匂い
公園に着いた。
ああ、疲れたという動作をして相手はベンチに座る。
俺も横に並ぶ。
秋になったとはいえまだまだ天気がいい日は暑いと感じることが多い。
汗をかきやすい俺にとってこの時期の体温調節はかなり難しい。
相手の方を見ると汗をかいていない。
この人にとってはちょうどいい温度なのだろう。
いや、むしろ少し寒いのか震えてるようにも見える。
俺は鞄の中からカーディガンを取り出し相手に渡す。
相手はありがとうと言うように会釈してカーディガンを羽織る。
カーディガンの匂いをスンスンと嗅いでいる。
あの、臭いんでそんな嗅がないでください…なんて思いながら俺は次に何を話そうか悩んでいる。
天気もいいしこの話をするか。
「じゃあ次は匂いの話をしようか。」
好きな季節はありますか。
そう聞かれたら大半の人は自分のお気に入りの季節を答えるだろう。
そして大体の理由が「暑いから。」「寒いから。」「過ごしやすいから。」などである。
僕はそんな人たちを見て心底胸が苦しくなる。
この人達は季節を気温という指標でしか見れてないのかとなる。
もちろん過ごしやすさ以外にも「誕生日があるから。」「クリスマスが…」なんて理由を持つ人もいるだろう。
気温という指標から逃れられてはいるものの結局は季節そのものではなく彼らは季節の中にあるイベントが好きなだけである。
でも結局は僕も彼らと同じような人間ということにどうしようもない憤りを覚える。
幼い頃から僕も季節そのものを見れているわけではない。
ただ唯一の救いは季節そのものを見れていないということに気づけているということ。
相手は口を挟む。
「あなたは季節をどう見てるの?」
「うーん、幼い頃はね…」
幼い頃、僕は季節を太陽の光で捉えていた。
子どものくせになぜそのようなロマンチストみたいな指標で季節を捉えていたのかというと幼い頃、僕の目は光しか見えていなかった。
なんで、そんな驚いた顔をしてるの(笑)
あれ、言ってなかったっけ。まあ続けるね。
四歳頃までかな…生まれつき目が悪かったんだよね。
だから必然的に五歳になってメガネをかけ始めるまで僕は季節を光で捉えていたんだ。
春の太陽は温かな光をしていた。
幾つもの蕾たちに花を咲かせてあげようと手を差し伸べているかのような優しい光を放つ。
花というのは植物だけでもなく人間にも言えることだね。
人は誰しも咲かせる幸せ持っている。
どんな形でもね。
夏の太陽の光は眩しすぎて見えなかったのを覚えている。
僕の視界は夏になると真っ青になっていた。
ただただ明るい世界。
記憶がちゃんと持てる年齢になって初めての夏を経験したとき僕は天国にでも来てしまったのかと思った。
夏は太陽の光以外に音を感じやすい季節でもあった。
セミの鳴き声、花火の音、風鈴の音。
青い視界の中で限りなく夏の景色を想像したっけ。
秋になると太陽の光は柔らかになる。
春の光と似ているように感じるが全くの別物である。
少し寒くなってくる季節の中で太陽は変わらず輝き続けようとする。
どんなに気温が下がっても夕方になれば僕の視界を温かいオレンジで満たしてくれた。
冬の太陽の光は儚さと希望を感じさせる。
枯れてしまった花たちをもう一度咲かせるために変わらず輝こうとする。
花は枯れても何度でも蘇るということをあの光が教えてくれた。
五歳になって目がはっきりと見えるようになった。
あれだけ待ち望んでいた季節の景色に僕は絶望した。
僕が思っていたよりも世界は普通だった。
光り輝く世界、鮮やかな色彩が僕を待っていると思っていた。
しかし、目に入ってくるのは濁った色ばかり。
光り輝いてると思い込んでいた世界は、僕の閉ざされた視界が見せた幻想だった。
いずれ世界が輝き出すと信じて僕は生きた。
一年を過ごして絶望する。
