本
コーヒーの話をするとか言いながら紅茶の話を延々と話して一時間ほどが経っていた。本来飲食店でこの時間ご飯を食べていると、時間制限付きの食べ放題店やコース料理店でもない限り店員が少しばかりこちらをチラチラと見始めるような時間だろう。
しかし、喫茶店はいい。店主はお客にお構いなしに新聞紙を読んでいる。
扉の音が店内に響く、おや誰か入ってきたかと思う。
チラッと見た感じ、休日を楽しんでいる文系大学生といったところかな。彼はそそくさと奥の席に座り、コーヒーを頼んで鞄から一冊の本を取り出す。
本のタイトルは「………」駄目だなんで書いてるかわかんないや。
ここ最近目が少し悪くなってきたんだよな。
俺は目の前にいる相手にこっそりと聞く
「あれ、何を読んでいるのかな?」
「宮沢賢治だよ。」
「宮沢賢治!また難しそうな本を読んでるなぁ。」
「高校の授業で何回かやったの覚えてない?2年生の頃とか。」
あいにく覚えてない。というか俺は宮沢賢治の小説を一冊も読んだことない。
名作だということは聞くまでもないと思うんだけど、いかんせん昔の人が書く文字って難しいんだよな。
あ、でも宮沢賢治という人間は大好きだ。
昔、漫画で彼の人生についてを読んだことがある。
すぐに彼の人柄の虜になったのを覚えている。
なんて宮沢賢治と自分だけの思い出に浸っていると相手が「どうして聞いてきたの?あの本読みたいの?」
と聞いてきた。
あぁ、俺が急に子どもみたいに「あれ、なに?」と聞いたから相手は俺があの小説を読みたいと思っているのか。そういうわけではない。
「褒められた行動じゃないというのは重々承知なんだけど、人の読んでいる本を知るのが好きなんだ。この人はこういう本を読んでいるのか。つまりこの人はこういう人間かもしれないって想像するんだ。」
「奇遇だね。私もそれ結構しちゃうかも。」
なんて話が逸れかけたけど、俺は生活の話をしないといけないんだと思い出して。
「じゃあ次は何の話をしようかな。」
と呟き考え始めた。
相手は「他に客もいるし。場所を変える?」と言ったけど気にしなくていいだろう。彼はもう自分と本だけの世界に入っている。
「じゃあ次は、本や音楽についての話をしようか。」
俺はポツポツと話し始めた。
僕は本が苦手だった。
昔はよく読んでいたが、高校生になってから長い文字を読むことができなくなっていた。
彼女はよく本を読む人だった。
僕は彼女が読んでいる本の話を聞くのが好きだった。
まるであれは…読み聞かせっていうのかな。
彼女は理解力のない僕でもわかるように物語を事細かに教えてくれた。
彼女が教えてくれた物語は美しかった。
いや、どんな物語も本来は醜いものだと思う。
作った人の思想が出る。
結局は自己満足でしかないものだ。
ただの自己満足を、読んだ人がもてはやし作品へと押し上げてしまう。
勝手に救われて、勝手に感動して、勝手に前を向く。
結局物語に救われたなんて言ってる人は「救われたんじゃなくて自分で前を向いた人間。」
なんて歪んだ思考を僕は持っていた。
でも、彼女の喉を通して聞く物語は美しかった。
彼女の読んでいた小説が優れていたのではない。
彼女は物語を自分のものにしない人間だったのかな。
極めて無責任な第三者というか。
彼女との物語の向き合い方はきっと他の人と違うかったんだと思う。
僕が買い被りすぎてるだけかもしれないけどね。
付き合ってから一緒に本屋に行くことが増えた。
彼女はまるで水を得た魚のように本を見て本屋の中を飛び回った。
僕はそんな彼女に必死について行った。
子どもみたいに。
でもやがてついていけなくなるんだ。
欲しい本があったら言ってね。
そう告げて僕と彼女は各々の時間を本屋で過ごす。
僕は本を見て表紙を見る。
