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Fランクおっさん荷物持ち、無自覚ワンパン配信で世界最強に成り上がる  作者: 伊達ジン


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11/11

第11話 ブラジルからの熱風

 第1ダンジョン、第19階層。


 安全地帯として知られる岩洞の奥は、淡い青光を放つ鉱石群に囲まれ、ひんやりとした静寂に包まれていた。先ほどまで通過してきた鬱蒼とした『迷いの森』エリアとは打って変わって、空気は澄み、モンスターの気配も完全に途絶えている。


「ふぅ、着いたな。ここで少し休もうか」


 ドクは自分の体重を優に超えるバックパックを、全く重さを感じさせない動作で地面に下ろした。岩肌に腰を下ろし、支給品のペットボトルの水を喉に流し込む。喉仏が上下し、冷たい水が疲れた身体に染み渡っていく。


 その足元では、小さな黒い毛玉が忙しなく動き回っていた。


「クゥン、クンッ!」


 先ほどテイムしたばかりのフェンリル・パピー、コロだ。コロはドクの頑丈なブーツの踵を短い前足でチョイチョイと叩き、ドクが「ん?」と視線を落とすと、サッと姿勢を正して「何もしてませんよ」と言わんばかりにちょこんとお座りをする。


 ドクが苦笑して視線を戻し、再び立ち上がって荷物の整理を始めようと一歩踏み出した瞬間、コロは今度こそとばかりにブーツの靴紐に飛びついた。しかし、ドクの足の動きに巻き込まれ、短い手足をバタバタさせながら硬い岩盤の上をツルツルと滑っていく。


 そのままコロンと仰向けに転がったコロは、自分の不甲斐なさに腹を立てたのか、「キャンッ!」と一声吠えて自身の短い尻尾をぐるぐると追いかけ回し始めた。


「お前、本当に元気だな。疲れないのか?」


 ドクはしゃがみ込み、ぐるぐる回って目を回しそうになっているコロの腹をそっと撫でた。コロはすぐにへそ天になり、ドクの手のひらに小さな牙で甘噛みをしてじゃれつく。Aランクのレアモンスターだというのに、その仕草は完全に飼い主に甘える子犬のそれだった。


「ドクさん、あまり遊びすぎないでくださいよ。ただでさえ今、大変なことになってるんですから」


 少し離れた岩肌に寄りかかり、タブレット端末を睨みつけていた瞳が、深々とため息をついた。その表情には、疲労よりも一種の興奮と戸惑いが入り混じっている。


「大変? モンスターなら、この辺りには全然いないみたいだけど。さっきのカエルみたいなやつも、急にひっくり返って寝ちゃったし」

「そうじゃなくて、これです。これ」


 瞳がタブレットの画面をドクに向ける。そこには、赤いランプを点滅させて彼らの周囲を飛び回っているドローンが映し出している、配信のリアルタイムデータが表示されていた。


【同接数:850万人】


 開始から数時間。数字は下がるどころか、雪だるま式に膨れ上がり続けていた。コメント欄はもはや文字の羅列として認識できないほどの速度で、滝のように流れている。


「850万……? 瞳ちゃん、これって多いのか?」


 ドクがきょとんとして尋ねる。彼の感覚は、まだハローワークで日雇いの仕事を探していた今朝のままだ。


「多いなんてもんじゃありません。世界トップクラスのSランクパーティが、命がけで未踏エリアのボスに挑む時の数字すら超えてます。ただ、おじさんと犬が散歩してるだけの映像で、ですよ」

「へえ、みんな暇なんだな。でも、俺の顔は映ってないんだろ?」

「はい。マスクと前髪のおかげで、確実な特定は避けられています。でも、各国のギルドや特定班が血眼になってこのダンジョンの位置を割り出そうとしているはずです。長居は無用ですね」


 瞳の言葉に、ドクは「そうか、じゃあ早く仕事終わらせないとな」と呑気に頷き、ポケットから干し肉を取り出してコロの鼻先にちらつかせた。コロが短い足で器用に立ち上がり、干し肉に噛み付く。


