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1945年に飛ばされた私、iPhoneだけ2025年と繋がってるんだけど? 〜終戦回避は無理ゲーでも、戦後復興をRTAして100歳まで君臨する〜  作者: 栗昆布
第3章 東京デフラグ ―更地をコンクリジャングルへ!編―

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終焉の前夜祭

 大河原を舞台へ引き上げた余韻に浸る間もなく、次なる工程が始まった。

 瑞穂屋の蔵の奥から、サオリの指示で「資産」が次々と運び出されていく。

「ハナさん、瑞穂屋の備蓄、全部運び出して」

 ハナは手を止めずに応じた。

「わかってるよ。床下の地下室には、戦時下とは思えない極上の米俵と名酒が眠ってる。どうせ、あと数日でここも灰になるんだ。出し惜しみしてる場合じゃないね」

 サオリは無機質に頷いた。空襲で焼けるのを待つより、収穫祭への「投資」として使い潰すのが、彼女の知る合理性だ。

「地下室は構造上、空襲でも燃え残る。予備の分はあそこにまとめて、それ以外は全部、あのホテルへ」

 

二週間という時間は、街を救うには短すぎたが、最高級の死地を整えるには十分だった。サオリはハナと共に、埃にまみれ、膝を擦りむきながら、重い米俵や酒樽を何度も往復して廃ホテルの厨房へと運び込んだ。現代から来た彼女の細い腕には酷な労働だったが、その瞳には一点の曇りもない。


翌日の料理を作る調理場として、ホテルの厨房を隅々までチェックしていたサオリは、奥に鎮座する巨大な鉄の塊の前で足を止めた。

「工藤さん。これって、何?」

 後ろについていた工藤が、物珍しそうにその扉を開ける。

「……冷蔵庫だろ。ほら、ここに氷を仕込むところがあるはずだぜ。普通は、氷屋から氷を買ってきて冷やすもんだが……」

 工藤の手が止まった。扉の奥に氷を置くスペースはなく、代わりに細い金属管が這い回っている。さらに箱の天面を見上げた工藤が、怪訝そうに顔をしかめた。

「……なんだこりゃ。えらく物々しいのが乗ってやがるな」

 冷蔵庫の頭頂部には、剥き出しの真鍮パイプと冷却フィンが複雑に絡み合った、巨大な円筒状のコンプレッサーユニットが鎮座していた。鈍い光を放つその機械の塊は、まるで未知の兵器か、潜水艦の心臓部をそのまま移植したかのような異様な威圧感を放っている。

「……芝浦製作所……電気式か。おい、こいつはとんでもねえ高級品だわ。軍の病院か、よほどの貴族が泊まるホテルにしか置いてねえぞ。だがな、今は電気が死んでる。ただのデカい鉄の箱だぜ」

「直るかな。外の九四式トラック、エンジン回しっぱなしにして、そこから電気取れない?」

 サオリの無茶な要求に、工藤は「無茶を言うぜ」と毒づきながらも竹本を走らせた。

 今やホテルの地下ではトラックのエンジンが絶え間なく咆哮を上げ、剥き出しの配線が床をのたうち、頭上の巨大なコンプレッサーを無理やり叩き起こしていた。

「……チチチ、チチ……」

 やがて、重い唸り声を上げて機械が震え始める。天面のコンプレッサーが熱を帯び、それと引き換えに、鉄の箱の中にはこの時代にはありえない冷気が送り込まれていった。サオリとハナがかき集めてきた生鮮食品が、トラックの排気ガスと引き換えに、その人造の冬の中へ収められていった。


 そして五月二十四日の夜。銀座の路地裏、瑞穂屋の蔵の奥。

 今朝未明、山の手南部を焼いた爆音は止んだが、西の空を濁らせる朱色の照り返しは、一日中消えることがなかった。

 蔵の中では、ハナが大旦那の前に膝をつき、手際よく結城紬の襟を整えていた。サオリはその様子を、iPhoneの画面を見つめたまま少し離れた場所から眺めている。二〇〇五年生まれの彼女にとって、伝統の重みなど知ったことではない。ただ、この老人が「銀座の正鵠せいこく」を射るための、最も高価な装飾品として機能すればそれでよかった。

