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1945年に飛ばされた私、iPhoneだけ2025年と繋がってるんだけど? 〜終戦回避は無理ゲーでも、戦後復興をRTAして100歳まで君臨する〜  作者: 栗昆布
第3章 東京デフラグ ―更地をコンクリジャングルへ!編―

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観測者の選択

 深夜、廃ホテルの一室。かつては華やかだったスイートルームのソファも、今や埃を吸い込んで重く沈んでいる。窓の外には、空襲の傷跡が生々しく残る銀座の街が、死んだように静まり返っていた。

 工藤は、懐から取り出した安タバコを噛み潰すようにくわえ、苛立ちを隠せない様子で地図を睨みつけていた。

「……あと一歩だ。築地の権利を不法に乗っ取ったあの銀座のヤクザどもを、一匹残らずこのホテルに引きずり出すための『決定打』が足りねえ」

 工藤の指が、地図上の銀座を激しく叩く。


「物資の分配だ、憲兵上層部の利権だとハッタリをかましても、あのヤー公の親分は海千山千の古狸だ。自分が動くリスクと、得られる実利を天秤にかけやがる。下っ端を数人送ってくるだけだろう。……『格』を見せつけるだけじゃ足りねえんだ。奴ら全員を、五月二十五日のこの場所に、文字通り『釘付け』にする物理的な重りが必要なんだよ。……おい、サオリ。聞いてるのか」


 サオリは、工藤の焦燥に満ちた言葉を、相槌を打ちながら静かに聞いていた。

「……ええ、わかってるわ。彼らがどうしても手放せない『何か』を、この場所に置く必要があるってことでしょう?」


「そうだ。だが、金や食い物じゃ奴らの腹は膨らまねえ。もっとこう……奴らの命運を左右するような、巨大で、不可解な『重み』がな。……チッ、これ以上は俺の頭じゃ出てこねえ」

 工藤が頭を抱え、吐き出すように毒づく。


「……そうね。工藤さんの言う通り、彼らが『これを失うくらいなら死んだほうがマシだ』と思うような、巨大な実利……あるいは脅威が必要なんでしょうね」


 サオリの返答は、どこか他人事のように平坦だった。

「工藤さん、ごめんなさい。少し頭を冷やさせて。……夜風に当たれば、何かいい『重り』のアイデアが浮かぶかもしれないから」


 サオリはそう言い残すと、不安げな表情のハナの手を引き、工藤の制止を振り切るようにして夜の銀座へと滑り出した。目指すのは、すぐ近くにある「服部時計店」の定礎だ。


「ねえ、ハナ。……あの時、覚えてる? 石の隙間に沢庵たくあんを突っ込んだら、八十年後のケンジさんのところに届いちゃったこと」

 ハナは大きな目をしばたかせて頷いた。

「……うん。あの臭いやつ。でも、あれはどうして?」

「私のiPhoneが、この世界の理屈を壊してるのかもしれない。それを今、ハナと一緒に確かめたいの」


 焼け焦げた匂いが漂う路上。サオリはiPhoneを掲げ、二〇二五年の同じ場所に立つケンジを呼び出した。

「ケンジさん、何度もごめん ……今から、ハナと確認したいことがあって。服部時計店まで来て」



第一段階:時間の超越と「二重の暗闇」

 服部時計店の「定礎」の前。

「ケンジさん、見て。今からこのパスケースを定礎の隙間に差し込むわ」

 サオリは、夜風の冷たさとは別に、得体の知れない緊張で微かに震えていた。令和の十円玉を入れたパスケースを、一九四五年の煤けた定礎の隙間に深く押し込む。


『サオリさん、今、こっちの隙間に手を入れます……。あ、触れた。……これ、すごいな。ボロボロだ』

 ビデオ越しに、ケンジが現代の石の隙間に指を滑り込ませ、何かを引き出した。ケンジの手にあるのは、茶色く変色し、端がボロボロに崩れかけたパスケースだった。

ケンジが劣化したケースの口をこじ開けると、その中から十円玉が転がり出た。


『……うわ、すごいなこれ。緑青ろくしょうで真っ青だ。……サオリさん、見てください。令和六年の刻印は辛うじて読めるけど、まるで海底から引き揚げた沈没船の遺品みたいですよ』

 ビデオ越しに映し出されたのは、八十年の歳月を凝縮したように、どろりと青緑色の錆に覆われた十円玉。

「……あ」

 ハナが短く声を上げた。

 ケンジは、中身を抜き取った「空の、そしてボロボロになったパスケース」を、再び現代の定礎の隙間へと押し戻した。

 サオリが一九四五年の側で定礎の隙間に手を突っ込み、パスケースを引き抜くと、そこにあったはずの十円玉の重みは、忽然と消え失せていた。

「……確定ね。中身は時間を飛び越えて八十年後へ『抽出』された。それも、定礎の隙間という『外から中身が見えない空間』の中にある、さらにパスケースという『中身が見えない容器』の中。この二重に閉ざされた暗闇こそが、条件なんだ」


