第8話 専属マネージャー誕生
夕刻、第1ダンジョンの南口ゲート付近。
仕事終わりの『鉄の牙』のリーダーが、ドクに向けてクシャクシャの千円札を3枚投げつけた。
「ほらよ。落盤でサボった分、約束通り半額の3000円だ。ありがたく思えよな」
ドクは地面に落ちた札を丁寧に拾い集め、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。また何かありましたら、よろしくお願いします」
瞳はその光景を少し離れた場所から見て、奥歯を強く噛み締めた。
深層の化け物を消し飛ばし、地形すら変える男が、三流探索者の理不尽なピンハネに本心から感謝している。その理解不能な光景と、彼の使い込まれた背負子や節くれだった手を見るたびに、瞳はやり場のない苛立ちを覚えた。
大手ギルドの令嬢として、才能をひけらかし他者を見下す傲慢な「強者」たちを数え切れないほど見てきた。だからこそ、これほどの力と可能性を持ちながら、一切の驕りもなく泥水をすすり続けるこの男を、どうしても放っておけなかった。
「田中さん」
『鉄の牙』が去った後、瞳は足早にドクに歩み寄った。
「あ、お嬢ちゃん。怪我の具合は大丈夫だったか?」
「はい、おかげさまで。……あの、少しお時間いいですか。近くの喫茶店で」
駅前の古びた喫茶店。
ドクはソワソワと落ち着かない様子で、おしぼりで何度も手を拭いていた。運ばれてきたアイスコーヒーのストローの袋を開ける手つきすら、どこか遠慮がちだ。彼の背後には、未だに赤いランプを点滅させたドローンがフワフワと浮いている。
「えっと、本当に俺がこんなとこに座ってていいのかな。泥で椅子が汚れちゃうし……コーヒー代、俺が払うよ?」
「私が誘ったんですから、気にしないでください。それより、そのドローン」
「あぁ、これ。電源の切り方が分からなくて。ギルドの裏口に返しに行こうと思ってたんだけど、時間外で閉まっててさ。仕方ないから明日また持っていくよ」
(この人、本当に何も分かってない……)
瞳はアイスティーのグラスに触れながら、正面の男を観察した。
『詳細鑑定』を使わなくてもわかる。彼の自己評価は、地の底を這っている。
「田中さん。単刀直入に言います。私を、あなたの専属マネージャーにしてください」
「……え?」
ドクは持っていたコーヒーカップを宙で止めた。
「専属って……俺の? 俺、ただの荷物持ちだぞ? Fランクの。お嬢ちゃんみたいに若い子が、なんで俺なんかの」
「あなたが自分の価値を分かっていないからです。あの落盤……いえ、あなたが腕を振って消し飛ばしたあの力。あんなものを隠したまま、日当3000円で搾取され続けるなんて間違っています」
ドクはきょとんとした顔をした後、困ったように笑った。
「お嬢ちゃん、暗かったから見間違えたんだよ。俺みたいなオッサンに、そんな力があるわけないじゃないか。俺のステータス、力も魔力も一桁だぞ? 鑑定士なら分かるだろ?」
瞳は息を呑んだ。
(この人は、謙遜しているんじゃない。本気で『自分は弱い』と信じ込んでいるんだ)
10年以上の冷遇が、彼の精神構造に「底辺の荷物持ち」という強固な檻を作ってしまっている。今ここで彼が世界最強だと説得したところで、絶対に信じないだろう。
「……そうですね。私が見間違えていたのかもしれません」
瞳は戦略を変えた。
「でも、私がカマキリに襲われていた時、あなたは逃げずに助けに来てくれましたよね。石を投げて気を逸らしてくれた。あの行動だけで、私にとっては十分すぎるほど価値があります。だから、私と専属契約を結んでください。私があなたを、世界一の探索者にプロデュースします!」
「プロデュースって……俺、明日の日雇いの仕事探さなきゃいけないんだけど」
「日当、いくらもらってますか?」
「え? いや、今日は3000円だけど……普段は、調子が良くて5000円くらいかな」
「私が1日1万円払います! 私がマネージャーとして仕事を取ってきますから、あなたは私の言う通りに動いてくれればいいです。危険手当もつけます」
「い、いちまん!?」
ドクがすっとんきょうな声を上げた。
「ダメですか? 私、どうしても田中さんがいいんです」
瞳が少しだけ上目遣いで見つめると、ドクは明らかに狼狽した。
「だ、ダメじゃないけど……俺なんかにそんな大金。悪いよ。でも、家賃がヤバいのは確かで……いや、でも……」
ぶつぶつと葛藤するドクを見て、瞳は確信した。この男は、お人好しすぎる。押し切れる。
「決まりですね。では、マネージャーとしての最初の業務です。ついてきてください」
「えっ、ちょ、どこに!?」
瞳がドクを連れて行ったのは、駅前のこぎれいな美容室だった。
「いらっしゃいませー……えっと」
泥だらけの作業着姿のドクを見て、美容師が露骨に戸惑う。
「シャンプーとカット、あとお髭も綺麗にお願いします。支払いは私で。一番似合う感じにしてください。あ、頭皮の汚れもしっかり落としてくださいね」
「いやいやいや! お嬢ちゃん、俺みたいなオッサンがこんなお洒落な店……!」
「仕事です。探索者は第一印象が命ですから」
瞳は抵抗するドクを無理やりシャンプー台へ押し込んだ。
待つこと一時間。
雑誌を読んでいた瞳は、「お待たせしました」という美容師の声に顔を上げた。
そして、絶句した。
「……あー、なんだか頭がスースーして落ち着かないな。首の後ろが寒いや」
照れくさそうに後頭部を掻きながら歩いてきた男。
伸び放題だった無精髭は綺麗に剃り落とされ、目にかかっていた野暮ったい前髪は短くワイルドに立ち上げられている。
泥と煤に隠されていた顔立ちは、驚くほど端正だった。深く彫りのある目鼻立ちはエキゾチックな色気を漂わせ、長年の過酷な労働で培われた鋭い眼光が、一種の危険な魅力を放っている。
着古したジャージの下に隠された、無駄のない彫刻のような筋肉が、そのワイルドな美貌をさらに際立たせていた。
(嘘……でしょ?)