 その平和すぎる光景を、赤いランプを点滅させた特注ドローンが、無慈悲なほど克明に全世界へと配信し続けていた。


 瞳はタブレットから視線を外し、干し肉をかじらせているドクの背中を見つめた。


(……これだけ世界中が注目してるなら、都合がいい。どこの国のギルドも、Sランクの連中も、みんな血眼になってこの人を探してる。でも、ドクさんの横に立てるのは私だけ。私がこの人の『唯一のマネージャー』だってこと、ここでしっかり見せつけてやる)


 瞳はギュッとタブレットを握りしめ、口元を力強く引き締めた。


★★★★★★★★★★★


 その頃、第1ダンジョンの第10階層。


 浅層と中層の境界線を、一つの影が尋常ではない速度で駆け抜けていた。


「……遅い」


 艶やかなダークブラウンの髪をなびかせた女が、赤い唇から短く息を吐く。


 彼女の行く手を阻むように、Cランクのケーブ・マンティスが三体、天井の暗がりから奇襲を仕掛けてきた。しかし、女は歩みを止めない。


 腰に差した豪奢な剣を抜くことすら面倒だった。彼女は走りながら、右手の指先を軽く弾く。


 パァンッ!


 乾いた破裂音が三つ重なる。放たれた極小の魔力の弾丸が、マンティスたちの硬質な頭部を正確に貫き、緑色の体液を撒き散らして絶命させた。彼らの巨体が地面に落ちる頃には、女の姿はすでに数十メートル先へと消えている。


 ブラジル出身のSランク魔法剣士、ルシア・カルヴァーリョ。


 数時間前まで地球の裏側にいた彼女は、深夜に偶然目にした一つの動画に釘付けになり、すぐさまギルドの自家用ジェットを手配して日本へと飛んできた。


 動画に映っていたのは、Fランクの荷物持ちだという男が、ただ腕を振っただけで深層のアンデッドとボスを消滅させる光景。画質は荒く、男の顔は泥にまみれてよく見えなかった。


 だが、そんなものは関係なかった。


 数多の死線をくぐり抜けてきたルシアの野性の勘が、画面越しに伝わってくるその『圧倒的な力の残滓』に激しく反応したのだ。


(間違いない。あれは『本物』よ)


 ルシアは薄暗い坑道を駆け下りながら、舌なめずりをした。


 彼女は、自身の地位や名声だけでふんぞり返る高ランク探索者を心の底から軽蔑している。彼女が求めているのは、自身の魂を焦がすほどの絶対的な『強者』。自らの全力の斬撃を受け止めてくれる、底なしの器。


 現在の時刻、そして現在進行形で行われている『ワンパンおじさん公式』の配信風景。背景の岩肌と植生から、ここが日本の第1ダンジョンであることは特定済みだった。


 ルシアの研ぎ澄まされた魔力探知は、階層の奥底から微かに漏れ出している、周囲のモンスターを気絶させるほどの異質な圧力を正確に捉えていた。


「待っててね、私のヒーロー」


 Bランクのブラッド・ベアが咆哮を上げて立ち塞がるが、ルシアは速度を緩めず、すれ違いざまに手刀でその巨大な首の骨を正確にへし折った。


 第15階層、第16階層、第17階層。


 彼女は一切の迷いなく、最短距離で迷宮を真っ直ぐに突き進んでいく。


★★★★★★★★★★★


 第19階層。


 ドクが休憩を終えて荷物を背負い直し、「そろそろ行くか」と立ち上がった時だった。


「……ッ!」


 瞳が弾かれたように顔を上げ、手にしたショートスピアを強く握りしめた。彼女の『詳細鑑定』の眼が、上方から急速に接近してくる強大な魔力反応を捉えたのだ。


「ドクさん、何か来ます! 凄い速度……それに、この魔力は異常です!」


 瞳の警告とほぼ同時に、ドクの足元で干し肉の残りを舐めていたコロが「グルルル……!」と喉を鳴らし、全身の毛を逆立てた。だが、相手の格が違いすぎるのを本能で悟ったのか、すぐにドクのブーツの後ろに隠れてプルプルと震え始めた。


