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Fランクおっさん荷物持ち、無自覚ワンパン配信で世界最強に成り上がる  作者: 伊達ジン


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第50話 配信は切り忘れないように

 アマゾン川流域の第7ダンジョンから日本への帰還。

 熱帯特有のまとわりつくような湿気が、まるで遠い幻だったかのように思える。帰国後の八王子は、穏やかな初夏の夜風に包まれていた。


「ルシアさんの剣、刃こぼれも歪みもありません。念のため、乾燥剤と一緒にケースにしまっておきますね。エレナさんの杖も、魔力伝導率に影響が出ないように触媒の細かな汚れは落としておきました」


 探索者協会八王子支部のロビー。

 ドクは巨大なバックパックを床に置き、その横でヒロインたちの装備を丁寧にメンテナンスしては返却していた。

 数日に及ぶ過酷な未踏エリアの探索。それも、世界を揺るがすほどの莫大なエネルギーを秘めた巨大クリスタルが鎮座する最深部での出来事を経てなお、彼の動きには一切の疲労の色が見えなかった。

 それどころか、自分自身の体重を優に超える全員分の野営道具や戦利品を背負い続けたまま、他のメンバーの体調や装備の摩耗具合を誰よりも早く察知し、的確にケアを施している。


「ヴィットーリアさん、少し肩が張ってませんか? 飛行機での長時間の移動もありましたし、あとで温かいお茶でも淹れますよ。アリサラちゃんも、罠の解除で神経使っただろうから、今日はゆっくり休んで」

「ありがとう、ドクさん。でも、一番休むべきなのはあなたですよ」


 ヴィットーリアが慈愛に満ちた微笑みで、ドクのごつい手をそっと包み込む。

 その光景に、周囲の中堅探索者やギルド職員たちが畏怖と羨望の入り混じった視線を向けていた。世界最高峰のSランクたちが、ただの荷物持ちに対して全幅の信頼を寄せ、安らぎの表情を見せているのだから無理もない。


「さて、それじゃあ事後処理も終わりましたし、今日はこれで一旦解散に……」


 瞳がタブレットを抱え、マネージャーとしての業務連絡を締めくくろうとした、その時だった。


「――待て待て待てぇ!」


 解散の空気を物理的にぶち破るような大声と共に、タンクトップ姿のクロエがドクの首根っこを背後からガシッと掴んだ。


「アマゾンのジャングルじゃ、まともな肉なんて食えなかったからな! アタシは今、猛烈に日本の美味い肉が食いてえんだよ! アタシの奢りだ! デートするぞタナカ!」

「えっ、ちょ、クロエさん!? 荷物、まだ片付けて……」

「ちょっと野蛮なインファイター! 抜け駆けは許さないわよ!」


 ルシアが抗議の声を上げるが、クロエはドクを軽々と小脇に抱え上げると、凄まじい脚力で夜の八王子の街へと風のように消えていった。


★★★★★★★★★★★


「――っっしゃあああ! 食った食った! やっぱり肉は日本の霜降りに限るぜ!」


 駅前の大通りに面した高級焼肉店。貸し切りにされた奥の座敷席で、クロエが豪快にジョッキのビールを干し、満足げに引き締まった腹を叩いた。テーブルの上には、数え切れないほどの空の肉皿とジョッキが、すでにタワーのように積み上げられている。


「クロエさん、本当によく食べるね。見てて気持ちいいくらいだよ」


 向かいの席で、ドクは二本のトングを器用に使い分けながら、目を細めて笑った。美沙の工房で仕立て直してもらった黒のテーラードジャケットはハンガーに掛け、今はラフな黒いTシャツ一枚になっている。


 ドクの視線は、網の上の肉から一時も離れていなかった。

 網の温度差を見極め、脂の多いホルモンは端の弱火でじっくりと火を通し、極上のハラミは中央の強火で表面をサッと焼き固めて肉汁を閉じ込める。クロエの食べるペースに完璧に合わせ、最も美味しい瞬間を逃さずに彼女の取り皿へと提供していく。長年の過酷な野営で培われた、仲間を生かすための裏方としての技術が、こんな平和な場所でも遺憾なく発揮されていた。


「おいタナカ、なんで自分の肉焼いてんだよ。アタシが焼いてやるって言ってんだろ!」


 クロエはドクの手から強引にトングを奪い取ると、サシの入った極上肉をドカドカと網の上に乗せ始めた。無造作な焼き方で火柱が上がり、香ばしい煙が立ち込める。


「ほら、口開けろ! アーンだ、アーン!」

「えっ、ちょ、クロエさん!? 熱い、それ絶対まだ熱いって!」


 焼きたての肉を無理やり口に押し込まれそうになり、ドクは仰け反って抵抗する。しかし、ヨーロッパ最強のSランク獣闘士の力に勝てるはずもなく、結局は大人しく熱々の肉を頬張る羽目になった。


「……美味い」

「だろぉ!? ハハハッ、アンタほんっと面白い男だな!」


 クロエは心底楽しそうに笑い、立ち上がるとドクの隣にドスンと座り直した。そして、彼女のグラマラスでしなやかな身体を遠慮なくドクの太い腕に押し付けてくる。

 力加減を知らない彼女のスキンシップは、並の探索者なら骨が軋むほどの圧力を伴う。しかし、ドクの『万物収納』は彼女の無自覚な運動エネルギーを全て底なし沼のように吸い込み、ただの「心地よい温もり」として彼に伝えていた。


