破天荒な女傑の襲来と酒瓶チャンバラ
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店内のモップ掛けをしていると引き戸が開いた。
開店前だと言おうと思ったら、聞きなれたリュートの音とベティの歌声が入ってくる。
こんな時間に来るなんて珍しい。
ベティはウィンクして俺の周りを回りながら歌を歌った。
『ガリア』とか『ユリウス将軍』とか。最近巷でよく聞くワードがふんだんに盛り込まれた勇ましい曲だ。
どや顔で歌い切ったベティに拍手を送る。
「どう?」
「初めて聞いた」
「そりゃ、ラティーノ初披露の新曲だからね。題して『ユリウス将軍の凱旋曲』!」
タイトルが率直すぎるが、歌詞を振り返ってもとにかくユリウス将軍のガリア征服を褒めたたえる内容だった。これは確かに『ユリウス将軍の凱旋曲』としか言いようがない。
「今日の一曲目はその新曲なの?」
ベティはにっこり笑いながら首を振る。
「お披露目先は大劇場さ!」
「大劇場!?」
「今夜、ユリウス将軍の凱旋を記念して吟遊詩人のコンテストが開かれるんだよ。優勝者の曲が実際に今度のユリウス将軍の凱旋パレードで流れるんだって!もちろん、賞金も出る」
「へぇ~、すごい!」
最近はユリウス将軍とその凱旋パレードの話で持ちきりだ。ラティーノ全体がなんとなくお祝いムードで、酒がよく売れるとライラもホクホク顔なのである。
「でも、ユリウス将軍って借金王の異名もある人だよな?その賞金ってちゃんと出るの?」
ベティはやれやれと肩をすくめた。
「わかってないね、ミック!大事なのは名誉さ!」
「名誉?」
「そう!」
ベティの猫のような目がきらめく。
「神聖な大劇場でのコンテストの勝者となるのは吟遊詩人なら一度は夢見る名誉なことなんだ!あの月桂冠を手に入れた上で、大英雄の凱旋に自分の曲が使われる!これがどれほどのロマンか、毎日白パンを食べてれば幸せな君にゃ理解できないだろうさ!」
まあ、ロマンじゃ腹は膨れないからな。
ベティがグーを突き出す。
「私の勝利を祈っててくれ、ミック!賞金が出たら白パンより美味いものを食べさせてあげるから!」
「あ、ああ…がんばれ!」
俺もグーを突き出して、ベティとグータッチした。
ベティはフワフワの髪をなびかせて立ち去った。『ユリウス将軍の凱旋曲』の鼻歌を歌いながら。随分ご機嫌だったな。きっとめちゃくちゃ自信作なんだろう。
この日の店はかなり賑わっていた。
会話はやはりユリウス将軍の話題だった。
俺は当然ロマニアの軍事事情なんて全く知らなかったが、ここ数日のユリウス将軍フィーバーのおかげでガリア戦線とユリウス将軍の功績についてだけ異様に詳しくなった。
ガリアはロマニアの北にあり、長年膠着状態だったが、ユリウス将軍が指揮官になった途端電光石火で前線を押し戻し、1年と経たずに王城を陥落させてガリア全土を平定したんだとか。
ユリウス将軍という人物は意外にもラティーノにいた頃は英雄とは真逆の人物だった。
ガリア戦線の指揮官になった経緯も、元老院議員を輩出する名門の出身でありながら破天荒すぎて親にぶちぎれられて、罰として送られたというしょうもなさ。
それで、将としての才能を生かして偉業を成し遂げたんだから、人生何があるかわからないよな。ラティーノはユリウス将軍には狭すぎたのだ、と常連のカイウスおじさんもしたり顔で語っていた。
景気よく引き戸が開く。
「いらっしゃいませ~!」
「やぁ!席は空いてるかな!」
快活な声と共に妙に目を引く女性が入り口に立っていた。
金髪の巻き毛を無造作に結い、豊満なその体を質素な木綿のチュニカとズボンで包み、鮮やかな赤い腰布を巻いた自由市民らしくない格好だというのに、その自信に満ちた立ち姿はこんな歓楽街には不釣り合いなオーラさえ感じる。
サンディより少し年上くらいの若さでこの迫力はなんなんだろう。
印象的な金色の目が俺の反応を見て愉快そうに細められた。
「なんだい?女の一人客が珍しいのか?」
「あ、ああ…すいません」
こんな女性を、というかお客さんをジロジロ見たのはまずかったな。
だが、女性は別段気にした様子もない。
「まあいいさ。見られることには慣れている。葡萄酒を頼む。店で一番でかいジョッキに並々と注いでもらえるかい?」
