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1945年に飛ばされた私、iPhoneだけ2025年と繋がってるんだけど? 〜終戦回避は無理ゲーでも、戦後復興をRTAして100歳まで君臨する〜  作者: 栗昆布
第2章 iPhoneで銀座を落とせ ―焦土のシステムハック編ー

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コハダとノビル

銀座、四丁目の焼け跡。四月二十五日。

 汗ばむような昼間の熱気が、夕暮れの湿った春風に混じり、焼け跡の灰を重く揺らしている。

 ほこらの前には巨大な七輪が据えられ、工藤の若い衆が扇ぐ団扇の風を受けて、炭がパチパチと赤い火の粉を散らしていた。

「サオリ! 醤油は持ってきたよ! ったく、憲兵の目を盗むのがどれだけ大変だったか!」

 路地の影から、ハナが息を切らせて飛び込んできた。風呂敷包みを抱え、中からは貴重な「野田の生醤油」の一升瓶が現れる。

「……ハナ、助かったわ。さっそく始めて。……このコハダとヒイラギ、三枚におろして」

 サオリの指示に、ハナは「へへっ、任せな!」と出刃包丁を抜いた。シュッ、シュッ、と小気味よい音が響き、勝鬨の雑魚たちがまたたく間に切り身へと姿を変えていく。

「……ハナ、次はそれ、酢で締めて。……あ」

 サオリが言いかけて止まった。一九四五年の東京に、潤沢な「酢」などあるはずもない。

「お嬢。……酢なんか、この銀座のどこを探したって手に入らねえよ」

 工藤が鼻で笑った、その時だった。

「……酢ならねぇ、ほれ、あすこにあるよ。あいつぁね、ずっと神さまに上げておいたやつでねぇ……ヒヒヒ」

 祠の影、五徳ごとくのように痩せさらばえた老婆が、のっそりと這い出してきた。老婆は欠けた歯をのぞかせ、喉の奥で湿った笑いを転がしながら、祠の奥に転がる、真っ黒に煤けた徳利を、顎でそっと示した。

「清酒だと思うて、そのまんまにしておいたんだけどねぇ……。もう酒の匂いなんざ、とうに抜けちまってさ。鼻にツンとくる、すっぱく腐れた水みたいなもんだよ。この四月の、生ぬりぃ風にずっと当てられてたんだ。そりゃあ、こうもなるさねぇ……ヒヒッ。……お前さんの探してる“酢”の代わりにゃ、なるんじゃないかえ。ふふ……汚らしくて、口に入れる気にもならんかねぇ?」

 ハナが徳利の栓を抜くと、強烈な酸味が鼻を突いた。「っ! すっぺぇ! 酒が化けてやがる」

「……それよ、ハナ! 最高の『合わせ酢』だわ」

 サオリの目が輝いた。四月の熱気で酢酸発酵した神事の酒。それは図らずも、どんな高級酢よりも力強い旨味を宿していた。

 ハナは迷わず、その液体に切り身を放り込んだ。数分後、引き揚げられた身は、驚くほど弾力を持って引き締まっていた。

「よし、焼くわよ。……強火の、遠火」

 網の上に乗せられたコハダの脂が、炭火に落ちて弾けた。そこへサオリが、刷毛で生醤油を一塗り。焦げた醤油の香ばしさと、炙られた脂の匂いが、路地裏を支配した。

「……おじさん。食べてみて。あなたが釣った、大切な魚よ」

 サオリは、最初におにぎりをひったくった、あの痩せこけた釣り人に最初の一貫を差し出した。男は震える手でそれを受け取り、一気に口へ放り込む。「…………っ!」

 男の動きが止まった。咀嚼するたびに、ノビルの鮮烈な辛みが鼻を抜け、神事の酒で旨味が凝縮したコハダの脂を、醤油が完璧にまとめ上げる。「……うめぇ。……俺が釣った、あの魚が……なんで、こんなに……っ!」

 その言葉が、闇の中に潜んでいた何十人もの民衆への合図となった。醤油の焦げる匂いと、ハナの包丁が刻むリズミカルな音。一九四五年の「飢え」を、二〇二五年の「中毒的な旨味」が塗りつぶしていく。工藤もまた、その光景に魂を抜かれたように見入っていた。

「……お嬢、これ。……本当に、あの魚なのか?」

 工藤もまた、その「奇跡の一貫」に魂を抜かれたように見入っていた。と、そのときーー


「……どけ。どかねえか、この薄汚い連中め」


 その熱狂の渦を切り裂くように、人垣の端から、ボロ布をまとった浮浪者が、顔をひきつらせて声を上げた。

「……おい開けろ! どけ! 金子のとっつぁんだ!」

 その一言で、場が凍りついた。

 人垣が割れる。重い革靴の音を響かせ、一人の男がゆっくりと歩み寄ってきた。築地の検分から戻ってきたばかりの、銀座のヌシの舎弟頭、金子だった。

 金子の鼻腔を、焦げた醤油と、ノビルの鮮烈な香りが一気に突き抜けた。

「……瑞穂屋のアマか。……一体、何の真似だ、こりゃあ」

 金子の声が響くと、先ほどまでの熱狂が嘘のように、民衆がさっと静まり返った。サオリは肩を震わせ、喉の奥が乾くのを感じながら、ハナの手から最後の一貫を預かった。

 金子の威圧感に気圧されそうになりながらも、サオリは一歩、踏み出す。

「あ、……お疲れさまです。……これ、勝鬨で獲れた魚を、ちょっと工夫して炙ってみたんです。……もしよろしければ、おひとつ、いかがでしょうか?」

 サオリは震える手を隠すように、丁寧に、差し出すようにその一貫を突き出した。

 炭火の照り返しを受けて、黄金色に輝くコハダ。その上で、サオリが摘んできたばかりの青々としたノビルが、水を弾くような瑞々しさで、ぷつりと弾けんばかりに艶めいていた。焼け跡の闇の中で、その色彩だけが異様なほど鮮やかに、生命の証として際立っていた。

 金子は、サオリの差し出した手と、その一貫を交互に見つめ、喉を大きく鳴らした。

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