってるじゃないか。誰かに聞かれたら…」
苛立った男の声。
「ははっ。隣はもう使わなくなった物置だ。誰も来やしないさ」
こちらは聞き覚えのある声だ。この嫌味な響き。俺のところの興行主じゃないか。
おいおい、悪人らしくこんなところで密談か?
俺は隣の部屋の会話に耳を澄ませる。
「あんたが賭け試合の話を持ち掛けてくるなんて珍しいな。ニケラスは順調に稼いでいるんだろう?」
「ああ。だが、操縦士の爺は次の試合でもう引退したいんだとよ」
耳を疑った。引退も何もあいつ、座ってるだけじゃん。ついにボケたか?
「へぇ~?50連勝の節目にってことか?お前にとって金の卵だろ?」
「金食い虫でもあるけどな。あいつはしょっちゅうケガするし、衣装も武器もダメにする。大体、巨大生物の興行は数打てないだろ?だったら対人興行を数打てるように興行傀儡を複数人抱えてるあんたのスタイルの方が効率的だ」
「それで、賭け試合の話ってのはなんだい?あいつを対人興行にまた戻す相談なら…」
興行主は下卑た笑いを浮かべた。
「そんな遠い話じゃない。連勝記録は49タイでストップだ。ニケラスは次で負ける。老人はそのショックで引退するって筋書きさ」
聞き間違いかと思った。
いや、聞き間違いであれよ。
相談相手の男もそう思ったようだ。
「殺しちまうのかい?ますます勿体ない」
「勿体ないもんか。次の試合の仮オッズは300倍だ。50連勝がかかった大勝負ともなれば350倍はくだらないだろうよ。負けに賭ければ…」
男も下種の笑いで答える。
「ははぁん?最後の花火で大儲けしようって魂胆か」
「そういうこった」
「なるほどな。それで俺の名義で負けに賭けて欲しいんだな?元本はいくら出せる?」
「これくらいだ」
「少ないな」
「分散してるもんでな。そこで相談なんだが、あんたもいくらか出さないか?」
「まあ、オッズ300倍だもんな」
男たちは金額交渉を始めたが、もう聞いていられなかった。
握った拳が震える。
あいつらは最後の最後まで金のために俺を使い潰す気なのか。散々俺から搾取しておいて、まだ足りないっていうのか。
俺は隣の部屋と隔てる木製のドアを見つめた。
これくらいなら蹴破れる。
セフェリノスの阿保がいないならこの場に俺を止められる奴はいない。
こうなったらやられる前にあいつらを道連れにしてでも…。
不意に手首に柔らかい感触が走る。
サンディが俺の拳に触れ、何か言いたげに首を振った。
やがて隣の部屋の男たちは来た時と同様にコソコソと出て行った。
「クソ」
俺はサンディの手を振り払う。
「なんで止めたんだ?俺の命は次の試合で終わりだよ…!」
サンディはおびえたように身をすくめる。その様子にハッとする。
この子を責めたって仕方ない。
どうせあの場であいつらを殺したところで俺の運命は変わらなかった。
闘技場の外に逃げることなんてできない。17歳の頃に試したから、身をもって知っている。
「ごめん…」
「ニック…」
俺は努めて明るい表情を作ってサンディを見た。
「で、何の話をしに来たんだっけ?用件は何でもいいけど次の興行までに終わる内容にしてくれるかな?」
「僕の話はどうでもいい。今は君の命だよ!」
サンディは俺の手を再び握った。
紫色の瞳がぐっと迫る。
「僕、ニックを助けてあげられるかも…!」
助ける?助けるだって?
サンディはきっと知らないんだ。俺が一度脱走に失敗した時の顛末を。
その後の『公開処刑ショー』のおかげで『巨大殺し』としての俺があるのは皮肉な帰結だったが、2度目の脱走ともなればそんな温情は期待できない。
即刻処刑が生ぬるい目に遭わされるに違いない。
サンディの励ましは同情でも嬉しい。
でも無理なもんは無理だ。
「あはは…ありがと」
「本当だよ、ニック」
その真剣な表情に乾いた笑いが止まる。
「ニック。次の試合で合図を送る。その時に『メー・ティビ・オフェロ』って心の中で唱えて。心から僕に助けを求める気持ちで、僕のことを考えながらね」
「『メー・ティビ・オフェロ』?」
なんとも語感が悪い。本格的な呪文みたいだ。
いや、サンディはかなり魔法が達者な奴だ。まさか本当に本格的な呪文なんじゃないか?
「そうしたらセフェリノスのパスを無効にできる」
「えっ…!?」
この世にそんな方法があるのか?
「じゃあ、今すぐ…」
サンディは首を振る。
「脱走の手筈があるから興行の最中の方が都合がいい。後のことも僕が何とかする。だから僕を信じて…!」
俺の手を握る手に力がこもり、その気迫に思わずうなずく。
サンディは本気だ。だからこそ気になる。
「なあ、サンディ。お前はどうして俺のためにそんな危ない橋を渡ろうとするんだ?」
「あっ…それはその…」
サンディは目を伏せた。
「それはその…僕はニックが…ニックのファン、だから」
ファン?思いがけないカジュアルな単語に思わず笑みがこぼれる。
「なんだそりゃ。理由になってなくね?」
「僕にとっては十分な理由だもん!ニックは僕のヒーローなんだよ!」
サンディはムッと頬を膨らませる。
「はいはい」
心の中で反芻する。
『メー・ティビ・オフェロ』
これしかすがるものがないなら…いや、俺に縋れるものがある状況なんて興行傀儡になってからは初めてじゃないか?
蜘蛛の糸ほどの細さでも命綱には変わりない。
ならば。
「信じていいんだよな、サンディ」
サンディは表情を引き締めてうなずいた。
「ああ、任せて」
俺もうなずき返し、その骨ばった背中をポンと叩いた。
「あんまり長居してたら怪しまれる。戻ろう」




