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巨大殺しのニケラスと馬車馬の扱い

-プロローグ-

神が人間に与えた最大のギフトは魔法だ。

その魔法で発展した人類が発明した最低のシステムは奴隷制だ。

人類が編み出した魔法の中で最も手が込んでいて陰湿なのが傀儡術で、

奴隷の中でも最下層にいるのが興行傀儡。

最底辺から社会を見上げるしかない俺はそう思っている。


-1-

うららかな春の日差しに血なまぐさい興行。

今日の闘技場は晴天だった。

俺は大剣を片手に大股で闘技場へと足を踏み入れる。

「赤コーナーは『巨大殺し』のニケラス!」

魔法で拡張された声がコロシアムに響き渡り、若い剣闘士の姿を認めた観客が沸き立つ。

「ニック~!」

野太い歓声と時折混じる黄色い声援。俺は軽く剣を振ってこたえる。

「そろそろ負けろ~!」

「お前の負けに賭けてんだよ~!」

連勝が10を超えたあたりから増えたこの手の野次への対応も手慣れたもんで。中指を立てて煽ればアンチも盛り上がる。

これが闘技場の空気を形作っていく。

今日はいつにもましてアンチの殺気の比率が高い気がした。

当然か。

なんせ今回は49連勝がかかっている。

巨大生物相手の興行の歴代連勝記録タイとなる数字だ。

俺にとって数字は大した意味を持たないが、興行的にはわかりやすい数字こそすべてであることも悲しい現実だ。連勝記録に、ランキングに、賭け試合のオッズ。

まあ、生き残らなければ俺も死者の一人にカウントされて数字となって消えていく。これもまた悲しい現実。

正面の青コーナーより、黒い布がかけられた檻が前後5人ずつ奴隷がついて運搬される。

思ったより縦に長いな。

黒い布が外され、今日の対戦相手が観客の悲鳴と共に姿を現す。

「青コーナーは砂漠の殺し屋ジャイアントセンティピー!」

ムカデに似た化け物が檻の中でとぐろを巻いてこちらを見ていた。

「キシャアアア!」

威嚇音が空気を振るわせる。

奴隷が二人がかりで檻の周りに跪いて留め具を外しまわり、化け物を抑えていた檻が重機でゆっくりと持ち上げられる。

逃げ遅れた哀れな奴隷一名は大ムカデの伸びに巻き込まれ、コロシアムの壁のシミに変えられてしまった。

血まみれの壁。

さらに沸き立つ観衆。

これぞコロッセオ。


俺は赤コーナー側のサポーター席を振り返る。

コロッセオの壁をくりぬいて作られた、戦いの余波が届かないように鋼鉄の二重の柵で区切られた区域。用意された座り心地のよい操縦者席にふんぞり返る禿頭の老人は不機嫌そうに明後日の方向を見ている。

「おい、今日もやらないんだな?」

脳内回路を通じて念話で話しかけるが、セフェリノスはガン無視してくる。

こいつが介入してこないほうがやりやすいのは事実だが。

「なんもしないならアクセスパス返せよ、銭ゲバクソ爺」

「今日こそくたばれ、死にぞこない」

俺が大型生物専門の興行に回されてからの数年、こいつはずっとこうだ。

そう言って俺が死んだら一番困るのはお前だろう。

俺が稼いだ金で生きている分際で偉そうに。実際、奴隷の俺よりかは偉いんだろうけど。月に何度か安全なところに座って仕事してますみたいなすまし顔してれば生活できる金が入ってくるんだから本当にいいご身分だよ。

俺は大剣を両手で握り込み、じりじりと大ムカデに迫る。

睨みあう。

鎌首をもたげたムカデの高さは3mほど。全長はもっとある。

どれが目なのかわかりづらいが、少なくとも俺を獲物と認識したらしく、小刻みに威嚇音を発している。

観客たちも息をのむ。

開幕のゴングが鳴るより先に動いたのは大ムカデ。

俺に向かってその凶悪な顎が掴みかかる。

すかさず剣で受け止めるが、タックルの勢いは殺しきれない。

足に力を入れて踏ん張るが、1mくらい後方まで押し込まれる。

これ以上押されてはたまらない。剣で押し返して距離を取るが、ジャイアントセンティピーの杭のように尖った凶悪な100本の足が俺を串刺しにしようと一斉に振り下ろされた。

