第19話
リフはベッドの傍らに椅子を持ってきて腰を下ろした。部屋にはダイクもユトリロもバジールもおらず、ふたりだけ。改まった雰囲気に気まずさを感じて、カナレットはもじもじと姿勢を変えた。
「君を不安にさせてしまって、ごめんね。全部、説明するよ」
そう。そこから解明していかなければならない。答えによっては、本当にデルフトのところへ行くことも考える。カナレットは心して耳を傾けた。
「まず僕の寿命のことだけど、確かに、僕はもうすぐ死ぬ。死んだら蛇の姿になってしまうんだ。最近、感情が高ぶると顔が変わってしまうのは寿命が近いせいなんだよ」
やっぱり。そういうことだったのか。
騙された。
カナレットはシーツをぎゅっと握り締めて瞑目した。期待したら期待したぶんだけ傷付く。そんなこと、とうに知っていたはずなのに。
「死ぬのはおそらく、80年後くらいかな」
ああ、やっぱりそんなに早く──。
ん?
ちょっと待って。
「……え? は、はちじゅう……?」
カナレットは目を開けてリフを見た。リフはなんてことでもなように指折り寿命を数えている。
「そう、80年。僕達にとっては80年なんて、もうすぐ、なんだよ。何百年も生きるからね。だから僕が急にカナレットを呼んだのは、人間の10代の女性なら80年くらいでやはり寿命を迎えると知っていたからだよ」
「……つ、つまり」
「そう。僕もカナレットと一緒に死にたかった。僕が先に死んでしまって、ずっと奥さんをひとりにするのも嫌だったし、逆に奥さんが死んでしまって、僕がひとりになるのも嫌だったし、他の奥さんを呼ぶのも絶対に嫌だった。だから今までずっとひとりを決めてきた。
でも、ようやく人らしい寿命になったから、呼ぶ決意をしたんだ」
その優しげな微笑みに嘘はない。
しかし、それではデルフトの話と全然違うではないか。
どうしてそもそも私はデルフトの話を信じたのだ?
「そんな、そんな理由が……? で、でも、仕事を継がせるとか、そういうのは」
「僕がいなくなっても、当分はバジールとユトリロ達が交代でやってくれる話になってるよ。誰かに継がせるとか、ましてやカナレットに引き継ぐなんて、これっぽっちも考えてない」
おもむろにリフは首を振る。
それと同じく、カナレットも首を傾げてしまう。頭がこんがらがってしまいそうだった。
「え?? しかし、では、私はなんのために呼ばれたのです?」
「僕に愛されるためだ」
即答だった。
なんの迷いも、そこにはなかった。
それなのに、愛されてこなかったカナレットはやっぱりわからない。
「愛され……? なにか、用途があるのではなく……?」
「そんなことじゃない。僕に、ただひたすら愛されて欲しいんだ。ずっと、毎日、愛されて欲しい」
「愛される……って、なにを、どうすれば──」
「こういうことだよ」
急に立ち上がったリフがカナレットに覆い被さってキスを降らせた。
リフの手がカナレットの頬に触れて、唇を吸い、舌を弄る。リフの舌はとても熱くて、カナレットの体までかっと熱くなった。
そんな濃厚なキスをたっぷりされたあとで、まだ唇が触れそうな距離でリフが問うてくる。
「嫌だった……?」
そんな甘い声に否定などできるはずもなく、それでいて視線を合わせることもできず、カナレットはリフの頬あたりを見つめながら答えた。
「い、いえ……」
ふっ、とリフが笑った気配があった。
「よかった……。こういうふうに、毎日、愛されて。嫌だと言われない限り、僕は毎日、愛したい。……いい?」
「は、はい」
「ありがとう。カナレットが奥さんで本当によかった。愛してるよ」
「はい……」
「愛してる。大好きだよ」
「あの、は、恥ずかしいので、も、もう、そのくらいに」
「えっ、嫌だ?」
「いえ、嫌というほどではないのですが、その……」
「よかった。よかった、カナレット。大好き」
ちゅ、ちゅ、と頬や鼻や額にキスをしてくるリフに困惑してしまう。
(もしかして、こっちが素なの? いつもの冷たい顔は、こういうのを隠すため?)
