第7話
その星空は不思議だった。
月が3つあって、赤色の満月や紫色の半月、白の三日月が浮かんでいて、星の配置はバラバラで星座のひとつも成立していない。
「これはリフが作ったのですか」
隣に座るのはリフだ。
昼食のあと、仕事を始めるまでの時間を使って約束通り星を見ようと誘ってくれたのである。城の前庭の芝生に並んで座り、星空を見上げる。
「そう。気に入らない? 確か、こんな感じじゃなかったかな」
「リフの想像通りに作れるんですか!?」
「うん。きちんと夜空を見たのは、もう随分と昔だからすっかり忘れちゃった。カナレットが見ていた空はどんなものか、教えてくれる? その通りに作り直すよ」
「え、今?」
「今」
「えーと、私の世界では月はひとつで、どちらかというと青白いというか、ちょっとだけ黄色というか」
「うん」
リフは赤と紫の月を人差し指で差して、ぽいっ、ぽいっ、とテーブルの埃をそうするように弾いた。ふたつの月はボールみたいにころころ転がって消えてしまう。残った白の月が僅かに青と黄色を帯びて、ぐっとカナレットの記憶と近付いた。
「月の形はなにが好き?」
「満月が好きです」
「うん」
三日月を指差して、ぐぐっと膨らませるとあっという間に満月になった。
「うわー……本当に自由なんですね。絵を描いてるみたい」
「そうだね。そんな感覚かも。だから、こうして欲しいって、もっと言って」
もっと言って
その部分がやけに甘くて切ない声音で、カナレットはどきりとしてしまった。ふとリフを見ると、微笑んでいる。
もっと言って
それが、彼なりの甘えなのだろうとわかった。
要求されることが喜びというのも、なかなか不思議なものである。
「わかりました。では、もっと月を大きくして欲しいです」
「うん」
「あの星は、もっとこっちに。その星も、あとあれも。3つ並ぶように」
「うん、いいよ」
「あれはあっちに」
「うん」
「それはあっちに。もっと遠く」
「うん。ここらへん?」
「もうちょい」
「ここ?」
「もう少し」
「えーいっ」
「そこ! ストップ! これで狼座なんですよ。私が覚えてる数少ない星座のひとつなんです」
「……狼? どこのあたりが顔?」
「上のほうに小さく三角形ができてるのが頭です」
「んー?」
「ほら、あれです!」
「どれ?」
「あれ──」
そのとき、カナレットの体はふわりと浮いていた。何事かと思っていると、リフの膝の上にとすんと乗せられる。どうやら抱きあげられて、移動させられたようだと事態を理解したときには、恥ずかしさで顔を真っ赤にしてしまった。
「大丈夫、狼にちゃんと見えてたよ。ただ、こうしたかっただけ」
背後からカナレットを包む両腕は、ぐっとカナレットを抱き締めていた。
「こ、これは、その、恥ずかしいと、言いますか」
「僕はこうしたかったんだけど、ああ、でも欠点があるね」
「欠点……?」
問うと、伸びてきた手がカナレットの顎をつまみ、ぐっとリフのほうへ顔の向きを変えた。
「カナレットの顔が見えない」
この人は本当に、愛されない、と懸念していた人なのだろうか。自信に満ちた顔はどこかに優しさと寂しさが滲んで、目が離せなくなる。
その顔が近付いてきて、思わず目を閉じてしまった。
けれどリフの唇が触れたのは、カナレットの口ではなく額だった。
「キスは、君がちゃんと僕を好きになってくれてから、たくさんするね」
「たくさ……!?」
「ふふ。何時間できるかな。僕は1日中しててもいいけど?」
「そ……!?」
そんなに!?