「ぎゃああ!」

「ニケラスー!?」

砂埃が舞い、客席から悲鳴が上がる。

もちろん。これしきじゃ死なない。

だが、剣闘士のユニフォームはズタボロだ。

皮の鎧は対人間の興行では必要かもしれないが、このサイズの巨大生物に対しては鎧と称するのもはばかられるほど脆い。また衣装代がどうのと興行主に文句を言われるんだろうな。

ひっかき傷で血だらけの上半身に砂が染みるのを感じながら俺は屈んで素早く跳躍した。

「うぉおおお!」

剣を大上段に構えて真っすぐにムカデの頭に振り下ろす。

剣は外骨格にめり込み…ぽっきりと剣先が折れた。

勢いそのままに一回転してムカデの体に乗り、地面に突き刺さった剣先と手元の欠けた剣を見比べる。

パワーが足りなかったか。

反省している余裕はない。大ムカデが体を大きく震わせて俺は顔から地面にたたきつけられた。

「ゴフッ」

口からこぼれた血が地面を濡らす。

吐き出したはずなのに口の中は不快にじゃりじゃりしている。

わざとじゃない。ちょっと着地をミスっただけ。

ぐらぐらした頭のまま、折れた剣を杖代わりに立ち上がる。すでにムカデは俺に迫っていた。俺の体をしっかりと挟んだその顎に万力のようなでたらめな力がこもる。骨ごと粉砕して食べやすくしようという魂胆かな。

剣をつっかえ棒の代わりにしてそのバインドから身をすり抜けさせるが、大剣はあっという間に咬み砕かれてしまった。

「その程度か、『巨大殺し』」

「やれ、化け物!負けオッズは120倍なんだよ!」

悲鳴の合間に怒号が飛び交う。

毎度毎度好き勝手言いやがって。

こいつらは俺の命をなんだと思ってるんだ!