最後に再び濃厚なキスをされて、また問うてきた。
「僕を信じてくれる?」
それはデルフトを信じてしまったカナレットにとって、耳の痛い言葉だった。
カナレットは信じたいほうを信じた。信じてしまったほうが楽な話を。より有り得そうな話を、信じただけ。
その結果、またリフを傷付けてしまった。
「は、はい」
「じゃあ、僕がカナレットのどんな話を聞いてもカナレットを好きなままだってわかってくれるよね」
「……はい」
「話してくれる? カナレットのことも、クライブのことも」
「……わかりました」
カナレットが家でどんな扱いを受けてきて、どれほどクライブと楽しく遊んできたのか、どれほど弟が大切だったか、そして逃げ出した夜のこと、ホームレス生活から今に至るまでの経緯を、すべて語った。さらにリフの花嫁に選ばれなければ、どんな人生を歩んでいたことになっていたかも。
リフは椅子に座り直して、膝の上で握った手に視線を落としている。
「そう……。そうだったんだね。僕達の調整が間に合わないと、そんな人生になってしまうのか……ごめんね……」
首を振った。それこそリフのせいではない。
「いえ、逃げると決めたのは私ですから」
「なぜ、逃げなければならないのだろうね」
訊ねられている意図がわからなかった。暴力に耐えなければならなかったと、そう言いたいのだろうか。カナレットは訝しげにとい返す。
「なぜ……とは?」
「本当なら、カナレットを殴った親のほうが逃げて悲惨な人生を送るべきだ。責められるべきは君じゃなくて、逃げるのも君じゃなくて、両親のはずなのにね」
そうか。
自分ひとりが悪者だと思っていたけれど、元々の元凶は親でもある。
「カナレットひとりだけで、背負う必要はないんじゃないかな」
その言葉はユトリロの一件で言った自分の一言に似ていた。
嬉しかった。なんだか、自分の罪のほんの少しの部分が軽くなった気がした。それでも有頂天になれないのは、どんなに激励されても置き去りにした事実は変わらないからだ。
手紙のひとつ、様子を見に行く1日さえなかった。それは完璧に自分の落ち度だ。
「そう、ですね。でも、やっぱり置いて行ってしまったのは事実ですから、謝りに行かないと」
「カナレットが望むなら、そうしよう。デルフトに、境界線にクライブくんを連れてくるように伝えてみるよ」
「ありがとうございます」
小さな頃のクライブの笑顔がちらついた。あの顔の下に、どれほどの傷を隠していたのか。カナレットは瞑目せずにはいられなかった。
◇◆◇◆◇◆
「絶対に嫌です。あの女には会いたくありません」
デルフトはリフからの伝言をクライブに伝えた。と、いうよりはリフの右腕であるバジールからの報告だったのだが。
(俺は礼儀は尽くしたからな)
とりあえず報告したことに違いはないので、それ以上は言わないでおく。行くか、行かないかはクライブが決めることであって、第三者である自分が出しゃばる場面ではない。
「あっそ」
さて、なんか楽しいことねえかなあ。
庭の薔薇に水を撒きながら、ふと考える。
もうユトリロに酒を渡すつもりはないが、また酒を渡してやるぞと脅してカナレットに毎日会いに来るように言ってみようか。
なにせ暇すぎる。
なんなら弟を助けてやったのだし、断りはしないだろう。
そうだ。
弟に和解するよう説得してやるから毎日会いに来いと言えばいいのだ。そうそう。それがいい。チェスとかボードゲームを集めて、イカサマしまくって負かし続けてやろう。あいつ、そういう遊びには疎そうだから、きっと全部引っ掛かるぞ。
そう考えるとわくわくしてきた。
「おーい、カナレット!」
聞こえるはずはないが、もしかしたらと思って黒の城に呼び掛ける。案の定、返事はない。まあ、リフ神の地獄耳には届いているかもしれないから、あとでまた手紙でも送っておけばいいだろう。
踵を返して城に向かう。
そうだ、仕事も残っていたのだった。カナレットをカモにするのは、そっちを片付けてからだ。
「デルフト様はあの女とどういう関係なのですか」
付いてくるクライブが問うてくる。どうやら仲を怪しんでいるらしい。
「暇潰し」
「……なるほど」
納得のいっていない顔だったが、構いなしに言った。
「俺は仕事に行ってくる。テキトーに寝て過ごしとけ。なんもしなくていい。部屋もどれ使ってもいいから」
「はあ、畏まりました」
結局、取り残されたクライブはあまりにも暇すぎて城中の床を履いて回った。デルフトも暇で同じことをしていたのだろう。城はほとんど清潔に保たれていて、掃除のし甲斐がない。
けれど、それも疲れて飽きてしまうと、勝手に紅茶を淹れて飲み始めてしまう。
静かだ。
白の地は家族や従者が大勢いて、従者の個室が足りずに狭い部屋にふたりが眠っているのが現状なのだ。だから、いつも誰かがどこかで仕事していて、どこかからか声が聞こえて、あっという間に夜になる。そんな毎日だった。
なのに今は耳鳴りがするほどの静けさに身を置いている。
「……変なの」
妙に不気味だ。なんだか不安になる。落ち着かないというか、静か過ぎるというか。
ふと窓の外を見ると、なにかが動いた気がした。
目を凝らすと、なんと境界線にカナレットがいるではないか。
黒と同化しすぎてわからなかった。
あいつ、なにやってんだ。
まさか、俺を待ってるのか?
馬鹿馬鹿しい。行くわけねえだろ。謝罪なんて聞きたくない。聞いたって、俺の体が汚される前に戻るわけじゃない。あの痛みを、苦しみを、辛さを感じる前に戻るわけじゃない。
謝ってもらったって、なんの意味もないんだ。
クライブは一息ついて、あの部屋に向かった。重要な任務を終わらせようではないか。
彼女の肌は強く擦ったら破れてしまいそうなほど薄そうだった。だからクライブは、塗るというよりは、染み込ませる気持ちで防腐剤を全身に塗った。指の先まで、まぶたの上まで、すべて。ここまで綺麗に残っているのは、デルフトが毎日懇切丁寧に扱ってきた証拠だ。
それほど、愛していたのだろう。
それほど、大切だったのだろう。
これは失敗できないぞ。
そんなふうに考えて彼女の腕を置くと──
爪が取れた。
「ひっ……!」
やばいやばいやばい! マジでやばい!
どうしよう、くっつくかな。
試行錯誤してみても剥がれた爪はくっつかない。
やばい、怒られる。むしろ殺される……!
どうしよう、どうにかしないと。
そこで、思い付いてしまった。
カナレットのせいにすればいいのでは?
カナレットを青の地に呼んで、ここまで呼んで、わざと転ばせる。爪が剥がれちまったじゃねえかと騒げば、きっとカナレットは自分のせいだろうと思ってデルフトに謝るに違いない。カナレットは黒の神の妻だし、デルフトも下手に攻撃できない。穏便に収まる。
そうだ、それでいこう。
今までひどい目に合わされてきたのだから、このくらいいいさ。
クライブは走って境界線に向かった。