「モンスターか?」


 ドクは特に身構えることもなく、坑道の奥へと視線を向けた。


 数秒後。


 静寂を破って、コツ、コツという硬質な足音が響き始めた。急いで駆け降りてきたはずなのに、その足音には一切の乱れがない。


 暗がりから姿を現したのは、モンスターではなかった。


 豊満なプロポーションを包む、真紅と黒を基調とした機能的な軽装鎧。エキゾチックな美貌に、自信と情熱に満ちた太陽のような笑みを浮かべた女。


「見つけた」


 ルシア・カルヴァーリョだった。


 彼女が足を踏み入れた瞬間、第19階層の空気が物理的な重さを持ったように錯覚した。Sランク探索者が無意識に放つ、圧倒的な覇気。並の探索者であれば、その場に立っていることすら困難になるほどの強烈なプレッシャーだ。


「誰ですか。ここは現在配信中です。これ以上近づくなら……」


 瞳がスピアを構え、ドクを庇うように前に出る。Dランクの彼女にとって、Sランクのプレッシャーは立っているだけで息が詰まるほどの負荷だが、彼女は気力でそれを跳ね除け、鋭い視線を向けた。


 しかし、ルシアは瞳の存在など全く眼中にないように、彼女の横を素通りした。


 ルシアの視線は、後方に立つドク一人に完全に釘付けになっていた。


(……なんてこと)


 ルシアは歩みを進めながら、背筋に強烈な悪寒と、それ以上の歓喜が走るのを感じていた。


 映像越しでは分からなかった。目の前に立つこの男から発せられているのは、魔力でも闘気でもない。致死量を遥かに超える、濃密に圧縮された『死の気配』そのものだ。


 それが、無造作に立つ男の周囲に、陽炎のように揺らめいている。

 触れれば確実に死ぬ。細胞の一つ一つがそう警鐘を鳴らしているのに、ルシアの足は止まらなかった。


「えっと……道に迷ったんですか?」


 ドクは、ズンズンと近づいてくるグラマラスな美女に対し、完全に間の抜けた声を出した。


 プレッシャーなど全く感じていない。彼にとっては、道端で道を聞いてきた外国人観光客程度の認識だ。


 ルシアはドクの目の前まで歩み寄り、立ち止まった。


 身長はドクの方が少し高い。ルシアは熱を帯びた瞳で見上げ、そして、躊躇うことなく手を伸ばした。


「ちょっと、何を……!」


 瞳が制止するより早く、ルシアのしなやかな指先が、ドクの顔の下半分を覆っていたタクティカルマスクの縁に触れた。


 そのまま、ゆっくりとマスクを顎の下まで引き下げる。


 露わになったのは、綺麗に剃り上げられた無骨な顎のラインと、深く彫りのある端正な顔立ち。長年の過酷な労働が刻み込んだ、ワイルドで危険な色気を持つ大人の男の素顔。


 ルシアの息が、わずかに止まった。


 泥にまみれた『冴えないおっさん』など、そこにはいなかった。圧倒的な力と、それを誇示しない謙虚さ。そして、直視すれば火傷しそうなほどの男の色気。


 ルシアの赤い唇が、歓喜に震えて弧を描く。


「……Bingoビンゴ、ね」


 ルシアは熱に浮かされたような声で囁くと、そのままドクの首に腕を絡ませようと身を乗り出した。


「ちょ、え!? な、何ですか!?」


 ドクが慌てて身を引こうとするが、ルシアの力は強く、逃がさない。


 足元では、コロが「ワフッ!?」と驚いてドクの脚にしがみついている。


「あなた、名前は?」

「た、田中です。田中ドク……」

「ドク。私はルシア。ブラジルから、あなたに会うためだけに来たの」


 ルシアはドクの胸板に手を這わせながら、至近距離で見つめ上げた。


「あなたのその力、私の全部で受け止めてあげる。だから……私を満足させてみて?」

「……はい?」


 ドクは完全に状況が理解できず、フリーズした。


 その後ろでは、赤いランプを点滅させたドローンが、突然のSランク美女の乱入と密着劇を850万人の視聴者に向けて克明に映し出している。


「ちょっと! 離れてください! ドクさんは私の専属です!」


 我に返った瞳が、顔を真っ赤にしてルシアとドクの間に割って入ろうとする。薄暗いダンジョンの片隅に、彼女の悲痛な抗議の声が虚しく響き渡った。

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