愚問。もちろん、エンターテイメントだ。

自由市民を楽しませるために俺は命を賭けている。

百歩譲ってそれは許そう。そういうもんだから。

だが、俺の負けに賭けてる奴ら。アレは許せない。

あいつらを喜ばせるために死ぬのはごめんだ。

俺は駆け出す。

ムカデの足の合間を縫って駆け、地面に刺さった剣先を拾い上げた。

俺の脳天めがけて繰り出された大ムカデの攻撃を紙一重でかわし、そのとげを両手で掴む。

観客がざわめく。

動き回る足を素早くよじ登り、外骨格に剣先を突き立てて振り落とされないように慎重に、しかし手際よくロッククライミングならぬムカデクライミングを進めていく。

やがてたどり着いた頭頂部に足の筋肉でしっかりしがみつくと剣先を頭頂部とその次の外骨格の継ぎ目に差し込む。

柔らかい肉に剣先が到達し、絶叫して大暴れの大ムカデ。

必死に食らいつく俺。

テコの原理で外骨格をめくろうとするが、短い剣先が汗で滑ってうまくいかない。

こうなれば奥の手だ。剣先の代わりに俺の手を外骨格の端に差し入れた。

腹のあたりにある魔力を生成する臓器から血管を通じてさらなるパワーが全身を駆け巡るのを感じる。

俺の闘志に呼応されて過剰分泌された魔力を上半身の筋肉に集中させる。

痺れるような熱を帯びた両腕におもいきり力を込めた。

「ふん!」

ぶちぶちと小気味のいい音を立てて外殻が肉からはがれていく。

「おらあああ!」

両腕を伸ばしてそれを持ち上げ切ると、横に振りきって完全に体から引きはがす。

虫も痛みを感じるのか大きくしなるムカデの体。

固い方を下向きにして俺は容赦なくその外骨格を柔らかい肉に叩きつける。

べちゃべちゃとこぼれだした緑色の体液が雨のように跳ねる。

だが、まだだ。

何度も何度も振り下ろし、舞い上がる砂埃がコロシアムの地面を汚した緑の体液にまみれていく。

やがて悲痛な悲鳴をあげてムカデは体をそらせるとそのまま地面に倒れた。

まだ痙攣している脳天に、外骨格を墓標のように垂直に突き立てる。

小さな断末魔を上げてジャイアントセンティピーは動かなくなった。

固唾を飲むコロッセオ。

俺は息を吸い込み、雄たけびを上げた。ムカデの体液と自身の血で汚れた褐色の上腕二頭筋を誇示するように拳を天につき上げる。

「いいぞ!」

「さすが『巨大殺し』!」

割れんばかりの大喝采が巻き起こる。

この瞬間ばかりは嫌いじゃない。

切り傷にばっちい液体が染みて痛いし、化け物の体液の不快な臭気で吐きそうだけど。

今回も生き残れたという安堵と、かすかな高揚感は、妙な中毒性がある。

賭けに負けて頭を抱えるアンチ達を尻目に、俺は「ニケラス」コールに応えて何度もガッツポーズを繰り返した。

今だけは俺は「勝者」だった。


-2-

熱狂冷めやらない喝采に応えて手を振りながら俺は赤コーナーの出口へと退却する。

それとなく鉄柵の方に視線をやったが、操縦者席に老人の姿はなかった。

「あの守銭奴クソハゲ」

もう何度も繰り返されているのに毎回新鮮に怒りが湧く自分も大概だが、あいつは本当に何なんだよ。

廊下を歩きながら、顔に垂れてきた体液を手のひらで拭い、ぴっぴと手を振る。

「うわ、きたねえな!」

「今回もぶっ飛んでたな、ニック」

興行傀儡仲間が笑いながらすれ違っていく。

「臓物つけてないだけ綺麗な方だろ?」

と軽口を返す。

前回の興行では臓物を直接食いちぎったせいで翌日から高熱で寝込んで散々だった。

そういえば今日も切り傷にムカデの体液が入りまくってるけど大丈夫かな?

まあ、毒サソリに刺されたときもギリギリ死ななかったし、虫系には耐性があるんじゃないかな。

廊下の突き当りまで行き、ふと左側の鍵付きの鉄柵ゾーンに目をやると案の定そこにセフェリノスがいた。俺の興行主と並んでいる絵面は、ガキの頃に見た紙芝居から抜き出したような悪人そのものだ。

興行主は手元の重たげな麻袋から金貨を取り出して数えながらセフェリノスの手に乗せていく。

「今日の興行も大成功だな。あんたは演出もよくわかっている」

セフェリノスは顎髭をもごもごと動かしたが、どうせ大したことは言ってない。

何も言えることなんてないだろ。

操縦を放棄して戦闘すら傀儡に丸投げする操縦士なんだから。

ほんとこいつら、いいご身分だよ。自由市民様だもんな。

エンターテイメントの虚飾をはがせば、興行傀儡はただこの金貨のために存在している。観客を楽しませて、こいつらを肥え太らせる。俺の命を削っても俺の手には入らない金貨のために。