「なあタナカ。アマゾンでのお前、最高にイカしてたぜ。あのバカでかいクリスタルのエネルギーを丸ごと呑み込んだ時は、流石のアタシも痺れたね。やっぱりアンタは、アタシの運命の相手だ」


 クロエは熱を帯びた野性的な瞳でドクを見上げ、ふくよかな唇を近づけてくる。アルコールと、彼女自身の甘い香りがドクの鼻腔をくすぐった。


「運命って言われても……俺はただ、ちょっと空気が悪かったから換気しただけで……」

「そういう底知れないところがたまんねえんだよ!」


 クロエがドクの首に腕を回そうとした、その時だった。


「ちょっと野蛮なインファイターさん。抜け駆けは感心しないわね」


 障子がスパーンと開き、冷気と共にルシアが姿を現した。美しい赤髪を揺らし、腕を組んだ彼女の後ろには、エレナ、ヴィットーリア、アリサラ、美沙、そしてタブレットを胸に抱きしめた瞳がズラリと並んでいる。


「チッ、嗅ぎつけやがったか」


 クロエは舌打ちをしたが、全く悪びれる様子はない。


「ドクさん! 無事ですか!? 変なことされてませんか!?」


 瞳が駆け寄り、ドクの無事を確認するようにペタペタと身体を触る。


「ああ、平気だよ。ただ、クロエさんがたくさん肉を焼いてくれて……。みんなもまだお腹空いてるのか? ここ、すごく美味しいよ。今、店員さんに言って追加の座布団と取り皿をもらってくるから」


 この期に及んで自分の身の心配よりも、後から来た者たちの席の確保に動こうとするドク。


「ドク。あなたの胃腸は強靭だけれど、深夜に脂質の多い肉を大量に摂取するのは推奨できないわ。私が胃粘膜を保護するバフをかけてあげる」


 エレナが真面目な顔で白銀の杖を構える。


「あらあら。それなら、私が直接胃の負担を和らげて差し上げますわよ。ドクさん、こちらへ」


 ヴィットーリアが慈愛に満ちた微笑みで両手を広げる。


「ふふっ。相変わらず賑やかじゃん」


 アリサラが音もなくドクの背後に回り込み、彼の肩にピョンと飛び乗った。「ねえおじさん、私もお肉食べたいな。あーんして?」


「まったく、どいつもこいつも油断ならないねぇ。おっさん、ツナギの調整は完璧だから、明日もガッツリ働いてもらうよ」


 美沙が呆れたように肩をすくめながらも、楽しそうに笑う。


 ドクは、Sランクの美女たちに完全に包囲され、もみくちゃにされながらも、怒るでもなく、ただ困ったように笑っていた。

 それぞれの強烈なプレッシャーや魔力の余波が、小さな座敷の中で嵐のように吹き荒れているはずだった。しかし、ドクの周囲だけは凪のように穏やかだ。彼がすべてを受け止め、ストックの底へと静かに沈めているからだ。

 足元では、いつの間にかついてきていたコロが「お肉!」とばかりに短い尻尾をパタパタと振っている。


 ドクはもう一度トングを握り直し、網の上に新しい肉を並べ始めた。

 ジュウウ、と香ばしい音が響く。


 長年、底辺の荷物持ちとして、理不尽に耐え、誰にも期待されず、ただ生き延びるためだけに泥水をすすってきた。

 それが今、これほどまでに騒がしく、そして温かい空間の中心にいる。

 彼女たちが寄せてくれる好意の理由は、未だにドクにはよく分かっていなかった。それでも、この心地よい騒がしさが、今の彼にとってはかけがえのないものになっていた。


「俺はただの荷物持ちですけど、みんなと一緒なら、どこまでも行けそうです」


 ポツリとこぼれた静かな言葉は、焼肉店の熱気の中に温かく溶けていった。

 トングを動かすドクの横顔を見つめ、ヒロインたちの顔に、安堵と深い愛情の笑みが広がる。


「……ほんと、調子いいんだから」


 瞳が頬を染めながら呟いた。


「さあ、お肉焼けたよ。明日の依頼は……」


 ドクが言いかけた、その時だった。


「あ、ドクさん!」


 瞳が、ちゃぶ台の端に置かれていたドクのバックパックを指差して叫んだ。

 サイドポケットから半分顔を出した状態で、こっそりとレンズを上に向けている黒い機体。


「また配信、切り忘れてますよ!!」


 機械の側面に備え付けられた小さな赤いランプが、呑気に点滅を繰り返している。

 クロエとの焼肉デートから、ヒロインたちとのドタバタなやり取り、そして先ほどのドクの照れくさい本音まで。

 その一部始終が、再び全世界数千万人の視聴者へ向けて垂れ流されていた。


「ええっ!? うそっ、なんで動いてるのこれ!? バックパックにしまったはずなのに!」


 慌てふためいてドローンを掴もうとするドクの声と、ヒロインたちの楽しげな笑い声が、平和な八王子の夜空にどこまでも響き渡った。


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