何度も繰り返した。何度も。
僕が18歳になる年、初めて世界が輝いた。
彼女という光に出会った。
彼女は春の太陽よりも温かく、夏の太陽の青さが霞むくらい限りなく青く、秋の太陽よりも柔らかく、冬の太陽よりも儚かった。
彼女と出会ってからどんな季節も輝いて見えた。
どんな季節だって生きてみたいと思った。
まるで彼女は僕にとっての新しい季節かのように思えた。
やがて僕は光だけに飽き足らず季節の匂いに目を向けた。
信じてもらえるか分からないけどあの子は季節の匂いがする女の子だった。
桜と一緒に生まれたのではないかと思わせてくれるほどの柔らかな春の匂い。
爽やかさを押し込めたようなスッキリとした清涼感を感じさせてくれるような匂い。
寒さの中で感じる温かさや、花の匂いを感じさせてくれるような匂い。
限りなく冷たい寂しさの中でも美しさを捨てないようにと前を向けるような匂い。
彼女の匂いは僕に新しい世界を見せてくれた。
肩に頭を載せた時、抱きついた時、手を繋いで横並びに歩いた時、服を貸してくれた時、会えた時。
僕はいつも匂いで彼女を感じていた。
彼女が居なくなってから数日で世界は光を消した。
色が濁った世界で僕は自分の目に刃物を突きつけた。
これ以上、この世界に絶望しないために。
恐怖で胸がいっぱいになって吐き気を催す。
また刺そうとする。
瞼から血が滲むのと同時に涙が出てくる。
僕は視覚を捨てれなかった。
絶望、醜さ、汚さを受けとることしか出来ないこの感覚を。
後になって気づいたんだ。
彼女のお陰で世界が光り輝いて見えてたんじゃない。
彼女は見えないようにしてくれてんだ。
視界を奪うほどの眩い光で。
僕が世界から目を背けられるように。
光の無くなった世界を生きていると不思議と目以外の感覚がよくなってくるんだ。
人の匂いに敏感になった。
特に街を歩いてる時や電車に乗ってる時なんかは人の匂いがする。
あぁ、もちろん意図的に嗅いでるわけではないよ。
一歩間違えれば犯罪者だからね。
ただ、匂いがしても僕の好きだった匂いはしない。
匂いを見つけることを諦めて部屋で本を読んでいた頃、何気なく窓を開けた。
そよ風が吹く温かな日差し。
彼女の匂いがして死にたくなった。
「匂いの話はこれで以上かな。」
ってやばいな、このままだと俺がとんでもない匂いフェチの変態だと思われてしまってもおかしくない。
なにか弁解の言葉を述べなければ。
某人気少年漫画の主人公に憧れて嗅覚が鋭いんです!とでも言っておくべきか?
なんてどうでもいい思考に浸っていると。
「匂いに関しては私も共感できることが多かったな。」
ここにも匂いフェチがいました~。
匂いフェチ同盟でも組んじゃうかこれ。
会長の座は譲れなくても副会長の座くらいなら用意してやらんこともない。
「匂いってね、一番記憶に残るって言われてるんだよ。」
「え、そうなんだ。一番最初に消えるものだと思ってた。」
「匂いは大脳辺縁系、ええと…海馬や扁桃体など感情や本能をつかさどる部分に直接伝わるの、記憶に強く結びつき、いつまでも残りやすいんだよ。」
「頭良いな、将来は医者にでもなるんか。」
「あなたもこれくらいなら知ってると思ってた。」
「最近物覚え悪くてね。」
「私の好きだった人も匂いがある人だった。なんて言うんだろうな決していい匂いとは言えないんだけど…例えるなら…犬?猫?みたいな匂いのする人で…天気がいい日はお日様の匂いがして、雨の日はジトーっとした匂いがする。」
「あはは、それは傑作だ。で?好きだったの?その匂いは。」
「うん、大好きだった。嗅いでるだけで落ち着くし、その人からしかしない独特な匂いだった。」
「全く違う人間だと思ってたけど僕たちは似てる部分もあるね。」
「そうだね。」
そよ風が吹く。
あの日と同じ匂いがした。