興行主と目が合った。

興行主は嫌悪感を丸出しに金貨の麻袋を隠した。

「汚いな。さっさと水でも浴びて来い」

犬でも追い払うように手を振るう。

相変わらず労いの言葉はない。こいつらに労わられたところで虫唾が走るだけだとしても、家畜並みには大事に扱ってほしいもんだ。俺は金のガチョウだってのに。

「ああ、ニケラス」

珍しく呼び止められた。

「今回は風邪なんて引くなよ?先月はお前のメンテナンス代が2倍かかったのに興行ができなかったせいで赤字だったんだ。この興行でやっと取り返せたんだからな!」

嘘をつくなと言ってやりたい。寮の隔離部屋に転がされていただけでそんなにかかるもんか。内心舌打ちしながら控室へと向かう。

俺だって好きで死にかけていたわけじゃない。


-3-

興行傀儡の扱いなんてこんなもんだ。

興行の終わりは毎度嫌な気持ちになりながらこの廊下を歩く。惨めさの度合いは試合ごとに差があるけど、ここまでくれば勝利の高揚感はすっかり冷めきっている。

勝っても勝っても意味はない。

勝利は次の戦闘までの生存許可に過ぎず、割れんばかりの喝采は俺をこの地獄から出してはくれない。

でも死ねばそれっきりだから、勝つしかない。

アドレナリンが切れてきて切り傷以外の痛みにもだんだん気づいてくる。

顎で挟まれた時の打撲もあったし、よく見たらよけ損ねたムカデの足が体に刺さっていた。

抜こうとして思いとどまる。

サンディから「そういうのを抜くと出血がひどくなるからできる限りそのままで」と言われたのを思いだしたから。

サンディはどこだろう。

手前の控室を覗く。

興行傀儡仲間が寝台に横たわって、裂けた肩を小間使いの女の子が縫合していた。

「くそ、あの爺。絶対今日手ぇ抜きやがった」

感覚麻痺魔法でも掛けてもらっているのかけがの規模の割に饒舌に小間使いの子に愚痴っている。

俺は時々考える。

17歳のあの興行以来、セフェリノスは操縦を放棄し始めた。

俺を罰するかのように。あてつけるかのように。

だが、操縦士の一存で生死が決まっていた頃より今の方がマシなんだろうか、と。

それとも毎度自力で生存をつかみ取らないといけない今の方が過酷なのか、と。


俺は15歳の頃に興行傀儡になる手術を受けた。とにかく術後に頭が痛かったことしか覚えてない。

でもその痛みすら今となっては大したことじゃない。俺という人間が負うことになった尊厳へのダメージの方が深刻だったから。

この手術で俺の脳内には一生塞がらない『魔術的な回路』が開通した。

そして、この回路へのアクセスパスを持っている『操縦士』は俺の体をいつでも好きな時に俺の意思を無視して好きなように動かせる。

俺の手が別の興行傀儡を殺してるのを見るしかできないってのは、心にクる経験だった。剣の重さや肉に食い込む感触もしっかり体が感じてるのに、指一つ動かせないんだから。

そして今の俺を社会的にも物理的にも簡単に殺せる『操縦士』サマはセフェリノスのハゲ爺ってわけだ。

興行傀儡とかいうクソ技術は持続可能な興行とかいうしょうもない目的で生み出された。

達人が若い肉体を操って全盛期の超絶技巧を披露して真剣に殺しあう事を可能にしたのが興行傀儡で、使い捨てられる肉体が俺たちってわけだ。

まあ、コロッセオでの興行の9割が興行傀儡に代替された今となってはそれさえ建前になりつつあるんだけどな。

興行傀儡黎明期は操縦士目当てだったはずなのに、今や興行傀儡自体に人気が発生している始末だ。人は見えるガワの方でしか認識していない。

選手紹介で傀儡の名前が呼ばれるようになったのがいい例だ。

競馬において騎手じゃなくて馬に賭けるようなノリで、興行賭博も興行傀儡の名前に賭けているらしいし。

死にたくない一心で勝ち続けているおかげで俺はかなりの人気馬になった。

次は記念すべき50連勝をかけた戦いだからそれはそれはとんでもないハイステークスになることだろう。

どれだけ数字が積まれても俺の懐にはびた一文入ってこないから、関係ないんだけど。当事者のはずなのにね。


-4-

控室2の中から会話が聞こえた。

「サンディ、またニック待ってんの?」

「や…別にそういうわけじゃないけど…」

「じゃあ俺の肩でも揉んでよ。前に治療してもらったところがまだこわばってさぁ~」

ドアを押し開ける。

ミルキーベージュの髪を隣に座った興行傀儡に馴れ馴れしく触られて、細身の小間使いが身を縮こまらせていた。

困惑に揺れていた紫色の瞳が俺を見つけると安堵の色が浮かぶ。

「ニック…!」

興行傀儡仲間が気まずそうにサンディの肩を抱いていた手を放す。

「あー、そういうのほどほどにな?」

興行傀儡仲間は無言で部屋を出て行った。

「お疲れ様…!けがは大丈夫?」

サンディは中性的で端正な顔を心配で曇らせながら俺に近づいてくる。

腕の打撲傷にその長い指が触れそうになったので慌てて、手で制する。

「ストップ。今、汚いから触らないで」

臭いもひどいからできればこの距離にもいてほしくはないんだけど。

俺はサンディを避けて大浴場へと向かった。

浴場に入る手前のシャワーブースで紐を引くと頭上に湯が豪快に落ちてくる。ここで目に見える汚れは落としてから浴槽に入るのがルールだ。備え付けのシャボンが切り傷に染みること染みること。

