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Fランクおっさん荷物持ち、無自覚ワンパン配信で世界最強に成り上がる  作者: 伊達ジン


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9/13

第9話 『紅蓮の剣』の焦り

 都内の一等地にある高層マンションの最上階。

 Aランクパーティ『紅蓮の剣』の拠点として使われている豪奢なリビングに、硬質なガラスが砕け散る音が響き渡った。


 リーダーのレオが、壁に向かって高級なクリスタルグラスを投げつけたのだ。琥珀色の酒とガラスの破片が、毛足の長いペルシャ絨毯に無惨な染みを作っていく。

 彼の目の前にある大型モニターには、動画配信プラットフォーム『D-Tube』のアナリティクス画面が映し出されていた。

 昨晩の配信のアーカイブ再生数、そして現在のチャンネル登録者の推移。普段ならうなぎ登りに数字を稼ぐはずの彼らのグラフは、無慈悲なほどの下落傾向を示していた。特に、未踏エリアでの撤退以降の離脱率が凄まじい。

 代わりに、SNSやネットのトレンドを独占しているのは、彼らとは全く無関係のハッシュタグだった。


『#謎のワンパンおじさん』

『#深層ボス消滅』

『#最強のイケメン探索者』


 レオは血走った目で、手元のタブレットに表示された一枚の画像を見つめた。

 それは、昨晩深夜に駅前の美容室から出てきた男を、小型ドローンが至近距離で捉えたものだった。ワイルドに立ち上げられた前髪、彫りの深い端正な顔立ち。仕立ての良いジャケットの上からでもわかる、鍛え上げられた分厚い胸板。

 ネット上の特定班は、この男が着ている服の下の傷跡や、横を歩く女性の証言から、ある一つの結論を導き出していた。

 この規格外のイケメンこそが、アビス・ナイトの群れと深層ボスを裏拳一つで消し飛ばした『ワンパンおじさん』であり、その正体は『紅蓮の剣』が昨晩置き去りにした荷物持ちの田中ドクである、と。


「これが、あの薄汚いゴミだと? 冗談じゃない!」


 レオは忌々しげにタブレットをソファに放り投げた。


「あのトロくて臭いおっさんが、あんな顔をしてるわけがない。それに、アビス・ナイトをワンパン? 笑わせるな。俺の魔法剣でも傷一つつけられなかったんだぞ! あのFランクの底辺に、そんな力があるはずがない!」

「ええ、その通りですよ、レオ」


 ソファの奥で優雅に紅茶を飲んでいた聖女マリアが、冷ややかな笑みを浮かべて同意した。彼女の声音は、いつもの配信用の清楚なトーンを保っていた。


「きっと、私たちを妬む他のSランク探索者か、悪意あるギルドが仕組んだ巧妙なヤラセです。あのドローンがたまたま他の高ランク探索者の攻撃を撮っていて、それにあの男が乗っかっているだけ。ドクさんにそんな力があるなら、なぜ今まで私たちの下で泥水をすすっていたんですか?」

「……だよな。そうだ、そうに決まってる。冷静に考えればわかることだ。あいつはただのハズレ枠だ」


 マリアの言葉に、レオは自分に言い聞かせるように何度も頷き、荒い呼吸を整えようとした。


「だが、このまま世間の話題をあいつのフェイク動画に独占させるわけにはいかない。さっきもスポンサーの担当から『君たちの配信、少しパンチが足りないんじゃないか』と嫌味を言われたばかりだ。このままじゃ、Aランクとしての俺たちの立場が危うくなる」


 レオは立ち上がり、ギラギラとした目でマリアを見下ろした。


「あの詐欺師以上の圧倒的な成果を見せてやる。今まで誰もやらなかったような、前代未聞の危険な討伐企画を立てるんだ。そうすれば、世間の目もすぐに俺たちに向くはずだ」


 焦りに駆られた彼の声は上ずり、早口になっていた。


「素晴らしい決断です。私たちの輝きで、あの薄汚い詐欺師の話題など消し炭にしてやりましょう」


 タブレットに映る『最強のイケメン探索者』の文字を忌々しげに睨みつけながら、レオとマリアは虚栄心に満ちた笑みを交わした。


★★★★★★★★★★★


 翌朝。第1ダンジョンの浅層、第5階層。

 木漏れ日のような発光苔の光が差し込む安全なエリアを、二人の探索者がゆっくりとした足取りで歩いていた。


「瞳ちゃん、本当にこんな簡単な荷物持ちで、日当1万円ももらっていいの? なんだか申し訳なくて……。俺、昨日は3000円だったのに」


 ドクは、背負い心地の良い最新型の軽量バックパックの肩紐を握りながら、隣を歩く瞳に尋ねた。

 彼の服装は、昨日の夜のスーツ姿から一転していた。瞳が「マネージャーとしての正装です」と言って買い与えた、黒を基調としたタクティカルシャツに、機能的なカーゴパンツ。余計な装飾のない実用的な装備が、逆に彼の引き締まった肉体とワイルドな顔立ちを強烈に引き立てている。


「当然です。ドクさんは私の専属マネージャーなんですから。それに、良い装備を身につけるのも仕事のうちです。……本当に、見違えるように似合ってますよ」


 瞳は前を向いて歩きながらも、チラチラとドクの横顔を盗み見ては、無意識に頬を染めていた。

 泥と煤を落としただけで、ここまで化けるとは思わなかった。すれ違う他の探索者たち――特に女性探索者――が、例外なくドクを振り返って二度見していく。当の本人は「みんな俺の新しい服を見て、似合ってないって笑ってるのかな」と的外れな心配をして首をすくめているのだが。