第二段階:空間座標の維持(並行存在の証明)


 サオリは、地面に落ちていた手頃な木箱を二つ拾い上げ、定礎の前の平らな場所に並べた。それぞれを【箱A】【箱B】と定義する。

 サオリはiPhoneのカメラをその【箱A】にじっと向け、ハナに「観測」を続けさせる。

サオリの心臓は、早鐘を打つように衣類を押し上げていた。

「ハナ、見てて。ここに【箱A】を置いて、中に小石を入れるわ」

「今から、私がこの【箱A】を横に動かす。ハナは空の【箱B】を、元あった場所に置いて」

 サオリが【箱A】をスライドさせ、ハナが【箱B】を置く。サオリが移動した先の【箱A】を開ける。中は、空だ。

 ハナが元の場所に置いたばかりの【箱B】を開けると――そこには、移動させたはずの小石が転がり出た。

「……iPhoneは、座標と時間を二〇二五年と共有している。iPhoneが『ここにある』と示している限り、中身は元の座標に留まろうとするのね」


第三段階:暗闇のロジック(観測不可の時空超越)

「でも、サオリ。石が動いてる間、見えなかったよ?」

 ハナの素朴な指摘に、サオリは喉の渇きを覚えながら頷いた。

「そう。目に見えている間はダメみたい。光が当たっている間は『一九四五年』の現実に縛り付けられてしまう。密閉容器の中で、誰の目からも遮断された『暗闇』になった瞬間だけ、このiPhoneは魔法を使える。……時空を超えて、中身を別の座標へ逃がしてくれるのよ」

 目視できない空間、いわば「時空の空白地帯」。



 サオリは頭の中で、恐ろしい仮説を組み立てていた。


(もし……この『中身』が、私自身だったら?)


 それはまだ、自身の震えさえ止められないほど、不確かで不気味な理論だった。だが、同時に別の可能性が脳裏をかすめる。

 この座標から逃げられない箱の中に、ヤクザたちを閉じ込め、外から観測を絶ってしまえば。彼らは逃げ場のない「一九四五年の現実」の中に固定され、確実に焼き尽くされる。

 (……これを使えば、あの人たちは、死ぬ)

 その事実が、冷たい水のようにサオリの胃の腑に落ちた。

 自分が導き出した「理論」は、ただの脱出計画ではない。あの男たちを確実に終焉の地へと繋ぎ止めるための、逃げ場のない檻の設計図なのだ。

 ハナが、心配そうにサオリの顔を覗き込んでいる。

 サオリは一度、強く目を閉じ、その震えを肺の奥に押し込んだ。

「ハナ、ホテルに戻りましょう」

 ホテルに戻ったサオリは、先ほどまでの張り詰めた空気を拭い去るように、軽く息をついた。

「……少し、夜風に当たって気持ちが晴れました」

 地図と睨めっこを続けていた工藤が、不機嫌そうに顔を上げる。

「何言ってんだ、悠長な。五月二十五日はもうすぐそこまで来てんだぞ。呑気に散歩してる暇なんかねえんだ」

 その言葉に、サオリはどこか遠くを見るような目で、ぼんやりと口を開いた。

「……ねえ、工藤さん。シュレディンガーの猫って知ってる?」

「あぁ? ……シュ……?猫……? 飯の話か?」

「……違うわよ。以前、竹本さんから聞いた話なんだけど。箱の中に猫を入れて、蓋を閉めて……ええと、外から見えない間は、その猫は生きてるのと死んでるのが、同時に、重なってる……だったかしら。とにかく、観測されない間は、何でもありになっちゃうっていう……」

 サオリが記憶を掘り起こしながら、わかっているようなわかっていないような曖昧な説明をモゴモゴと続けると、傍らで聞き耳を立てていた竹本が、苦笑混じりに口を挟んだ。

「サオリくん、実に惜しい。正確には量子力学における重ね合わせの解釈で……観測者が蓋を開けるまでは、状態が一つに確定しないという思考実験のことである」

「あ、あの、そうそう! そういうこと。竹本さん、物知りね」


 サオリはおどけたように笑って誤魔化した。隣でハナがクスクスと笑い、サオリと目配せをする。深夜の銀座で行った「石の転移」については、二人だけの秘密だ。

「……なんだか難しい話だな。猫がどうなろうが、俺たちの状況は変わらねえよ」

 工藤は興味を失ったように、再び地図へ視線を戻した。

「そうね……。今日は少し、疲れちゃった。ハナ、もう寝ましょうか」

 サオリはハナを連れ、地下にある古びたソファへと向かった。

 暗闇の中で横たわり、天井を見つめる。

 蓋を開けるまでは、生と死が重なっている。

 その「箱」を用意したとき、自分は果たしてどちらの側に立つのだろうか。

 サオリはiPhoneを胸に抱き、静かに瞼を閉じた。

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