体にまとわりついた砂や体液を洗い落としていると、指先が体に刺さったままのムカデの足に触れて激痛が走った。

抜いてから入るべきかサンディに聞いておけばよかった。

これを刺したまま風呂に入るのも衛生的に許されるんだろうか。

大浴場には小さな石造りの風呂桶が3つあるが、幸いにして先客はいなかった。

見てる奴がいないなら別にいいか。表面は綺麗にしたし。

俺は一番手前の風呂桶に身を沈めた。

「あ~…」

湯温は熱すぎず冷たすぎず、薄緑色の薬湯が体に染みて軽度の切り傷はすぐにふさがっていく。

大きく肩を回す。これくらいの軽傷であれば風呂もまだ楽しいもんだ。

不意に大浴場のドアが開き、サンディが治療箱片手に入ってきた。

「うおっ…!」

反射的に全身を風呂に沈めようとしてあふれたお湯が、サンディのくるぶしを濡らす。

「ビックリさせちゃったかな?」

「いや…」

サンディは風呂桶の傍にしゃがみ、俺の体の点検を始めた。

サンディは俺の脇腹に刺さったムカデの足先を見て少し眉を顰めると、ピンセットで一気に引き抜いた。

足のギザギザしたカエシが肉に引っかかってめちゃくちゃ痛い。

サンディが呪文を唱えると、肉に残ったままの細かいカエシが血と共に流れ出す。薬湯に浸した清潔な布で患部の血を優しく拭いながらまた呪文を唱えると、患部がジワリと熱を持ち、痛みが瞬時に引いた。

サンディが手を離すと褐色の肌には傷跡一つ残っていなかった。

「相変わらず上手だな」

「えへへ…」

魔法を使える小間使いの子はちらほらいるが、サンディは別格だと思う。サンディが来てから俺の体に新規の傷跡はつかなくなった。資格持ちの魔法使いでも手こずるような大けがをさらっと治してもらったことさえある。

こんなところの小間使いでいるにはもったいない腕前だと思う。

「サンディってスゴいよな。お前なら魔法使い資格とれるんじゃないの?」

顎で掴まれた打ち身を治しながらサンディが苦笑する。

「奴隷階級は取れないよ」

「なんで?あれって階級関係なく受けられるんだろ?魔法使い資格があれば自由市民になれるし公職にもつける。やってみたらいいのに」

「奴隷階級だと書類で落とされちゃうんだ」

「そういうもんなのか…」

口ぶりからもう挑戦したことがあるのかな?

サンディはまだ俺の腕に手を置いていた。打ち身はとっくに治したのに。

「あのさ、ニック」

紫色の瞳が上目遣いに俺を見る。

「話があるんだ」

「話?」

「あのね…」

浴場のドアが開く音。

しゃべりながら興行傀儡が二人、シャワーブースへと消えていく。

「あ…やっぱり後で」

サンディは治療箱を抱えてパタパタと出て行った。

「ヒュ~」

サンディとシャワーブースから興行傀儡が口笛を吹いてからかうが、サンディは相手にしない。

「おーい、逢引きかよ、ニック!」

からかいの矛先が俺の方に向くが、俺はあいまいに言い返した。

サンディはいつから小間使いをやっているのかは不明だが、3か月ほど前からよくしゃべるようになった子だ。

まさか告白?困るな。でもサンディからの話なんてそれくらいしか思いつかないしな。

すこしのぼせた頭を抱えて控室に戻る。

ベンチに座っていたサンディが俺を見上げた。

「えっと、話って何、かな…?」

サンディはキョロキョロと周囲を見回して俺の手を掴んだ。

「ここじゃまた人が来るかもしれないから、移動しよう!」

どこに行ったって同じじゃないかと思うが、俺はサンディに腕を引かれるままに控室を抜けて奥まった通路へと歩いていった。

「こんなところまできて大丈夫なのか?」

「大丈夫。バレっこないよ」

5年近く闘技場にいるが、存在さえ知らなかった謎の物置のような部屋でサンディは立ち止まった。

「よし、ここなら…」

隣の部屋と繋がる小窓から漏れてくる明かりだけが光源で、ひどく薄暗い。

サンディは俺の手首を握ったままだ。

さっき仲間に言われた『逢引き』の単語を思い出す。

どうしよう。どうすればいいんだろう。

サンディの紫色の瞳がしっかりと俺を見据える。

「ニック、あのね…」

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