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Fランクおっさん荷物持ち、無自覚ワンパン配信で世界最強に成り上がる  作者: 伊達ジン


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10/12

第10話 初めての意図的な配信

 第1ダンジョン、第15階層『迷いの森』エリア。

 薄暗い木立の中に、岩肌に自生する発光苔の淡い光が幻想的な影を作っている。微かに漂う湿った土と植物の匂いが、ここがすでに浅層ではないことを無言で告げていた。

 セーフティエリアに横たわる苔むした切り株に腰を下ろし、瞳は手元のタブレット端末を素早く操作していた。


 ギルドの特注ドローンは、現在彼女のローカル端末に直接紐付けられている。昨日の騒動の後、瞳はドローンのメイン回線を物理的に遮断し、自身のプライベートアカウントを経由させる形で独自の配信チャンネル『ワンパンおじさん(仮)公式』を立ち上げた。

 各国のギルドや特定班が血眼になってドクの正体を探している現状で、あのまま無防備に顔を晒し続けるのは危険すぎる。いくら本人が無自覚とはいえ、面倒事に巻き込まれるのは目に見えている。


「ドクさん、これをつけてください」


 瞳が差し出したのは、黒を基調とした高性能なタクティカルマスクだった。鼻から下を完全に覆い隠し、首元まで防刃・防毒素材で守られている実用品だ。


「ん? これを? なんだか息苦しそうだけど……花粉でも飛んでるのか?」

「顔出しは危険です。昨日の今日で、ドクさんの顔は変に有名になっちゃってますから。面倒なファンや怪しい業者が寄ってこないための、マネージャーからの指示です」

「ああ、なるほど。顔がバレると借金取りとか変な勧誘が来そうだもんな。分かった」


 ドクは全く的外れな納得の仕方をしつつ、素直にマスクを装着した。

 昨日買い揃えた機能的な黒のタクティカルシャツとカーゴパンツ、そして顔の半分を覆うマスク。目元だけが露出することで、彼の深い眼窩と鋭い眼光がより一層際立ち、得体の知れない凄腕の暗殺者か、あるいは特殊部隊のエースのような危険な色気を放っていた。


(……うん、完璧。これなら素顔はバレないし、ミステリアスな魅力も引き立つ)


 瞳は内心でガッツポーズをした。


 足元では、コロと名付けられたフェンリル・パピーが、ドクの頑丈なブーツの紐にじゃれついている。


「クゥ〜ン、クフッ、クンッ」


 Aランクのレアモンスターであるはずの神狼の幼体は、すっかりドクに懐き、仰向けになって自分の短い尻尾を追いかけ回すというアホの子ムーブをかましていた。

 ドクがしゃがんでその喉元を撫でると、コロは目を細め、後脚をパタパタと痙攣させて喜んだ。


「お前、本当に犬みたいだな。ダンジョンの中にいるってことはモンスターなんだろうけど、こんなに人懐っこいと討伐されることもないか。うちに連れて帰っても、大家さんにバレなきゃいいんだけど」


 ドクはのんびりした声で言いながら、コロをひょいと抱き上げた。

 コロはドクの太い腕の中で安心しきったように丸くなり、彼の顎をペロペロと舐めた。鋭い牙を持っているはずなのに、決して肌を傷つけないよう甘噛みすら控えているのがわかる。


「じゃあ、ドクさん。そろそろ配信、始めますね。基本的には今まで通り、私の荷物を持って後ろをついてきてくれればいいですから」

「動画サイトに上げるんだろ? 景色とか撮るなら、俺は端っこを歩いてた方がいいかな。お嬢ちゃんが映った方が見栄えがいいだろうし」

「いえ、ドクさんが主役ですから。堂々と真ん中を歩いてください」


 瞳はドローンのスイッチを入れた。


【配信開始:『ワンパンおじさん公式・Fランク荷物持ちの日常』】


 開始からわずか10秒。

 画面横のコメント欄が、一瞬で文字の濁流と化した。


【キタァァァァァァァ!!】

【待ってたぞおおおおお!】

【公式!? 誰かがアカウント乗っ取って公式化したのか!?】

【おい、おっさんマスク被ってるぞ! ますます怪しい!】

【ていうか服! 服変わってる! ガチのタクティカル装備じゃん!】

【目元だけでもイケメンなのわかるのズルい】

【あの隣の可愛い女の子がマネージャーになったのか!? 羨ましすぎるだろ!】

【ていうか、ワンパンおじさんがフェンリル抱っこしてるwww】

【コロたん可愛いよコロたん】

【Aランクモンスターが完全に愛玩犬になってる……】


 同接数は開始1分で100万人を突破し、なおも異常な速度で上昇を続けていた。

 瞳はタブレットでその数字を確認し、軽く深呼吸をした。


「皆さん、初めまして。ドクさんの専属マネージャーを務めることになりました、瞳です。本日は第1ダンジョン第15階層から、のんびりとした素材採取の様子をお届けします。ドクさんはとてもシャイなので、質問などは私が代わりにお答えしますね」