 ハナは大旦那の身なりを整え終えると、ゆっくりと立ち上がり、蔵の奥から重厚な漆塗りの衣装箱を引き出してきた。中には、瑞穂屋が代々受け継いできた、息を呑むほどに艶やかな総絞りの振袖が収められていた。


「……次はあんたの番だよ、サオリ」

「私はいいよ、こんなの」

「馬鹿言いな。あんたは大河原の懐に飛び込む人質なんだ。安っぽいナリで行ってみろ、一瞬で見透かされて終わりだよ」

サオリは黙ってiPhoneを置き、ハナに身を委ねた。二〇二五年のストリートで着ていたスウェットやデニムとは対極にある、重く、硬く、不自由な衣装。肌着を重ね、紐が幾重にも締め上げられるたび、肺が圧迫され呼吸が浅くなる。冷たい絹の重みが肩にのしかかり、サオリの体を、大河原を繋ぎ止めるための「最高級の人質」という虚飾で塗り固めていく。

 ハナの手際で髪が結い上げられ、紅が引かれた。鏡の中に現れたのは、現代のサオリとは別人のような、瑞穂屋という看板を背負わされた、非の打ち所のない「差し出し物」の姿だった。


 その時、蔵の厚い壁を透過して、一日中続く消火活動の喧騒や、避難する人々の靴音が不気味な地鳴りのように届く。扉の隙間から差し込む光は、朝からずっと、血のような不快な色を保ったままだ。


「ひ、ひーーーん! こわい、こわいですわぁ! もう嫌、もう嫌ですのやぁ……!」


 大旦那が絹の袴を震わせ、床を叩いて幼児のように泣きべそをかいた。一頻り喚き散らした後は、もはや涙も枯れたのか、ガチガチと歯を鳴らす乾いた音だけが蔵に響く。

「……いけません、いけませんわ。山の手があんな風になったのなら、この銀座も、わたくしも……。一思いに、一思いに殺してくれた方が、どれほど楽か……」

 老人は耳を塞ぎ、亀のように丸まって震え続けている。いつ再び爆音が響くか判らないという持続的な拷問に、明治の商売人としての矜持は、もはや一欠片も残っていなかった。

 サオリは重い振袖の裾を捌き、ゆっくりと大旦那の前に歩み寄った。そして、その震える背中に細い手を置く。

「大丈夫。大旦那、落ち着いてください」

「……何が、何が大丈夫なんですのや。あの火が見えませんか。死神が、すぐそこで鎌を研いでおりますのやぁ!」

「……今夜は焼けませんわ」

 サオリはiPhoneの画面を消し、大旦那の目を見据えた。その声は、驚くほど平坦で、冷たかった。

「火が来るのは、明日ですの」

 サオリの瞳には、死神への恐怖など微塵もなかった。iPhoneに記録された確定した未来。その情報の前では、蔵を震わせる轟音すら、過ぎ去るのを待つだけの雑音に過ぎない。

「ですから、今夜はしっかりお休みになって。明日、あのホテルで最高のお酒を飲みましょう」

 サオリの切り詰められた断言に、大旦那は毒気を抜かれたように「ひっ……ひっ……」と嗚咽を漏らしながらも、震えを止めた。

 大河原もまた、今朝の惨劇を生き延び「銀座はまたしても外された」と、その運の強さに酔いしれているはずだ。その慢心が、彼を明日、死地へと歩かせる紐となる。

 サオリは扉の隙間から漏れる、不気味な朱色の光を見やった。

 すべてを灰に変える「本当の終わり」まで、あと二十四時間を切っていた。


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