「この本が気になる。」よりも先に「この本は駄目だ。」という言葉が頭の中に出てくる。
物語は醜いものと言ったが、人の思想を知るのは面白い。
世の中にはこんな数の思想が溢れているのかと驚き、心の中でクスクスと笑う。
気になるタイトルがあった。
手に取る。
それは僕の好きな空の本だった。
でも、どうせ読めないし、いいか。
そう思い歩き始めようとした時、彼女の声が後ろから聞こえた。
「この本、気になるの?」
僕はびっくりした。彼女がその本を持っていた。
「いや、ちょっと気になったけど値段も張るしね。」
なんて嘘をついた。
だから彼女がその本を買って僕に渡してきた時は驚いた。
「欲しそうにしてたから。それにいつも私の欲しい本買ってくれるし。」
それだけの理由で高い本を買ってくれる彼女が愛しかった。いつも物語を聞かせてもらってるのは僕の方なのに。
僕はそれから毎日寝る前にその本を読んだ。
「あの本読んだ?」
「うん、面白かったよ。」
ありきたりな感想を聞いて笑顔になる彼女。
その笑顔を見てまた僕は本を彼女に買ってあげようと思った。
僕は彼女の好きな本だけに飽き足らず、曲や、映画なんかも知りたいと思った。
曲は僕の好みとは程遠いものだった。
でも、僕は教えられた曲を好きになった。
曲に関しては何度だって聴いた。
彼女はよく鼻歌を歌う子だった。
口ずさむ彼女の声は本当に綺麗だった。
思わず僕も口ずさむ。
僕の下手くそな歌が彼女の歌を汚す。
だから少し控えめな声で僕は歌うんだ。
すると彼女は歌うのを辞めて僕の歌を少し聴く。
そしてまた一緒に口ずさみ始めて目を合わせて笑う。
どんな有名歌手もこれには勝てないな、なんて思いながら彼女のいない時もその曲を聴いた。
映画館が苦手なんてのを彼女に言った時に彼女は「私がいるから大丈夫。」なんて言ってたっけ。
映画が始まると彼女は僕の手を握る。
暗くて顔はよく見えないけど手の握る強さで感情がわかった。
映画が終わった後に面白かったシーンについて語り合う。
「映画なんかよりも君の反応の方が面白かった。」
なんて言ったら怒られてしまいそうだから。
個人的に面白いと思ったシーンについて話す。
「私はあそこが面白かった!」
「え?そこ?(笑)」
この時間を過ごせるだけで2時間も苦手な映画館にいる価値があった。
恋愛映画を見ることが多かったが結局僕たちの恋が1番美しいと感じてより彼女が好きになったっけ。
僕が映画や曲、本の魅力に気づいたのは彼女と別れてからだった。
特に本に関しては週に一度本屋に通って一冊本を買う。
物語を読む。
読んでは傷つく。
どんな物語も僕の胸を痛める。
どんなハッピーエンドもバッドエンドも僕の人生よりは美しい。
でも僕は逃避する。
本を読んでは涙を流す。
曲を聴いてはイヤホンを床に投げつける。
映画館に行っては過呼吸になる。
気づいてしまったんだ。
僕が読むから物語は醜くなる。
僕が聴くから曲は意味のない音の集合体になる。
僕が見るから映画はただの映像になる。
醜いのは僕だった。
「はい、本の話がメインになっちゃったけど。」
「聞かせてくれてありがとう。」
「どういたしまして。」
「本、今どんなものを読んでるの?」
「最近は……とか読んでるかな。」
「やっぱり恋愛ものが多いね。」
「まあね。」
「読んでて苦しいんだよね?」
「あぁ、苦しいよ。でも読まなきゃね。」
「どうして?」
「僕より醜いものを探すため。」
少しの沈黙の後。
「今も空の本は好きなの?」
と相手が聞いてきた。
俺は鞄の中から一冊の本を取り出す。
そして相手の前に置く。
「うん、今でも僕にとって1番大切な本だね。もう読まなくなっちゃったけど。こうして持ち歩いてるんだ。」
青い綺麗な表紙を俺は涙目で見つめた。




