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Fランクおっさん荷物持ち、無自覚ワンパン配信で世界最強に成り上がる  作者: 伊達ジン


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5/13

第5話 翌朝のハローワーク

 ジリリリリリリッ!


 枕元で狂ったように鳴り響く安物の目覚まし時計を、ドクは手探りで乱暴に叩き止めた。

 薄暗い四畳半の部屋に、朝の白々とした光が障子の隙間から差し込んでいる。時刻は午前6時。ボロアパート『木漏れ日荘』の薄い壁越しに、隣の部屋から朝のニュース番組の音声が微かに漏れ聞こえてくる。いつも通りの、日雇い探索者の朝だ。


「……んあ」


 ドクは万年床の中で、ゆっくりと身体を伸ばした。

 その瞬間、わずかな違和感を覚えた。


 痛くないのだ。

 いつもなら、目覚めと同時に全身の関節が錆びついたように軋み、腰や肩の筋肉が悲鳴を上げる。特に昨日は、100キロのバックパックを背負ったままAランクの範囲魔法の余波をモロに食らい、最後にはレオに蹴られて右膝を完全に粉砕されたはずだった。

 しかし、恐る恐る膝を曲げ伸ばしてみても、激痛はおろか違和感すらない。


 完全に砕かれていたはずの右膝の関節は、一切の痛みもなく完璧に動いた。これも火事場の馬鹿力か何かだろう、とドクはあっさりと結論づけた。


「人間の体ってのは不思議なもんだな。極限状態になると、脳が痛みを完全にシャットアウトするって聞いたことがあるけど……まさか一晩寝ただけでここまで元通りになるとは」


 ドクは布団から身を起こし、首をコキコキと鳴らした。

 細胞の隅々まで活力が満ち溢れ、まるで20代前半の頃に戻ったかのような異常な軽さがあるが、それも「たまたま運良く致命傷を免れ、ぐっすり寝たおかげ」という自己完結で片付けられていた。


 首に使い古したタオルを巻き、狭いユニットバスの洗面台へ向かう。

 冷たい水で顔を洗い、安いカミソリで無精髭をジョリジョリと剃り落とす。鏡に映る自分は、相変わらず冴えない32歳のおっさんだ。

 昨日死にかけたというのに、彼の頭の中はすでに「今日の生活」のことで占められていた。


 部屋に戻り、ちゃぶ台の上に置かれた小銭入れのジッパーを開ける。中には銀色の硬貨が数枚と、くたびれた千円札が1枚入っているだけだった。


「とりあえず、今日の仕事を探さないとな」


 昨日の『紅蓮の剣』の依頼は、間違いなく失敗扱いだろう。途中で荷物を放り出して逃げ帰ってきたのだから、報酬が振り込まれるはずもない。

 このままでは、今月末のアパートの家賃はおろか、数日後の食費すら危うい。


 ドクは着古したジャージに着替えると、ちゃぶ台の上に置きっぱなしになっていた昨日のドローンに目を留めた。

 赤いランプは、まだ規則正しく点滅している。


「よくバッテリー持つなぁ、これ。特注品は違うな」


 ドクは感心したように呟き、ドローンをポンと叩いた。

 レオが置き去りにしていったこの機材は、探索者協会の登録ナンバーが入った高価な備品だ。紛失すれば、荷物持ちであったドクに連帯責任として数十万の賠償請求がいきかねない。


「ハローワークに行くついでに、ギルドの遺失物窓口に返してこないとな」


 ドクが玄関のドアを開けると、ドローンは主を追従するようにフワリと浮き上がり、彼の斜め後ろを定位置とするように静かについてきた。

 ドクはその様子を「自動追尾モードが入りっぱなしなんだろう」と好意的に解釈し、ボロアパートの外階段を軽快な足取りで降りていった。


★★★★★★★★★★★



【おはよう、世界最強のおじさん】

【まさかこのおっさん、今日も普通に働く気か?】

【ていうか、あれだけ寝ててドローンに全然気づかないのヤバすぎだろww】

【各国ギルドの特定班、まだ現在地割り出せないのか!?】

【無理だろ。背景に映ってるの、どう見ても日本のどこにでもある寂れた住宅街だぞ。特徴がなさすぎる】

【おい、おっさんが乗ってるあの乗り物は何だ? 魔導ビークルか?】

【バカ、あれは『ママチャリ』だ。日本の一般市民が乗る二輪車だ】

【Sランク超えの化け物がママチャリ乗ってんの、脳の処理が追いつかない】


 ドクの背後を飛ぶドローンの向こう側では、朝から世界中の視聴者が発狂寸前の騒ぎを繰り広げていた。

 しかし、ドクの乗るギシギシと音を立てる年代物のママチャリは、見慣れた商店街のシャッターの前を通り過ぎ、探索者専用の職業斡旋所――通称「ハローワーク」へと向かっていた。