「葡萄酒をジョッキで!?」
そういうと勝手に手近な席に座って隣のテーブルの客に話しかけ始めた。
ジョッキを戻って戻ると、金色の女性はカウンターに移動しており、隣の席の常連さんから奪った麦酒のジョッキを片手に豪快に笑っていた。
「そういうことを言う手合いはいくら待たせたって良いもんだ。じらせば本性を…お、酒!」
女は半分以上麦酒の残っていたジョッキを一気に煽り、俺の持ってきた一回り大きなジョッキと交換した。嬉しそうに喉を鳴らすと、一口でジョッキの3分の1の量が消えていた。
「あー、これぞラティーノ!ウェイター、アレ美味しかったから私の分も頼む」
カウンターのテーブルの上の空の木皿を指さす。
あれも間違いなく隣の席の常連客の注文だったよな…。
「よっ!シザリアさん!いい飲みっぷりだね!」
常連のおじさん連中が囃し立てる。
初めて来た客なのにもう馴染んでいる。
木皿の中身を食われた常連客本人もシザリアの豪快な飲みっぷりに盛り上がっているから、俺がとやかく言うことでもないにしても。
あんなにほかの客に絡みまくってるの、ライラはよく思わないかもなんだよな…。
シザリアはジョッキをカウンターに置くと微妙な笑顔のライラに向き直った。
「今日は気分がいい。店にいる全員に葡萄酒をおごろう!」
「あら、景気のいいこと!」
この一言でライラの眉間のしわが吹っ飛んだ。
生前の旦那さんでもなしえなかったという偉業だぞ!あのシザリアとかいう女性、只者じゃないな…!
俺はライラに顎をしゃくられ、急いで葡萄酒のピッチャーを用意した。
店内の全員に葡萄酒を注ぎ終えてカウンターまで戻った頃には、シザリアはまた別の席に移っていた。
「おーい、ウェイター。私にもお代わりを!」
なんてジョッキを高く上げている。
いや、飲むのが早すぎる。通常サイズのゴブレット4杯分は優に入るジョッキなのに!
さすがにまた4杯分は多いかと思って半分まで注いだ。
「おいおい、そんなんじゃ足りないよ!」
シザリアは俺の手からピッチャーを奪い、なみなみとジョッキの口まで注ぎ足した。
「ユリウス将軍に乾杯!」
「乾杯!」
シザリアの音頭で本日何度目かの乾杯。
景気のいい雰囲気。
笑い声に掻き消されて一瞬引き戸が開く控えめな音に気付かなかった。
猫のように音もなく入ってきた羽付き帽子がひっそりと奥のテーブルに座る。
「ベティ!コンクールはもう終わったのか?」
「ああ、散々だったよ!」
ベティはぷんぷんした様子で机をたたいた。
「凱旋曲なのにリュートじゃ格式がないってさ!ミック、何でもいいから強い酒持ってきて!もう今日は飲まなきゃやってられない!」
「へぇ!凱旋曲!いいね!聞かせてよ」
いつの間にか近づいていたシザリアが、ベティのテーブルに断りもなく座った。
「気になるかい?じゃあ聞いてもらおうかね!イントロで打ち切られた奴だけど!」
ベティはやけくそな感じでリュートを構える。
「それではお聞きください。『ユリウス将軍の凱旋曲』。作詞作曲編曲演奏歌唱、全部キット・ベティ!」
力強いリュートの旋律にベティの情熱的な歌声が合わさる。
「おお、いいぞ!」
シザリアのテンション高めな手拍子が隣の席にも伝播していき、ベティがさらに勢いづいていく。
厨房に引っ込んでもその活気はフロアと同じくらいのやかましさで届くほどに。
「来た、見た、勝ったぞユリウス将軍。ロマニアの宝~」
サビの部分をほかの客たちも斉唱している。
ライラまでもが楽しそうに手拍子している。
なんという一体感と熱気。
恐るべしユリウス将軍フィーバー。
いや、シザリアの不思議な影響力のせいだろうか。
ベティが歌い終わり、万雷の拍手が巻き起こる。
一番でかい拍手を送っていたのはシザリアだった。
「あ~あ、楽しかった。これこそ酒の席だな!」
まだ半分残っていたジョッキの中身を喉に流し込み、口元を拭く。
「ありがとう、ご馳走様。勘定はユリウス将軍にツケておいてくれ」
「ちょっと待った!」
空のジョッキを置いて去ろうとする女の手を俺はとっさに掴んだ。
「うちはツケ払いやってないんです。それにユリウス将軍だなんて!食い逃げはダメですよ!」
「弱ったな。財布はガリアに忘れて来たんだ!」
客がどっと笑う。
いや、さすがに笑い事じゃないぞ!