 プロの配信者のように淀みなく挨拶をする瞳。

 ドクはその後ろで、いつも通り自分の体重を超える大きなバックパックを背負い、首を傾げていた。


「へえ、最近の若い子はすごいな。一人でテレビ局の真似事みたいなことしてるんだ。俺も邪魔しないように静かにしてよう」


 彼らはゆっくりと『迷いの森』の奥へと足を踏み入れた。

 苔むした巨木が立ち並び、鬱蒼とした枝葉がダンジョンの天井からの光を遮っている。視界は悪く、足元には太い木の根が複雑に絡み合っている。この階層から、モンスターのレベルは一段階上がり、CランクやBランクの危険な個体が徘徊し始める。

 通常、駆け出しのDランクである瞳一人では絶対に足を踏み入れない領域だ。

 だが、今の彼女には何の不安もなかった。前を歩く広い背中が、どんな強固な盾よりも頼もしく思えたからだ。


 ガサッ……!


 前方の茂みが大きく揺れ、低い唸り声が響いた。

 太い木をなぎ倒して姿を現したのは、『ブラッド・ベア』。

 体長3メートルを超える巨大な熊の魔物だ。毛皮は血のように赤く染まり、その分厚い筋肉は生半可な剣撃を容易く弾き返す。Bランクに位置づけられる、中層の入り口の門番とも言える凶悪なモンスター。

 血走った小さな目が、侵入者である瞳とドクを捉え、殺意を剥き出しにして咆哮を上げた。


「ガァァァァァッ!!」

「ドクさん、ブラッド・ベアです! Bランク!」


 瞳が形式的に警告を発する。

 しかし、ドクはバックパックの肩紐を握ったまま、特に身構えることもなく、ただぼんやりと熊を見上げた。


「大きいな。あんなのにぶつかられたら、一溜まりもないな」


 ドクの足元を歩いていたコロが、ブラッド・ベアを見て「キャンッ!」と短く吠え、ドクの足の後ろにサッと隠れた。神狼とはいえまだ幼体。本能的に格上の気配に怯えたらしい。


「よしよし、コロ。大丈夫だぞ」


 ドクはしゃがみ込み、コロの頭を撫でて安心させた。

 そして、そのままの体勢で、ゆっくりとブラッド・ベアの方へ視線を向けた。


 ドクに敵意はない。ただ「あっちに行かないかな」と思っただけだ。

 だが。

 その無自覚な視線の動き、呼吸、そして「あっちへ行け」というわずかな意思のベクトル。

 それらがトリガーとなり、彼の中に圧縮されている莫大な『ストック』のエネルギーが、ほんの数滴、漏れ出した。


 空間が、歪んだ。


 物理的な衝撃波ではない。極限まで濃縮された「死の気配」そのものが、目に見えない重圧となってブラッド・ベアの脳髄を直接殴りつけたのだ。周囲の木々の葉が、風もないのに一斉にざわめき、地面の小石が微かに振動する。