 探索者協会の末端支部であるその建物は、コンクリート打ちっぱなしの無機質な外観をしていた。

 朝の8時過ぎ。待合室の空気は、外の爽やかな初夏とは打って変わって、重く澱んでいた。

 壁際に並べられたパイプ椅子には、十数人の探索者がだらしなく腰掛けている。装備の修繕費すら出せないのか、ひび割れた革鎧を着た若者。安いポーションを飲み過ぎたせいで、体から独特の薬臭い体臭を漂わせている初老の男。誰もが目に生気がなく、壁に掛けられた大型モニターに次々と映し出される低ランクの依頼一覧を、ただぼんやりと眺めていた。

 才能を持たざる者たちの終着駅。それが、このFランク探索者の現実だ。


 ドクは自転車を停め、ドローンを引き連れたまま自動ドアをくぐった。

 受付カウンターに座る年配の女性職員が、ドクの顔を見て露骨に眉をひそめた。


「あら、田中さん。おはようございます」

「おはようございます、佐藤さん。今日も日雇いの荷物持ち、どこか空いてますかね」


 ドクが愛想笑いを浮かべて尋ねると、佐藤と呼ばれた職員は、手元のキーボードをカタカタと叩いていた手を止め、冷ややかな声を出した。


「仕事の前に、田中さん。あなたのステータス、現在『死亡による契約解除』の処理中になってますよ」

「えっ」


 ドクは間の抜けた声を出した。


「昨日の夜、『紅蓮の剣』のレオさんからギルドの緊急回線に報告がありました。未踏エリアでアビス・ナイトの群れに遭遇し、荷物持ちの田中ドクが逃げ遅れて死亡した、と。遺品の回収は不可能だそうです」

「あー……」


 ドクは後頭部を掻いた。

 ドクは、レオたちが自分を盾にして逃げたことに対して、怒りや恨みを感じていなかった。Aランクのトップエクスプローラーと、Fランクの荷物持ち。命の重さが違うのは、この業界の絶対的な常識だ。むしろ、彼らがわざわざギルドに報告を入れてくれたことに、少しだけ安堵すら覚えていた。

 自分が生きているとバレたら、「荷物を捨てて逃げた」と後から怒られるかもしれない。


「生きてます。すみません、ちょっとはぐれちゃって。自力で出口を見つけて逃げてきたんです」

「……はぐれた? 深層のモンスターの群れから、Fランクのあなたが?」


 佐藤は信じられないものを見るように、ドクを上から下まで舐め回した。

 五体満足。目立った外傷もない。ただの薄汚れたジャージ姿の冴えない男。


「運が良かったんです。なんか、ダンジョンの自爆トラップみたいなのが誤作動して、魔物が全部巻き込まれて消えちゃって」

「はあ……。まあ、生きてるなら結構ですけど。当然、昨日の依頼の報酬はゼロですからね。むしろ、本来なら荷物を放棄した途中離脱のペナルティが課されるところですが、レオさんたちが『不問にする』と寛大な処置をしてくれたので、今回はお咎めなしです」

「あ、ありがとうございます。助かります」


 ドクは何の躊躇もなく、深々と頭を下げた。

 命を囮にされた挙句にタダ働きさせられて、なぜか感謝させられているという異常な構図。だが、長年この底辺で生きてきたドクにとって、それは染み付いた処世術だった。ペナルティで借金を背負わないだけ、今日はついている方だ。


「で、今日の仕事でしたね」


 佐藤はため息をつき、モニターの画面をドクの方へ向けた。


「田中さんのような低ステータスのFランクに回せる仕事なんて、そうそうありませんよ。……これなんてどうですか。Dランクパーティ『鉄の牙』の、下層エリアでの素材採取サポート。第10階層の採掘場から、ひたすら鉱石を背負って運ぶ雑用です。危険手当なし、食事は自前。日当は6000円」

「6000円……」


 ドクは内心で渋い顔をした。相場よりもさらに安い。これでは今日の食費と明日の家賃の足しで終わってしまう。


「文句言える立場じゃないでしょう。昨日死亡報告されたばかりの人間を、すぐに使ってくれるパーティなんて稀なんですよ」

「いえ、文句なんてありません。やらせてください。それでお願いします」

「はいはい。じゃあ、手続きしておきますから。集合は10時に、第1ダンジョンの南口ゲートです。遅刻しないでくださいよ」

「わかりました。ありがとうございます」


 ドクは手続きの書類にサインをし、安堵の息を吐いた。

 とりあえず、今日の命は繋がった。


「あ、そうだ佐藤さん。これ、昨日のパーティの人が置いていったギルドの備品なんですけど、遺失物窓口ってここでいいですか?」


 ドクは背後を飛ぶドローンを指差した。

 佐藤は面倒くさそうにチラリとそれを見た。


「ドローンですね。遺失物の返却なら、裏の機材管理部の方へ回してください。ここの窓口じゃ受け取れません。というか、そんなもの起動したまま連れ歩かないでくださいよ。魔力の無駄遣いです」

「すみません、電源の切り方がわからなくて……後で裏に持っていきます」


 ドクは苦笑いしながら頭を下げた。

 結局、ドローンはそのままドクの背後をフワフワとついてくる。


 ハローワークの自動ドアを抜け、外に出たドクは、大きく伸びをした。


 日当6000円の仕事にありつけたことにささやかな喜びを感じながら、ドクは再びママチャリのペダルを漕ぎ始めた。初夏の日差しが、ジャージ越しの肌に心地よかった。

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