 二人の背後には、相変わらず赤いランプを点滅させたギルドの特注ドローンがフワフワと追従している。

 瞳はすでにこのドローンがD-Tubeで生配信を続けていることに気づいていたが、あえて電源を切らなかった。彼女の目的は、ドクをプロデュースし、その真の価値を世界に認めさせることだからだ。


 現在、この平和な浅層エリアをただ歩いているだけの配信に、信じられない人数の視聴者が集まっていた。


【おい、本当にワンパンおじさんが荷物持ちやってるぞww】

【服変わったらマジでモデルじゃん。映画の撮影か何か?】

【あの隣の可愛い女の子が雇い主? どういう関係だよ!】

【昨日深層ボス消し飛ばした男が、浅層で女の子の後ろ歩いてるのシュールすぎる】


「しかし、この階層は平和でいいな。空気も澄んでるし」


 ドクがのんびりと呟いた、その時だった。


 ガサガサッ。


 前方の茂みが激しく揺れ、低い唸り声と共に「何か」が飛び出してきた。


「ッ! 警戒してくださ……」


 瞳が反射的に腰のショートスピアに手をかけたが、飛び出してきたそれを見て、思わず動きを止めた。


「……犬?」


 体長は30センチほど。丸っこいシルエットに、ピンと立った耳、くるんと巻いた尻尾。

 どう見ても、生後50日程度の豆柴の子犬だった。黒みがかった毛並みが艶やかで、短い足で踏ん張る姿がひどく愛らしい。

 しかし、ダンジョン内に普通の動物がいるはずがない。


「瞳ちゃん、あれ、モンスターなのか? こんな可愛いのが?」


 ドクが不思議そうに首を傾げる。

 豆柴のようなそれは、小さな牙を剥き出しにし、「グルルル……!」と一人前に威嚇の声を上げてドクたちを睨みつけていた。


 瞳は即座に自身のレア職スキル『詳細鑑定』を発動した。

 網膜に浮かび上がったステータス情報を見て、彼女は息を呑んだ。


『種族:フェンリル・パピー(神狼の幼体) ランク:A(成長時特S) 危険度:極大』


(嘘でしょ……!? 中層以降のレアモンスターが、なんでこんな浅層にポップしてるの!? 幼体とはいえ、Aランク……私一人じゃどうにもならない!)


「ドクさん、下がって! あれはフェンリルです! 噛まれたらただじゃ済みま……」


 しかし、瞳の制止よりも早く。


「なんだ、迷子か? お腹空いてるのか?」


 ドクは全く警戒する様子もなく、ニコニコとしゃがみ込んでフェンリル・パピーに手を伸ばした。


「グルァッ!」


 侵入者に対する本能的な敵意から、フェンリル・パピーがドクの手を噛み千切ろうと大きく口を開けて飛びかかった。

 しかし、その小さな牙がドクの無防備な指先に触れる数ミリ手前。

 パピーの野生の直感が、究極の警報を鳴らした。


 目前に迫るこの「人間のオス」。

 魔力も闘気も感じさせない、ただの隙だらけの生き物に見える。

 だが、その内側に秘められたもの――それは、本能だけで生きるモンスターにとって、直視することすら許されない絶対的な「死の気配」そのものだった。


「キャイーンッ!?」


 飛びかかっていたフェンリル・パピーは、空中で自ら不自然に身をよじって着地すると、そのままドクの足元にぺたりと這いつくばった。

 そして、短い尻尾をちぎれんばかりに振り、コロンと仰向けになって柔らかい腹を無防備に晒した。

 完全なる服従のポーズだった。


「おっ。なんだ、人懐っこいヤツだな」


 ドクは微笑みながら、パピーの腹をゴロゴロと撫で始めた。


「クゥ〜ン、クゥン……」


 Aランクのレアモンスターであるフェンリル・パピーは、ドクの無骨な手に撫でられ、恐怖と極上の安心感が入り混じったような情けない声を出して甘え始めた。


(……一瞬で、テイムしちゃった……?)


 瞳はスピアを構えたまま、完全にフリーズしていた。

 テイマー系の職業でもない人間が、それも無言の圧力だけで、神狼の幼体を服従させた。いや、服従というよりも、絶対的な強者に対する本能的な平伏だ。


「可愛いな。お前、一人ぼっちなのか。うちのアパート、大家さんに内緒で飼えるかな……そうだ、お前、今日から『コロ』な。コロコロしてるから」


 ドクは、Aランクモンスターに向かって、あまりにも平凡な犬の名前を命名した。


「……ド、ドクさん。それ、フェンリルっていう恐ろしいモンスターで……」

「え? でも、どう見ても豆柴だよ? ほら、コロ、お手」

「ワンッ!」


 コロは、嬉々としてドクの掌に小さな前足を乗せた。

 瞳は深々とため息をつき、頭を抱えた。


「……マネージャーとして、ペットの世話も業務に加えます」


 その一部始終を、背後のドローンは無慈悲に全世界へと配信し続けていた。


【おいwwwwあの犬、Aランクのフェンリルだろwwww】

【フェンリルが豆柴扱いされてるwwww】

【ワンパンおじさんの圧が凄すぎて、フェンリルが自ら腹見せたぞ】

【命名:コロ(神狼)】

【イケメンおじさんと豆柴の戯れ、癒やし動画すぎるだろ……】

【同接1000万超えたぞ! サーバー落ちる!!】


 世界中のギルドや権力者たちが血眼になって探す規格外の男は、のどかな浅層ダンジョンで、新たに得た小さな相棒の腹をただ無心に撫で回していた。

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