困っていると、シザリアにぐっと引っ張られた。
なんと俺はテーブルに押さえつけられている。
「心配してくれるなよ、ウェイター。ガリア遠征の褒賞で比較的財布の厚い時期だから踏み倒すことはないよ…たぶん!」
「たぶんってなんだよ!」
俺が拘束を振りほどこうともがくと、シザリアはパッと手を放して俺から少し距離を取った。
「やる気だな!ならば、正々堂々受けて立とうじゃないか!」
そう言うと、近くの机から木皿とゴブレットを手に取り、俺に投げ渡してきた。
そして自分も同じものを別のテーブルから取り、盾と剣のように両手で構えた。
「ルールは簡単!先に相手の頭を剣で叩いたほうの勝ちだ!」
「はぁ~!?あんたが勝ったら踏み倒すのか?」
「だから、金は払うって…ツケだけど!君が勝ったら何が欲しい?お勘定なんてつまらない答えはなしだぞ!」
いやいや。何を勝手なことを!
この場で金を払ってほしい以外に何があるって言うんだよ!
この一瞬の動揺で先手を取られた。
シザリアの投げた木皿がフリスビーのように顔面に迫る。それをゴブレットで叩き落す。
「隙あり!」
女が死角に回り、ゴブレットを突き上げた。
「おわっ!」
咄嗟に身をひねって避け、木皿を振り回すが、シザリアは軽やかに避ける。
さらに別のテーブルから追加のゴブレットを取ると空いていた左手に装備して二刀流の構えを取る。
「おい、正々堂々はどうした!?」
俺は木皿を置いてゴブレットを両手で握った。皿は掴みづらいからシンプルに邪魔だった。
「ゴブレットは1個までなんてルールはない!」
「屁理屈だ!」
シザリアの打ち込みをゴブレットで弾く。
カァァンッ!
金属同士のぶつかる甲高い音に酒場はさっきの歌以上の盛り上がりを見せる。
「ミッキーが押されてる!」
「酔ってるのにあんなに動けるって何者だあの人!?」
クソ。俺が酔っ払いの女に後れを取るなんて。
言い訳としては、ゴブレット一個と二個ではさすがに手数が違うってことくらいか。
シザリアもそれがわかっているから俺にゴブレットを取らせる隙を与えない。
鍔迫り合い。
「君、ウェイターにしておくにはもったいない体をしているな!私が勝ったら今夜私の寝室に来てもうってのはどうだい?」
「そんな勝手な…!店と関係ないだろ!」
「欲望とはどこまでも自分本位なものさ!」
強い踏み込みに押されかける。
俺は軽く手首をひねって力を流しながらシザリアのゴブレットを跳ね上げる。
一つが宙を浮き、すっ飛んでいく。
そして、タイミング悪くドアが開いた。
まずい!客が来る。
現れたのはサンディだった。
「ミック。いつもの~」
「サンディ!避けろ!」
吸い込まれるようにサンディのミルキーベージュの頭に金属製のゴブレットがぶつかる
「いたっ!」
俺は慌ててサンディに駆け寄り、ゴブレットが当たったところを見た。
「…ま、大丈夫そうだな」
「一体何の騒ぎなの…?」
「実は…」
コツン。
俺の後頭部を優しくたたく音。
振り返るとシザリアが不敵な笑顔を浮かべて立っていた。
「私の勝ちかな?」
「はぁ~?一時休戦だろ今は」
「そんなルールはないぞ?」
「卑怯だ!」
「わぁああ!」
サンディがシザリアの顔を見て唐突に叫ぶ。
「な…何してるんですか、ユリウス将軍!」
「えええええ!?」
店中の注目がシザリアに集まる。
シザリアは黄金の瞳を得意げに光らせて胸を張る。
「いかにも私こそガリア平定の大英雄ユリウス・シザリアその人だ!」
店内のざわめきが止まらない。
「しょ、将軍~!ほんとになんでこんなところにいるんですか!今はフローラス親分との会食のはずでしょう!」
「あれ、そうだっけ?ま、今から向かえばいいか」
シザリアは悪びれた様子もない。
天衣無縫というか天真爛漫というか。
とんでもない自由人だ。
「ま、太刀筋は悪くなかったぞ、ウェイター。しかし、欲望のない拳はこのユリウス・シザリアには届かん!それだけのことさ」
最後のは騙し討ちだと抗議したかったが、言葉が出なかった。
酔っ払いの戯言なのに妙に胸に重たくのしかかる。
欲望のない拳、か。
「あの…」
「ちょっと、あんた!」
俺の声をかき消したのはカウンターからのライラの怒鳴り声。
「将軍でも議員でも関係ない!ツケ払いなんて承知しないよ!」
「ふーむ。困ったな」
と全然困ってない口調でシザリアは呟き、サンディの肩を叩く。
「建て替えといて。返すかわかんないけど」
「えええっ!?」
「じゃあね!楽しかったよ!」
金褐色の髪を夜風になびかせてシザリアは賑わう夜の街へと消えていった。




