第9話
「あー……私の馬鹿、ばか、バカ」
テーブルに項垂れて額を打ち付ける。
なんで自分はリフを叩いて怒鳴ったりしたのか。ここを追放されたら、それこそ行くあてなどなくて消えてなくなるしかないというのに。ここにいるためにリフがなにを求めているのか、なにを言って欲しいのか、顔色ばかり窺ってきたのではなかったのか。
その努力を台無しにするなんて。
自分の短気な性格にほとほと呆れてしまう。
あれからバジール達によってカナレットの自室に運ばれたユトリロは、たらふく水を飲んでからダイクの作ったスイーツを貪っている。カナレットはそんなユトリロの隣で、自分を省みているのだった。
「ユトリロ、どう思います? 私、追放されてしまうでしょうか」
「いやぁ……リフ神様はなにより理不尽が嫌いですから、自分で花嫁にと呼び付けておいて気に食わなかったら追放なんてことはしないと思いますよ」
「そうだといいんですが……美味しいです?」
「はい! とっても! これからはこっちで気を紛らわそうかと」
「それはよかったです。私も一口」
「どうぞ」
ワッフルに乗ったアイスをほんのちょっぴり貰う。甘くて冷たくて、不思議と成るようにしか成らないと開き直るきっかけになった。
「俺もちゃんと進言します! 俺のためにやってくれたことですし、全力で庇いますから!」
「ありがとう」
それでも顔を上げられずに、頬をテーブルにくっつけたままユトリロを見ていた。
ユトリロはおもむろにスプーンを置いて、改めて頭を下げた。
「本当にすみませんでした。怪我をさせてしまいました」
そう改められると、カナレットも突っ伏してはいられない。謝罪を受け止めたうえで否定する。
「いいんですよ。バジールさんも瞼しか切れていないと言っていましたし、視力には問題ないそうですから。ただ眼球に近い瞼の怪我なのでしばらく眼帯をと、こうしているわけです」
カナレットの右目は黒の眼帯で守られているが、傷さえ塞がれば元通りなのだという。傷跡は残るかもしれないというのがバジールの見立てだが、視力に比べればほんの僅かな傷跡など些細なことだ。
「それだけではありません。俺を守るために足まで捻挫して、おまけにお腹や顔は痣だらけ、露出していた皮膚は引っ掻き傷と爪痕だらけ……。本当に、心から感謝します」
「いいんです。ユトリロさんがお酒に負けなかっただけで、私のやったことには意味がありますから、それでいいんです」
それでいい。
むしろ、これで無意味に終わっていたらカナレットはいつまでも自分を責めただろう。
そしてこれからは、夜はダイクと同室で眠り、お酒の誘惑に打ち勝つよう協力をしてくれると話がついている。そこまで漕ぎ着けたのだから、充分に自分を褒めてやりたいくらいだ。
じと目でユトリロがカナレットを見た。
「……カナレット様、人間の男にモテたでしょ」
「まったく。好きな人も好きになってくれた人も、なーんにもありませんでした」
「……人間の男って、目、付いてます?」
「うん。そのはず」
「見る目がなさすぎる」
ユトリロは最後の一口をぺろりと平らげて、満足そうにお腹を撫でた。
そこへタイミングよく、ダイクがやってきた。
「カナレット様! ユトリロ! 調子どう?」
「万全だよ」
「俺も」
「私はさっき傷口に水が入らないようにって、バジールさんに髪を洗ってもらったので、ユトリロさんはもう休んでください」
「ありがとうございます」
「カナレット様、ユトリロを守ってくれてありがとう! さっきのパシン! めっちゃ格好よかったよ!」
平手打ちの真似をされるが、嬉しくない。むしろ恥ずかしささえ覚えて、カナレットは苦笑して受け流した。
「では、お休みなさいませ、カナレット様」
「おやすみカナレット様ー!」
「おやすみなさい」
ふたりの去った部屋はやけに静かだった。ぬるま湯で汗を軽く流し、パジャマに着替える。ベッドに倒れ込むと、なんだかもう深夜みたいな体の重さを感じた。
「あー……疲れた……」
このまま明日の朝まで眠ってしまおう。もう余計なことは考えずに、ただ惰眠を貪りたい。
なんの抗いもなく、カナレットは睡眠の沼へと沈んでいった。
◇◆◇◆◇◆
「ぜっっっっったいに嫌われた……」
バジールは、眠る以外に書斎のデスクに突っ伏す我が主を初めて見た。どう反応すべきなのか、困る。城に戻ってからずっとこうだ。
「あー……僕の馬鹿、ばか、バカ」
デスクに額を打ち付ける姿も、やはり初めてだ。
「バジール、どう思う? 嫌われたよね? ね?」
「いえ、そんなことは」
「でも怒ってたよね?」
「それは……確かに、はい」
「あー……」
この繰り返しである。
バジールにしかり、主にしかり、当然にユトリロの症状には初めから気が付いていたし、発症するより前から予想もしていた。しかし、ユトリロ自身が乗り越えなければならない壁だからと、誰も手を貸さずに見守ってきた。
まさかカナレットがあそこまで尽力するとは思わなんだ。
そして、まさかカナレットがあそこまで主に対して激昂するとも、やはり思わなんだ。
ひとりで乗り越える必要なんてない。
その言葉は、どうやら我が主に突き刺さったらしかった。
「出て行くって言われたらどうしよう」
バジールは迷った。
故郷でのカナレットの未来を聞いていただけに、さすがに出て行くとは言わないだろうと思うのだが、その根拠を聞かれてしまうとカナレットの生い立ちやらなにやらを説明しなければならなくなる。
そうなると、また主は理不尽を喰らいにいくだろう。
この不安定な情緒に便乗して、大量に喰らうかもしれない。それは避けたかった。
「どうすればいいと思う?」
「恐縮ですが、私も百数年は女性との接点がないものですから的確な助言はできかねます」
「僕なんて数百年だよ。バジールは、ほら、前の雇い主の奥さんと面識があるだろう? なにか、こういうときの解決策ない?」
「そう言われましても……潔く謝ってしまうのが最も早く解決する方法であったと記憶しております。……百数年前は、ですが」
「謝る? どうやって?」
「謝罪でございます。ただ率直にお言葉をお伝えするのでございます」
「許してくれなかったら? 嫌いって言われたら?」
返事に窮すると、絶望を見たかのようにまたデスクに項垂れてしまう。
そして自分の見る目は間違っていなかったとも思う。カナレットの体を買おうとする男がいたら、カナレットは殴るだろうと考えたのは正しかった。正確には、殴った相手は我が主だったわけだが。
「……あれ? でも、カナレットはバジールにも怒ってたよね?」
んぐ、と喉が鳴ってしまう。痛いところを突かれた。確かにカナレットは医者としてのバジールを責めた。
──ふざけんな!!
そう吐き捨てたカナレットの形相が目に焼き付いている。
(お、恐ろしい……)
主はどちらかというと仄暗い恐怖がある。陰惨で陰険で粘着質で、それこそ、なにかが水面下で躙り寄ってくる得体の知れない不気味さがあって、バジールはその背後の気配が気になってしまうような恐怖が苦手だった。
一方でカナレットは直接的だった。正面からぶつかってくるというか。真っ直ぐというか。だからこそ、迫力がある。
「……私も謝罪にお供します」
「……心強いよ」
「……身に余るお言葉」
バジールは思い出した。そういえば以前の雇い主も『妻の機嫌だけは損ねるな』と言っていた。
なんとなく、その理由がわかった気がした。
嫌われたくないから、臆病になってしまうのだ。