「ガ、ア……?」


 咆哮を上げて飛びかかろうとしていたブラッド・ベアの動きが、空中でピタリと止まった。

 赤い小さな目が見開かれ、その眼球が小刻みに震え始める。

 野生の本能が、理解不能な恐怖を告げていた。

 目の前にいるのは人間ではない。触れれば存在そのものが消滅する、底なしの深淵だ。


 ヒュッ、とブラッド・ベアの喉の奥から情けない音が漏れた。

 次の瞬間。

 3メートルを超える巨体が、糸の切れた操り人形のように、ドスンッ!と地面に倒れ伏した。

 白目を剥き、口から泡を吹き、四肢を痙攣させている。

 完全に気絶していた。


「……え?」


 ドクは目を丸くした。


「なんか、急に倒れたぞ。病気かな?」


 ドクの足元に隠れていたコロが、ブラッド・ベアが倒れたのを見て、トコトコと歩み出た。

 そして、気絶している巨体の鼻先に近づき、匂いを嗅ぐと、おもむろにその大きな頭の上にポンと前足を乗せた。


「ワゥッ!」


『自分が倒した』とでも言わんばかりの、見事なドヤ顔だった。


 短い尻尾がピンと立ち、得意げに胸を張っている。


 ドクは呆れたように笑い、立ち上がった。


「お前が倒したわけじゃないだろ、コロ。……それにしても、最近のダンジョンは空気が悪いのか? モンスターがよく立ちくらみで倒れるな」


【立ちくらみwwww】

【Bランクのブラッド・ベアが立ちくらみで白目剥くかよwww】

【今、絶対覇王色の覇気みたいなの出たぞ】

【ワンパンどころか、ただ見ただけじゃねえか!!】

【もう歩く天災だろこれ】

【コロたんのドヤ顔最高すぎるwwww】

【虎の威を借るフェンリル】

【ワンパンおじさん改め、ガン飛ばしおじさん】

【ドク「空気が悪いのか(すっとぼけ)」】


 コメント欄は爆発的な勢いで流れ、同接数は瞬く間に500万を突破した。

 瞳はタブレットの画面を見ながら、小さく息を吐いた。

 彼女の『鑑定』の眼には、ドクが視線を向けた瞬間に放出された、致死量のおよそ数百倍に相当する「威圧の概念」がはっきりと見えていた。あれを直接浴びて、気絶だけで済んだブラッド・ベアはむしろ頑丈な方だ。


「ドクさん、モンスターが倒れている間に、早く通り抜けちゃいましょう」

「ああ、そうだな。寝た子を起こすのは可哀想だし」


 ドクはバックパックを揺らしながら、気絶したブラッド・ベアの横を静かに通り過ぎた。

 コロも「キャンキャン」と鳴きながら、ドクの足元を嬉しそうに跳ね回ってついていく。


 その後も、配信の光景は常軌を逸していた。

 第15階層から第18階層へと下っていく道中、彼らの前に立ちはだかるモンスターたちは、例外なく同じ末路を辿った。

 木の上から奇襲をかけようとしたCランクのキラー・エイプは、頭上から気配を消して飛び降りてきたものの、ドクが何気なく上を見上げた瞬間に空中で痙攣を起こし、ポロポロと木の実のように落ちて泡を吹いた。

 群れで襲いかかってきたDランクのポイズン・ウルフたちは、ドクが「しっ、あっち行け」と手を振っただけで、見えない壁に激突したように撥ね退けられ、一斉にキャンキャンと悲鳴を上げて一目散に逃げ出した。

 その度に、コロが倒れたモンスターの上に乗り、短い足で踏ん張ってドヤ顔を披露する。


 ドクはひたすら、

「今日はみんな大人しいな」

「夏バテかな?」

「この辺のモンスター、人に慣れてるんだね」

 と、的外れな感想を零しながら、ただ黙々と瞳の荷物を持って歩き続けている。


【夏バテwwww】

【人が歩いてるだけで周りの魔物が全部気絶していくゲームのバグ映像】

【もう戦闘ですらない。ただの散歩】

【このおっさん、自分のヤバさにマジで気づいてないの!?】

【謙虚を通り越して天然のサイコパスだろこれ】

【コロのドヤ顔集め動画誰か作ってくれ】


「……本当に、この人は」


 瞳はドクの大きな背中を見つめながら、呆れと、そして抑えきれない高揚感を覚えていた。

 世界中の誰もが震え上がるような圧倒的な力を持ちながら、彼はただ「日雇いの荷物持ち」としての職務を忠実にこなしているだけだ。


(この底知れないお人好しを、私がどこまでプロデュースできるか)


 ドローンの赤いランプが、二人の奇妙な散歩風景を世界へと発信し続けている。


「ドクさん、もう少しで第19階層の採掘ポイントです。そこまで行ったら休憩にしましょう」

「了解。コロ、お前も疲れてないか?」

「クゥン!」


 コロがドクの足首にすり寄り、ゴロンと仰向けになって腹を見せた。

 ドクが荷物を背負ったまましゃがみ込み、その柔らかい腹を撫で回す。


「よしよし、いい子だな」


 世界で最も危険な二つの存在が織りなす、あまりにも平和で無自覚なイチャイチャ配信。ドローンの赤いランプが点滅を続ける中、彼らののどかな散歩はどこまでも続いていく。

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