「それは……! えーと、息が……その……」
「大丈夫。優しくするから」
昨夜と比べると、なんだかとても積極的な気がする。いつまでも抱かれているし、至近距離に顔があるままだし、反応に困ってしまう。
返事に窮していると、リフはくすりと笑って頭を撫でた。
「ごめん。意地悪しちゃった」
「い、いえ」
「そろそろ仕事に行くよ」
「わかりました」
「じゃあ、またあとで」
「はい」
そうして立ち上がるのを助けてもらったあと、リフは静かに城の中へと消えてしまった。
気付くと、空は再び真っ白になっていた。
奥行きもわからない白の空間に咲いた、花のような世界。そこに自分がいるというのも、なかなかどうして信じがたい。
「カナレット様! どうする? なにかして遊ぶ?」
ユトリロと、食器の片付けを済ませたらしいダイクが駆け寄ってきた。実年齢は定かではないけれど、ダイクの少年らしい明るさはカナレットを綻ばせた。
「遊ぼう。思い切り体を動かすのがいいな」
「じゃあ簡単バージョンの蹴鞠やろ! 本当は地面にボールを着けちゃいけないんだけど、あんまり続かなくても面白くないし、2回バウンド以内なら次の人にパスできることにしよ!」
「わかった! あ、でもスカートだとやりにくいかな……」
「あ、こんなこともあろうかと、ズボン持ってきましたよ」
「ユトリロさん、実は優秀なのでは?」
「えへへ」
照れ笑いしながら着替えるのを手伝ってもらい、身軽になったカナレットは思う存分に体を動かした。
とても楽しかった。
◇◆◇◆◇◆
「カナレット様! 俺、昨夜は一滴もお酒を飲みませんでした!」
翌朝、ドンドンドンとドアがノックされたので驚いて開けると、またパジャマにナイトキャップ姿のユトリロがいた。しかし今度は意識がはっきりとしていて、お酒の匂いもしない。
カナレットは眠気も忘れて、はっと口を両手で押さえた。自分のことのように嬉しかった。
「すごい! ユトリロさん、本当にすごいです! おめでとうございます! よく頑張りましたね!」
「本当? 俺、すごい?」
「もちろんです! すごいです、とっても! きゃー!」
「やったー!」
ふたりは拍手し合って、興奮のあまり抱き合っていた。ぴょんぴょん跳ねながらくるくると回り、喜びを分かち合う。
「おやおや、随分と楽しそうだね。
──ユトリロ」
ぴしっと空気が凍った音がした。ユトリロははたと気付き、カナレットもはっと思い出す。
そう、まだ部屋にはリフがいた。
「リフ神様……! こ、これは、そ、その」
「あ、あの! 私達、お酒のことで約束を……」
「そうなんだ」
「ですから、決して変な意味はございませんので!」
「変な意味って、なあに? ユトリロ」
ふたりして固まってしまうと、リフは冷笑を浮かべながら、途中だった着替えを再開した。開きっぱなしのシャツのボタンが彼の機嫌を表しているようでもあり、隣に立つユトリロと目配せをしてしまう。
「じゃ、お酒、頑張ってね、ユトリロ」
「はい!!」
まるで軍式の礼のように背筋をぴんとしたユトリロは、リフがいなくなるまでずっとその姿勢を保っていた。リフの気配がなくなるや、ふたりで安堵の息を漏らす。
「いやぁ、しくじりましたね」
「なんか、リフ神様って俺にばっかり怒るんですよねー」
「仲がいい証拠では?」
「そうだといいんですけど。それにしても独占欲強いなあー」
「まずユトリロさんは着替えないとですね」
「実はこんなこともあろうかと、カナレット様のクローゼットに俺の服も紛れ込ませてあります!」
「ゆ、優秀……?」
「失礼ながらまずは俺から着替えてきますね!」
ぽいぽいとパジャマを脱ぐユトリロから目を逸らすと、ふと視界の端になにかが入った。なんだと振り返ると──
「リフ……!?」
まだリフが立っているではないか。壁に寄り掛かって腕を組んでいる。にこにこ顔が余計に怖い。
「え!? なんですか!?」
そこへカナレットの言葉を聞き取れなかった下着姿のユトリロが転がり出てくる。
ユトリロはリフと目が合うと、傍目でもわかるほど青褪めた。
「リフ神様……」
「おやおや、執事が肌を見せるものじゃないよ」
「は、はひ……!」
「カナレットも、もう少し男性に対して警戒心を持とうか」
「は、はい!」
「ふたりとも、良い子だね」
そうして姿を消すリフを見送ったふたりは、度々背後を確認するようになったとか、ならないとか。