瞳は心臓が跳ねるのを感じた。
街を歩けば、十人中十人が振り返るような圧倒的な伊達男。それが、さっきまで日当3000円でペコペコと頭を下げていたFランクの荷物持ちの真の姿だった。
その衝撃は、瞳だけのものではなかった。
ドクの背後を浮遊し、美容室の鏡越しにその変貌ぶりを映し出していたドローン。
その向こう側――D-Tubeのコメント欄は、爆発的な勢いで滝のように流れ始めていた。
【ファッ!?】
【おい嘘だろ、あのおっさんか!?】
【映画俳優じゃねえか!!】
【あのドブネズミみたいなおっさんが、こんなイケメンだったのかよ……】
【やばい、妊娠した(男)】
【このルックスであのワンパン火力とか、世界がバグるぞ】
【横にいる女の子誰!? なんでワンパンおじさんと一緒にいるの!?】
そんなネット上の大狂乱など知る由もなく、ドクは申し訳なさそうに瞳を見た。
「ごめんね、高いお金払わせちゃって。俺みたいな底辺には、こういうの似合わないって分かってるんだけど……」
本気で恥ずかしそうに肩をすくめるドクに、瞳は思わず顔を赤らめた。
「……似合ってますよ。すごく」
「そう? お世辞でも嬉しいよ。ありがとう、えっと……」
「瞳です。渡部瞳」
「ありがとう、瞳ちゃん」
屈託なく笑うその破壊力に、瞳は慌てて視線を逸らした。
(この人、自分の価値を分かってなさすぎる。このまま放っておいたら、また変な奴らに利用されるだけだ)
瞳は両手で自分の頬を叩き、気合を入れ直した。
「よし。次は服屋に行きますよ! そのボロボロのジャージも買い替えます!」
「えぇ!? 服まで!? いや、流石にそれは……」
「経費です! 私がマネージャーなんですから、私の言うことを聞いてください!」
「はい……」
美容室を出て向かったのは、駅ビルに入っている少し落ち着いた雰囲気のメンズセレクトショップだった。
ドクは入り口に並んだマネキンが着ている服の値札をチラリと見て、文字通り青ざめた。
「瞳ちゃん、ちょっと待って。ジャケット一着で、俺の家賃より高いんだけど……」
「気にしないでください。私が選びますから」
瞳はドクの肩を押し、店内へ足を踏み入れた。
彼女は店員に軽く会釈をすると、慣れた手つきで店内の服を物色し始めた。ドクのワイルドな容貌と、鍛え上げられた分厚い胸板。それを最大限に活かしつつ、探索者としての機能性も損なわないスタイル。
「これと、これ。あとこのパンツも試着してみてください」
「えっ、こんなに? 俺、こういうの着たことないから……」
「いいから着てください!」
数分後、試着室のカーテンが開いた。
「……なんか、窮屈だなぁ」
そう言いながら出てきたドクを見て、瞳は三度目の絶句を味わうことになった。
仕立ての良い黒のテーラードジャケットに、ダークグレーの細身のパンツ。インナーにはシンプルなVネックの白カットソー。
ただそれだけなのに、ドクが着るとまるで海外の一流ファッション誌の表紙から抜け出してきたかのようだった。ジャケットの肩幅は彼の広い肩にぴったりと合い、薄手のカットソー越しに大胸筋の隆起がはっきりとわかる。スラックスは長く引き締まった脚のラインを強調していた。何より、彼の体に刻まれた無数の傷跡や、長年の労働で培われた独特の凄みのようなものが、上品な服を着ることで逆に危険な色気となって溢れ出していた。
「……あの、お客様。大変よくお似合いです。モデルの方ですか?」
先ほどまで少し怪訝な顔をしていた女性店員が、頬を赤らめてすり寄ってくる。
「モデル!? いやいや、俺ただの荷物持ちで……」
ドクが慌てて否定しようとするのを、瞳が遮った。
「これでお願いします。着たまま帰ります」
店の外に出ると、すれ違う人々の視線が次々とドクに吸い寄せられていくのがわかった。
しかし当のドクは、自分の服が汚れないかそればかりを気にして、首をすくめて歩いている。その後ろを、赤いランプを点滅させたドローンが律儀についてきていた。
【おい、アパレルショップ出たぞ】
【服着替えたらマジで手がつけられないイケメンになったんだが】
【これ本当にあのワンパンおじさん? CGじゃなくて?】
【隣の女の子、絶対狙ってるだろ。プロデュースの手際が良すぎる】
【最強でイケメンで謙虚とか、属性盛りすぎだろ……】
ドクの大きな背中を押しながら、瞳は口元を引き締めた。
(この無自覚な底辺のお人好しを、私が必ず世界の頂点に立たせてみせる。絶対に)
ドローンの向こう側で熱狂し続ける数百万の視線など知る由もなく、奇妙な二人組は夜の街へと歩き出していた。




